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NEWS EVENT SPECIAL SERIES

演出家・野村眞人が描く、京都と「観光客」。変わる街に居続ける「地元民」との関係

2026.10.9

ロームシアター京都

#PR #STAGE

「居場所がない」。なにもかも不安定な時代、漠とした不安を抱く人は多いのではないだろうか。こんなにも情報や物質に溢れているというのに、本当の意味で自分と強いつながりを持つ何かとは出会えないままかもしれない、という所在のなさ。そんな宙に浮いた気持ちは、いったいいつから私たちの日常になってしまったのだろうか?

京都で演劇活動を続ける野村眞人も、おそらくそんな疑問から自身の作品に変化を求めてきたのだろう。人が何かを演じ、一時的な仮設の集まりとなる演劇とは何か? その問いから作品制作を始めた彼は、2020年代初頭のコロナ禍を経て、人との交流を一層求めるようになったという。

その過程で出会った、ある親子の関係に魅了されてつくったのが、実際の父子が看護をめぐってコミュニケーションする『吉日再会』だ。さらに現在の京都の街をテーマとする新作群像劇『観光客』では、地元に長くいる人と観光客を描くことで、土地と人の関係に注目した。

社会の変化、街の変化に眼差しを向けながら、人間の居場所、そして人間そのものへと関心を寄せる野村と「居場所」のつくり方について対話を重ねた。

家族や故郷の話題が好き。「人の生き方を、僕も一緒に体験してみたい」

ー『吉日再会』が実の父子による対話劇だったように、近年の野村さんの作品は家族や故郷といった、広い意味での「居場所」がテーマになっていますね。

野村:「居場所」を作品のテーマにしようと思ったのは、コロナ禍がきっかけでした。それまでは演劇で何をやったら面白いかとか、観客を驚かせられるかをよく考えていたんですけど、コロナでそんな意識が吹っ飛んでしまって。かわりに興味を向けたのが、演劇や劇場の外へと自分から足を運ぶこと。例えば墓参りに行ってみるとか、旅先で出会った人と交流を持ってみるとか。そうやって生まれた関係性への興味から、最近の演劇は始まっている感じがしています。そして、そこでよく盛り上がるのが家族や故郷の話題でした。

野村眞人(のむら まさと)
1991年生まれ。演出家。レトロニム所属。京都を拠点に2016年から劇場内外で演劇作品を制作・発表している。利賀演劇人コンクール2018優秀演出家賞。2024年度文化庁新進芸術家海外研修制度によりドイツ・ベルリンに1年間滞在。ロームシアター京都〈レパートリーの創造 ホープス〉アソシエイト・アーティスト。

ーたしかに旅先の居酒屋やスナックなんかで知らない人と話す時に、自分の生まれた場所や家族の話はけっこう盛り上がりますよね。

野村:いろんな人生がありますけど、けっこうシリアスな……例えば自分の居場所を失ってしまうような大きな出来事であっても朗らかに語れる人がいて、そういう人のことを好きになっちゃうんです。人生のあれこれを朗らかに捉えている人の生き方を、僕も一緒に体験してみたい、というか。

ーコロナ以前と以降で作品のかたちも変わりましたか?

野村:だいぶ変わったと思います。そもそもずっと前から、演劇に対する自分の興味が研究者的だったんですよ。基本は文献研究で、歴史や世界情勢を念頭に置いて、この戯曲を上演すれば演劇史のなかに自分を位置付けることができるのではないか、と考えてみたり。でもその面白さが展開する感じがなく、しまいには大学を留年してしまったりしました。そこで「あ、自分は演劇を観に行ってない」と気づいて、遅まきながら劇場に通い始めたり(笑)。

ー劇場に行かなかった野村さんが劇場に通うようになって、さらにコロナ後はあらためて劇場の外に向かうようになったのは、大きな変化ですね。

野村:それも作品発表のために否応なく、という感じなんです。2020年3月に京都芸術センターで新作を上演する予定だったんですが、コロナの流行を受けた「自粛」期間で自分たちのクリエーションもストップしてしまった。でも完全になかったことにしてしまうのはもったいない。それで芸術センターに小屋入りはさせてもらって、上演はしないけれど、クリエーションは続行することにしました。

作品のアイデアはそのままに、劇場の外、つまり街中で作品を展開していく。劇場から演劇が出ていくことが、同時に外の物事を劇場に呼び込むことにもなっていくような、双方向な感じがとても面白くて、快感すらありました。

ーそれが映像作品になった『景観と風景、その光景(ランドスケープとしての字幕)』ですか?

野村:そうです。キャリーバッグにディスプレイを取り付けて街中に出かけていって、そこに「歩く」「買い物をする」といったト書きが表示される作品でした。

実の親子の関係は「演じる」ことで変化するのか

ーそういったコロナの経験を経て2024年に『吉日再会』が生まれたのですね。『景観と風景〜』は現代アート的なコンセプトの強さ、形式の強さを感じますが、こちらはもっとウェットというか……。お父さんが精神科の訪問看護師を演じ、息子さんが看護される側を演じて対話を重ねていく。役柄上は他人同士を演じているけれど、観ていると実際の父子関係も混入するような時間がたびたび訪れます。家族がテーマにはなっているけれど、奇妙なねじれが作品化されている。

野村:『吉日再会』は精神医療への関心からも始まっていて、ちょうど調べ物をしている時に長年の友人でカンパニーメンバーでもある俳優の瀬戸沙門のお父さんが、訪問看護師だと知ったのが大きいです。「ぜひ1回会って話を聞きたい!」と頼んだのがきっかけでした。

長い時間のなかで、(瀬戸)沙門を相手に看護師としての業務を実演してもらうワークを重ねていって、それがすごく良かったんですよ。「あ、これは作品になるぞ」と思いました。もちろんお父さんは俳優ではないし、当時は現職の看護師だったからすぐには作品に出てもらえないだろうけれど、月1ペースくらいで3人で集まって、話をして、ちょっと実演してもらって……それでいよいよ上演でもしますか、というのが2024年でした。

あらすじ:精神科訪問看護師として長年にわたり働いた父と、俳優として活動する息子の二人が出演し、それぞれが自らの役割を演じることで、訪問看護の現場を舞台上に再現する。対話を通して相手の心を見つめようとする看護師の父と、自らでない他の誰かを演じる息子は、看護師と俳優との職業的な関係、そして親子という私的な関係のあわいに揺れながら、他者との普遍的な紐帯を模索する一方で、共に老いて行く現実を見つめている。 / 『吉日再会』台湾公演より

ー不思議な作品ですよね。いわゆるドキュメンタリー演劇(※)だと思いましたが、演劇の手法を借りて、実生活ではなかなか話しづらい親子の会話をするコミュニケーションの一形態にも見えてくる。

※実際の出来事や映像記録などをもとにして構成された演劇のこと。出来事の当事者である本人が出演することも多い

野村:父子という現実的な関係にある2人が、お互いの仕事を演じるなかで親子関係と仕事関係のあいだを揺れ動くんです。

演劇のなかでロールプレイするうちに徐々にお互いのこれまでのことを話すようになったり、仕事を演じること通して互いのことを知っていくような関係に変化していって……そうするともはやこれは人生の目撃だろう、みたいな(笑)。狙ったわけではないにせよちゃんと演劇としての面白さがそこにはあるし、自分にとってこの作品、この3人の関係がライフワーク的な関わりになってもいる。だからこの父子の変化について行きたい、という気持ちが原動力になっています。

ー野村さんがコロナ禍以降に始めた、いろんな人に話を聞きに行ってみるシリーズの究極型じゃないですか。

野村:本当にそんな感じです。コロナの時期に自分の生き方も作品も変化したけれど、最初の段階でひとつ形が見つかった。そういう関係性から今後もいろいろな作品に取り組めたらなと、今も思っています。

『吉日再会』台湾公演より

よく知った土地で迷子になるという経験。人は街をどのように見ているのか

ー今回のロームシアター京都での公演では『吉日再会』のリクリエーション版に続き、完全新作の『観光客』も上演されますね。どんな作品になりそうですか?

野村:動機の一つは、先ほど話したようないろんな人との交流で故郷や地元の話題が多く聞けたこと。もう一つは海外での経験です。文化庁の制度で2024年の1年間、ベルリンに滞在したのですが、その時の自分を定義する概念として「観光客」という言葉を見出したんです。

自分は現地で労働してお金をもらってるわけじゃなく、ただ毎日劇場に行って、演劇見たり関係者と話して勉強したりする存在。でもそれが1、2週間で終わらず、1年という長さで続くので、旅行というよりは生活ベースで過ごしている。しかし1年後には必ず帰らなければいけない。さらに結局ベルリン滞在中に4回ぐらい引っ越しまでしてる(笑)。

―そもそも滞在先で自分を定義する概念について考えていたのは、どうしででしょうか。

野村:幼少期からの体験が反映されている気がします。うちは引っ越しの多い家族で、生まれたのは長野県のどこか。物心ついた時には松本市で暮らしていて、そこで母、僕、おじいちゃん、おばあちゃん、それから母の兄で暮らしていました。ところが、母の地元が青森県の津軽だったこともあって、家のなかではみんな津軽弁で話していたんです。

ーへえ!

野村:家族の意思疎通は津軽弁。でも家の外には長野の言葉が飛び交っていて「自分はどこにいるのか?」みたいな感覚がありました。もともと青森から出稼ぎで出てきた祖父母も松本に居着くことになって、その後は祖父母を除いて名古屋に引っ越して、それからも誰も青森に帰らなくて。

そういう経験から自分自身にも帰る場所はないと感じます。さらに確実に影響してるのは引っ越しの経験で、気づいたら僕自身もめちゃくちゃ引っ越しする人間になっていた。数えてみたら今までに23回ぐらい引っ越ししてます。

ーそれはすごい。

野村:だから自分に帰る故郷はないと思っている。一般的にそれは寂しいことなのかもしれないけれど、「別にそういうものかな?」ぐらいの気持ちが根底にあります。

ー引っ越しの頻度に驚いてますが、半ば必然だったのかもしれませんね。

野村:いろいろトラブルに見舞われて移らざるをえなかったんですけどね。そういうもろもろの経験、時間の過ごし方を総合すると、自分は「観光客」以外の何者でもないなと。ただ、その視点で生活して街や劇場と接していると自分の存在の曖昧さが面白くもあって、アイデンティティがころころ変わる軽やかさがあった。実際、ベルリンにとってみたら自分はそういう人だったわけですしね。

京都という街を俯瞰してわかったこと。『観光客』の出発点

野村:それでいざ京都に帰ってきてみると、これまで以上に京都にいる観光客の姿が気になるようになってきました。自分はこれまでの人生で京都にいちばん長く暮らしていて、迷子になりようがないぐらい街に馴染んでいますが、京都に根を張っている人、そして観光客という2つの幅でこの街を捉えてみるのは面白いと思った。それがこのプロダクションの始まりです。

ー自分も京都に住んでいるので、この10年で街の姿が大きく変わっているのを感じています。長く暮らしている人であればあるほど、現在の京都にいろんな思いを抱いているはず。

野村:今回ご出演いただく出演者は5名いて、みんな京都にゆかりのある人たちなのですが、ひとりを除いて京都市に生まれた人がいないんです。そのひとりというのは、現在までずっと京都在住の菱井(喜美子)さんです。菱井さんは、ある点ではむしろ街が変化する新陳代謝に好奇心を持っているとおっしゃっていました。通りの名前やかたちは一緒でも、そこに面していたビルやお店はなくなっている。それまで街を歩く時の目印にしていた場所がなくなることで、迷子になってしまうことすらある。親しくしていた場所が変わったり、人がいなくなったりするのは寂しいけれど、でも、景色が新しくなっていくことは面白い体験だと菱井さんは言うんです。

ーユニークな視点で街を見ているんですね。

野村:そういう「迷子になる」感覚って、観光客の側にこそあるものじゃないですか。でも、その土地に長く暮らす人と観光客が思いのほか近い感覚で街を見ていたりするのが面白い。そうすると、2人が表裏一体の関係にも見えてきます。

ー京都の人が「前の戦争」という時は15世紀の応仁の乱を指している、なんて冗談がありますね。しかし、そのぐらい自分たちの街に揺るぎのなさを感じているのも京都人であるわけですが、ふと迷子になる経験は、そんな京都もやはり変わっていくのだということを教えているのかもしれません。

野村:そうだと思います。自分が住み始めてからもそうですが、歴史的にも街が上書きされてきた感じがすごくあります。例えば八坂神社の上にある円山公園はお花見のスポットで、4月にはめちゃくちゃ混雑する場所ですが、1960年代の安保闘争の時代にはデモ隊が集結して出発する拠点でもありました。宝ヶ池公園も、いまは「子どもの楽園」なんて呼ばれてますが、1950年代までは競輪場があったそうです。大人の娯楽場がいまは子どもの楽園になっている。これまで僕はそんなこと知らずに暮らしてきましたけど、これだって場所に対する記憶の上書きの一種だと思うんです。

その街に長く住んでいる人が土地のなかで迷子になる経験が、いったいどういうことなのか。自分だけでなく観客のみなさんにもこの問いを託して、何かを見つけていけたらと思っています。

「居場所」は必ずしも土地に紐づかない。不安定な世の中で、どのようにつくるのか?

ー今回はロームシアター京都の自主事業「レパートリーの創造」の一つですね。「レパートリーの創造」は、劇場自らが今後も継続的に上演されていく作品をつくり、時にはそれが他の劇場、海外でも展開されていくことを構想して始まりました。その意味で、京都にとっての「我が街の演劇」という性質が強くあると思います。

野村:まったく同じことを考えていました。むしろそのことだけを考えてきたかもしれない。つまり、京都の公共劇場のレパートリー=京都市民の財産になるということ。

ー野村さんにとって、京都はどんな街でしょうか?

野村:実家はいま名古屋にありますが、そこには家族がいるので帰りますが、故郷に帰るという感覚ではないですし、生まれた長野より、育った名古屋より、京都での暮らしが長くなって、そういう意味では京都こそ地元、みたいな気分になることもあります。でも違うよな、って気分もあるんです。京都には知っている人がたくさんいるから自分は戻ってくるんだろうな、と。

ー人。

野村:はい。ずっと一緒に暮らしているパートナーがいて、最近ではご近所さんとのつながりもできてきて。遠出した時に「お隣さんにお土産を買ってこう」という気分になったりもして、やっぱり人なんだろうなと。街の変化を楽しんでいる菱井さんは、自分と濃い関わりのあった人がいなくなった時に寂しさを感じるとおっしゃっていましたね。

ーそこで最初に投げかけた「居場所」についての質問をしたいです。国際的には多様な生き方、多様な出自が当たり前になるなかで、自分の居場所をつくっていくことはそう容易くはないと思うんです。仮に「ここを自分の居場所にしよう」と決心した時、人はどうすればいいか。野村さんはどう考えますか?

野村:まず、居場所ってすごく重要だと思います。ひょっとすると人間にとっていちばん大事なんじゃないかと思うくらい。もしもその人にとっての居場所がないとしたら、それはとてもつらい。

野村:居場所は、必ずしも特定の土地でなくてもいいかもしれない。僕にとっては人で、その人がいればどこに行っても居場所をつくることはできるんじゃないか。想像するに、居場所と呼べるものを強く持っている人は、誰かとのつながりがあるはず。それをつくっていくアプローチは個人個人で違うとしても、それは絶対につくったほうがいい。人とのつながりが無くてもいいよ、とは、もう思えない。

ー野村さんにとっては、京都がその居場所たりえていると。

野村:そうです。居場所というキーワードを示してもらってすごく納得していますが、僕は作品でも結局居場所のことばかりやってきたのかもしれないですね。

ー『観光客』は5人の俳優が出演しますね。関係性が増えていくことで、そこには街が立ち上がってくるのかもしれません。

野村:まさに街、ですね。京都に暮らしている全員がそこにはもちろんいなくても、とても具体的な5人がいる。その群像が織りなすイメージは、いろんな側面を持つはずです。故郷、家族、土地、観光客……それは特殊な環境ではなくて、すごく日常なんだと思います。

ロームシアター京都 レパートリーの創造 ホープス『吉日再会』 / 『観光客』

ロームシアター京都 レパートリーの創造 ホープス『吉日再会』
2026年10月30日(金)19:00 / 10月31日(土)14:00・19:00 / 11月1日(日)14:00
会場:ロームシアター京都 ノースホール
演出:野村眞人
出演:瀬戸沙門(レトロニム)、瀬戸敏由紀
https://rohmtheatrekyoto.jp/event/148450/

ロームシアター京都 レパートリーの創造 ホープス 新作『観光客』
2026年11月6日(金)19:00 / 11月7日(土)14:00・19:00 / 11月8日(日)14:00
会場:ロームシアター京都 ノースホール
作・演出:野村眞人
出演:田辺泰信、田端奏衛、山西由乃(Gesu◎)、菱井喜美子(人間座)、瀬戸沙門(レトロニム)
料金:全席自由3,800円(会員3,400円)/ユース2,500円/18歳以下1,000円
https://rohmtheatrekyoto.jp/event/148434/

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