人が身体を通して人と関わる機会はメキメキ減っている。数年前には対人コミュニケーション不足のことを「もう、今日はコンビニで『レジ袋いいです』としか人と喋ってないよ〜」なんて笑ったものだけど、もはやセルフレジ化してその機会すらない、2026年。大きめに独り言をつぶやけば「お役に立ちます」とAIが合いの手を入れてくれる。これはちょっと、笑えない状況なのではないか。
さあそれではここで、秋の東京を彩る『東京舞台芸術祭』の見どころ解説をお届けしよう!
なぜかって、うすら寂しい現代を生きる私たちは、今こそ舞台芸術を浴びるべきだからである。目の前で躍動する身体と魂。紛れもない生身の人間の営みが、そこにはあるからだ。
『東京舞台芸術祭』はものすごく大きな枠組みの芸術祭であり、その中に『秋の隕石2026東京』『Performing Arts Base(パフォーミングアーツベース)』『Open Call Programs(オープンコールプログラム)』や『東京都内演劇祭ネットワーク』といった複数のイベントが含まれている。本記事は主に『秋の隕石2026東京』と『Performing Arts Base』に注目し、ライターが個人的に楽しみな演目をピックアップして、気になるポイントをご紹介していくものである。
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初回開催時も大評判。2度目の『秋の隕石2026東京』見どころは?
『秋の隕石』は、2025年からスタートした国際的な舞台芸術フェスティバルだ。お届けするのは、池袋にある東京芸術劇場の舞台芸術部門芸術監督に就任したばかりの岡田利規(演劇作家 / 小説家 / チェルフィッチュ主宰)。同劇場とGLOBAL RING THEATRE〈池袋西口公園野外劇場〉を会場として、2026年の秋、約1ヶ月にわたり国内外から選りすぐりの舞台芸術13演目の上演をはじめとした様々なプログラムが開催される。
イベント名にある「隕石」とは、私たちが属する地域や文化、価値観の文脈の外から飛来してくるもののことで、一つひとつの演目もまた、その表れなのだという。隕石は大きなインパクトとともに、未知の何かをもたらすものだ。確かにラインナップに目を通してみると、どれもちょっと(かなり?)ヘンテコで、切実なものばかり。大丈夫だろうか……こんな巨大な隕石が13個も降り注いできたら、これまでなんの疑いもなく送ってきた平穏な日常、常識的なものの見方が破壊されてしまうかもしれない。なんなら絶滅するかもしれない。

岡田はディレクターズメッセージで、「隕石たちをウェルカム」し、同時に「隕石への関心、好奇心たちをウェルカムする」と語っている。皆さんどうぞこのフェスティバルにて未知と遭遇し、その衝撃に揺さぶられてくださいね、ということだろう。望むところである。筆者がぜひぶつかりたい隕石たちは、こちらだ!
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クリストファー・リューピング『渇望』(サラ・ケイン作)はドイツから貴重な初来日

もう、上の写真を見るだけでなんだか怖い。心がざわついて、滅茶苦茶にされてしまいそうな予感がしてこないだろうか。
クリストファー・リューピングは、いまドイツ語圏の演劇界で注目を集めている気鋭の演出家だ。待望の招聘が実現し、日本でリューピングの舞台を鑑賞できるのは『秋の隕石2026東京』が初めての機会となる。しかも演目の『渇望』は、リューピングが演出家を志すきっかけとなったという夭逝の劇作家、サラ・ケイン(※)の作品だ。そんなのどう考えても気合が入っているに決まっているではないか!
※サラ・ケイン:28歳でこの世を去ったイギリスの劇作家。リューピングは、ケインの戯曲との出会いにより演劇の道に進んだという。
『渇望』は、ストーリーを持たない詩のように断片的なテキストで構成される。面白いのは、もとの戯曲上の登場人物は4名なのに、リューピングが新たに5人目の登場人物を増やして演出をしているところである。舞台上でただ座っているだけだという5人目の俳優は、ほかの4人からの言葉をひたすら受け止める役割を与えられており、その反応や表情が逐一スクリーンに映し出されるという。なるほど、冒頭で見た写真はそういうことだったのか。
劇作家サラ・ケインは「現実世界で底知れぬ穴に陥らないために、芸術ではあえてそれを見つめる必要がある」という言葉を残している。あえて深い穴を見つめる……やっぱり少し怖い気もするが、それよりも、この貴重な機会を逃さずに見届けたいという気持ちが勝る。ちなみに本作について岡田利規は、「私たちの柔らかい心に痛みと慰撫のかけがえのない経験をもたらす上演」だとも表現している。果たして劇場でこの隕石とぶつかったあと、自分は一体どんな顔をしているのだろうか?
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あぃたら えィ『さん まるだが だんころ 3 〜音と動きのパフォーマンス〜』で「かすかさ」を分かち合う
「あぃたら えィ」は、新井英夫(ダンスアーティスト / 体奏家)、板坂記代子(身体と造形の表現者)、山田衛子(即興演奏家)の3人によるコラボユニット。一風変わったユニット名は、3人の名前の組み合わせであると同時に、「閉ざされた扉が開いたら、えい! と何かが新たに生まれる」という願いが込められたものだそう。『秋の隕石2026東京』では、その場に居合わせた観客たちとの響き合いを大切にしながら、即興的なパフォーマンス作品を披露する。そのコンセプトは「かすかさを分かち合うパフォーマンス」だ。

野口体操(※)から深い影響を受けたという新井英夫は、1980年代からダンスなどの身体表現に携わってきたが、2022年に全身の筋肉が徐々に衰えていく難病・ALSの診断を受けており、2026年1月からは人工呼吸器を装着しながら車椅子で活動を続けている(パートナーである板坂と「ダンスのような」身体介護を日々発明している、という紹介文が素敵だ)。手術で声帯を切除してしまっている新井はごく小さな声しか発することができず、それでも誰かに意思を伝えたい、そしてわかり合いたいという思いがもどかしく胸中に渦巻いているのだという。
※野口体操:野口三千三が創始した、がんばりや力を抜いて自身の重力を活かす脱力系の身体運動・健康法。東京芸術大学の必修体育として50年以上にわたり採用されており、美術や音楽、演劇を学ぶ人々にも広く支持されてきた。
新井は自身について「出力は強められないが、入力を強めることはできる」と言葉にしている。「入力を強める」とはすなわち、「世界への感度を高める」と言い換えられるだろう。発信側が大きな声を出せないのなら、受け取り手が、今までよりずっとずっと小さな声を聞くようにすればいいのだ。
このパフォーマンスでは、「小さく、弱く、ゆっくり」とした呼吸・動き・音が用いられる。その場に生まれる細やかな空気の震えや温度の変化、そして心の動きを分かち合う本作は、絶対にその時・その場で共有しなければ理解ができないタイプのアートである。画面に溢れる音や光の強い刺激に慣れきって、いわゆるドーパミン中毒気味の私たちは、手遅れになってしまう前に世界の「かすかさ」や優しさに気づくべきなのかもしれない。
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ジュンコエモトはレズビアンによるレズビアンのためのレズビアンの物語を上演
『真夜中に寂しくなったときに観たい演劇』は、2025年4月、新宿三丁目にある20席限定の極小空間で上演された作品の再演だ。

「毛皮族」創始者である江本純子のソロパフォーマンスによって表現される、レズビアンによるレズビアンのためのレズビアンの物語である。考えれば考えるほど、それって珍しい作品なのではないだろうか。
多様性が叫ばれ、ここ数十年でLGBTQ+を描いたコンテンツは格段に増えた。けれど江本純子は映画や文学などで見る「レズビアン表象」に、どこか当事者を置き去りにしたような違和感を持っていたという。それらはマジョリティ(この場合は異性愛者)が消費しやすいよう、わかりやすく整えられたマイノリティ像であり、悲劇や生きづらさといった偏った色づけがされた物語だ。江本はひとりの生身のレズビアンとしてそれに抗い、当事者に響く言葉やユーモアを駆使した、パワフルなエンターテインメントを織り上げて見せるのだ。
巷に溢れるレズビアン表象に対して「それはマジョリティ用に作られた、マイノリティの物語でしょ」と声に出したところで、きっと市場はびくともしないだろう。実際のレズビアンたちは、マーケットに影響力を持たない少数派だからだ。江本が語る「そもそもマーケットでターゲットにもされない寂しさ」を想像すると、集団の中で無視され続けているようなもので、胸が苦しくなる。
しかしだからこそ、東京ど真ん中の東京芸術劇場で(しかも東京都と東京芸術劇場の主催事業として)このような芝居が上演されるという事実は、それ自体が彼女たちにとっての希望である。そして、マーケットではできないことを掬い上げて「隕石」として社会に投じるこういった挑戦にこそ、筆者はアートの可能性をしみじみと感じてならない。
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シアター能楽の英語能『青い月のメンフィス』はエルヴィス・プレスリーが能に登場!?
日本の伝統芸能である「能」が、ときに英語で上演されているのをご存じだろうか。『青い月のメンフィス』は「シアター能楽」による、エルヴィス・プレスリーを題材とした英語能である。エルヴィスのファンの女性(ワキ)が月夜にエルヴィスの亡霊(シテ)と出会うという、伝統的な夢幻能(※)の形式にのっとった物語だ。好きすぎてそこに居ないはずの推しの姿が見えてしまうなんて、ちょっと親近感が湧くような……。
※夢幻能:神や幽霊、精霊などの霊的な存在が主人公(シテ)として登場し、現実と異世界、過去と現在を行き来しながら物語が展開する、能楽の代表的な作劇法。

「シアター能楽」は国際的に活動している、英語話者たちによる能のパフォーマンスカンパニー。設立者のリチャード・エマートはアメリカ・オハイオ州出身で、1970年代から日本で能の研鑽を積み続け、現在では武蔵野大学の名誉教授を務めている。
それにしても、英語で能……? 一体どんな雰囲気になるのか、非常に気になる。能にあまり馴染みのない筆者は日本語でも何を言っているか聞き取れないことが多いから、案外すっと受け入れられる気もする。でも、英語と日本語だと音節も違うだろうし、やっぱり想像がつかない。悶々としていてもキリがないので、これはもう実際に鑑賞してみるしかないのかもしれない。
本作は能舞台、囃子(はやし)、地謡(じうたい)、舞などの能の様式を忠実に守りつつ、エルヴィスのヒット曲やブルース、ゴスペルなどのアメリカ的要素も取り入れているという(なんと衣装はデニム素材のものもあるらしい!)。エルヴィスの顔を模した能面は、能面師が苦労して作り上げた逸品なのだそうだ。

岡田利規はこう力強く語っている。
日本語以外の言語で演じられる能。それってキワモノか? 断じて違う。能という、高い汎用性をそなえた〈ニッポンの〉パフォーミング・アーツのフォーマットが文化を越境して実践されるのも、そこから傑作が生まれるのも、実に自然な成り行き。
『秋の隕石 2026 東京』公式サイト掲載、ディレクターズメッセージ「隕石はウェルカムする」より
確かに、能のフォーマットで描かれるエルヴィスの人生は、時代や国境を超えた普遍的な物語として受け止められるような予感がある。能は日本のもの、という固定観念を破壊してくる本作は、なかなかの「隕石」である。
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花形槙『エルゴノミクス胚』では、人が椅子になる
そしてピックアップの最後に、どうしてもこの作品を入れたい。花形槙による実験的パフォーマンス作品『エルゴノミクス胚』である。

花形槙はパフォーマンスとメディアアートの領域で活動するアーティストで、テクノロジーと人間との関係に焦点を当てた作品づくりをしている。『秋の隕石』がフックアップして世に送り出す期待の新星であり、NiEWの舞台界隈2025年振り返り座談会でも、花形の公演を「年間ベストに入れたいくらい」と話題に上がったほどだ。

本作は2025年の『秋の隕石』でワークインプログレスとして公開されたもので、そこへさらに挑戦的なアップデートを加えて、2026年ついに本公演を迎える。残念ながら筆者はそのワークインプログレスを観ていないため、編集柴田氏にどう面白かったのか尋ねてみたところ「その、花形さんが……椅子になるんですよ……」と苦しげに答えられ、本気で混乱した。えっ? えっ?
『エルゴノミクス胚』の作品解説にはこうある。
花形自身を含む実践者たちはヘッドマウントディスプレイを装着し、自身の身体がAIによってリアルタイムで椅子らしき図像へと変換され続ける映像を見つめながら、ゆっくりと微細に姿勢を変え、椅子へと〈変態(メタモルフォーシス)〉しようとする。
それでもまだよくわからなかったので、花形のホームページを訪れて、「技術を〈使う〉のではなく、技術に〈なる〉。」というタイトルのステートメントも読んでみた。動画も掲載されており、視聴すると突風に吹かれたように腑に落ちて、大げさでなく感動してしまった。長いのでとても引用はできないが、本作を鑑賞予定ならこのステートメントも併せて読んでおくことをおすすめする。
椅子は身体を楽に落ち着けるために生まれたカタチであると同時に、人間の存在や振る舞いを規定する物体でもある(例えば劇場の椅子に座れば、人は「観客」となり、相応のマナーが要求されるはずだ)。花形にとって椅子とは、既存の社会システムに滑らかに接続するためのインターフェースなのだという。そこから逸脱して主導権を自身に取り返すために、彼はむしろ自らがそちら側(椅子)になってしまうことで、関係を「捻転」させるのだ。これには椅子もさぞびっくりすることだろう。
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「上演プログラム」「上演じゃないプログラム」「ウェルカム体制」の3本柱
記事が大長編になってしまうのでこのくらいにしておくけれど、実際は知れば知るほど、ぶつかりたい「隕石」ばかりで困ってしまう。例えば、2026年に岸田國士戯曲賞を受賞したばかりのダダルズによる『よだれ観覧車』が野外で上演されるとか……!

また、『秋の隕石2026東京』では「上演プログラム」のほかに、ワークショップやセミナーといった「上演じゃないプログラム」、さらに誰もが気軽に来場できることを目指した「ウェルカム体制」を大きく打ち出している。子育て世代が舞台鑑賞中に利用できる『こどもあそびシアター』(子ども用の遊び場)など、「これならちょっと行ってみようかな」を後押ししてくれる仕掛けが用意されているのは、特筆すべきポイントである。

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街で舞台芸術と逢いましょう! 豪華見本市『Performing Arts Base』はすべて無料
それでですね。いろいろ言っても、舞台を観に行くのってそれなりに資金が必要じゃないですか(以下本音です)。確かな価値のあるものを観に行くのだから「高い」とは言いたくない。でも、少なくとも筆者はポンポンとチケット代を出せる富豪ではない。だからこそ、失敗するのが怖い!
『Performing Arts Base』は、そんな「観たい、けど……」というジレンマを抱えた私たちにとって、きっと最高の入口になってくれる企画だ。2026年9月に開催される、観覧自由 / 予約不要で楽しめる20分刻みのアートの見本市である。我こそはというカンパニーがステージに入れ替わり立ち替わり登場し、短い演劇やダンス、大道芸などを披露する。ありがたいことにすべて鑑賞無料、試食し放題である! 気楽に足を止めて、気楽に立ち去って、気付けば世界の見え方が変わっているかもしれない。
開催場所は、有楽町の「東京国際フォーラム」の広場 / ガラス棟、そして高輪ゲートウェイ駅直結の「MoN Takanawa」のオープンスペースだ。それでは2会場それぞれの演目の中から、筆者が注目するキラ星たちをご紹介しよう。
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ゼロコ『Teatime』は言葉いらず、老若男女が楽しめるフィジカルコメディ
「ゼロコ」は今年でちょうど活動10周年を迎える、角谷将視と濱口啓介によるフィジカルコメディデュオ。パントマイムやクラウニング(ピエロのコミュニケーションパフォーマンス)を組み合わせた、セリフのないパフォーマンスライブを得意としている。

ゼロコの公式Instagramを開くと、5.5万いいねを獲得している『跳び上がる傘』の動画を見ることができるので、よかったらすぐチェックしてみてほしい。あまりの愉快さに、筆者はもうそれだけで「好き!」となってしまった。このコミカルさは、老若男女誰もがニッコニコ間違いなしである。
今回披露されるのは、彼らの代表作とも言える『Teatime』という作品のショート版で、その名の通り「お茶を飲む時間」を描いたパフォーマンスだという。ふっと足を止めた街なかで、お茶を飲むようにコメディを味わうことができたら、それってなんて素敵な午後だろうか。
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ON『ディア・グレゴール』はカフカ『変身』がモチーフ
「ON」の佇まいは、一度写真で見ただけでも強烈なインパクトを残す。なんとも独創的な、「四つ腕」のパフォーマーである! 彼は自身の腕とオブジェクトの腕を滑らかに操り、ジャグリングやコンテンポラリーダンスを複合させたパフォーマンスを行う。異形の身体が繰り広げる動きはユーモラスでもあり、どこか不気味でもあり、目が離せない。

ONは2026年に入ってからすでにふたつのパフォーマンスアワードでグランプリを獲得しており、かなり勢いのあるアーティストだと言えるだろう。その独特の世界観に魅了されるファンがこれからさらに増えていきそうな予感なので、ぜひ今のうちにチェックしておきたい。
ちなみに『HIBIYA LIVE PERFORMANCE AWARD 2026』優勝時のインタビューで、ONはこんなふうに語っている。
「どこまでが自分なのか、という身体の範囲は曖昧で、だからこそ拡張可能だし、他者や世界との境界も曖昧にできるのではないか」。
今回の演目『ディア・グレゴール』は、カフカ『変身』の主人公であり、毒虫に変身してしまったグレゴール・ザムザをモチーフにしている作品だ。多腕の身体で表現されるグレゴール・ザムザ……想像するだけで、胸のざわつきが止まらないではないか。
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対象年齢が年少から小学校低学年。くちびるの会の紙おしばい『こだぬききょうだいのおつかい』も
コンテンツの中には「くちびるの会」の紙おしばいのように、親子で楽しめそうなものもあるのが嬉しい。一見すると昔ながらの紙芝居なのかと勘違いしてしまいそうだが、これは紙芝居ではなく「紙おしばい」。紙芝居と現代演劇の手法を組み合わせた、彼ら独自の舞台表現だ。具体的には、紙芝居のように変化していくイラストを背景にして、その前で生身の俳優たちが演技をする、というもの。言葉の響きから想像する以上に、がっつりとした観劇の手応えを感じるパフォーマンスである。公式YouTubeで過去作品を見ることができるので、興味のある人はそちらもチェックを。

「くちびるの会」は2014年結成の劇団で、劇場での公演活動と子ども向けの紙おしばい活動を並行して続けている。今回のステージでは「守り、守られる関係の大切さ」をテーマにした、『こだぬききょうだいのおつかい』という紙おしばいが上演される。
彼らの『こだぬききょうだい』シリーズは、全国50箇所以上で上演を重ねている人気シリーズなのだとか。主な対象年齢は「年少〜小学校低学年」を想定しているとのことだが、こういう一本が、大人の心の柔らかい部分に意外と刺さってしまったりするものなのだ……目を輝かせる子どもたちの後ろでそっと腕組みしながら、ピュアな気持ちで楽しみたい作品である。