新海誠監督作品をはじめ、数々の独創的なタイトルを世に送り出してきたコミックス・ウェーブ・フィルム。その最新作となる『しらぬひ』は、実写映像の分野からアニメーションへと転身した片野坂亮監督による、36分の短篇アニメーション作品だ。あのや花澤香菜が声優をつとめ、主題歌は青葉市子が担当している。
「本作は、決して万人に愛されるタイプのエンターテインメント作品ではない」と語るアニメライター前田久が、本作の異色な魅力を紐解く。
※本記事には映画本編の内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。
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新海誠らが所属するコミックス・ウェーブ・フィルムの最新作
コミックス・ウェーブ・フィルムといえば、新海誠監督作品のイメージが強い。アニメ専門誌ではなく、一般向けの媒体に登場するときは、ほとんどがそうした扱いだろう。しかし、同社のフィルモグラフィーを見れば、実際は多様な作品を送り出してきたことがわかる(粟津順監督の『惑星大怪獣ネガドン』『プランゼット』や山本蒼美監督の『この男子、人魚ひろいました。』など)。
創業以来、一貫して若き才能に注目し、その作家性を後押ししながら、いわゆるアートアニメ的なものとは違う、尖ったテイストのオリジナル作品を多数手掛けてきた会社だ。そもそも新海誠監督にしても、2016年の『君の名は。』の大ヒット以降、宮崎駿監督と並ぶ大メジャー作家のような扱いになっているが、もともとは個人制作からスタートし、私的な動機に端を発する内省的な小品を作り上げる映像作家だった。客観的な目で同社を見れば、いわゆる商業アニメの世界に身を置きつつ、そのメインストリームからは適度に距離を保ってきた会社なのだと言えるだろう。
『しらぬひ』はそんなコミックス・ウェーブ・フィルムの最新作だ。36分の劇場用短篇作品で、監督は片野坂亮。1987年生まれ、福岡県出身。成安造形大学の映像クラスを専攻し、在学中から映像制作の現場に参加。大林宣彦監督の薫陶を受け、卒業後は京都を拠点にフリーランスの映像作家として活動。企業のプロモーション映像、テレビCM、実写映画などを制作してきたが、コロナ禍で創作活動に大きな転換を迫られ、アニメーションに活路を見出す。3年間の自主的な訓練を経て短篇を制作し、そこから森りょういち監督との出会いをきっかけに、コミックス・ウェーブ・フィルムで制作進行として商業アニメーションの作り方を学んだ。その経験を活かしつつ、『しらぬひ』でアニメを初監督した。
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「子どもは純粋で善良」というアニメの規範から外れた作品
その『しらぬひ』の物語の舞台は1996年。主人公は海辺の町で暮らす10歳の少年・湊(1987年生まれの監督とはほぼ同い年なのは、意図的なものだろう)。妻に捨てられ、酒に溺れる父と2人きり、荒んだ一軒家で息をひそめるように生きている。

唯一の心の拠りどころは、弁天島に現れる少女の姿をした神さま「べんちゃん」。近隣の人々による信仰はほとんど失われており、湊にしか姿を見ることができない彼女と過ごすひとときだけが、湊にとっては辛い現実を忘れ、自分らしく過ごせる時間だった。しかし、福祉の手が差し伸べられたことで、湊は離れた土地の児童養護施設に一時保護されることが決まる。喜ばしいことのはずなのにどこか浮かないのは、べんちゃんとの別れを伴うから。そして湊は、1つだけ願いを叶えてくれるという、海に浮かぶ不思議な光「しらぬひ」に祈りを捧げる。始まりは子どもらしい純粋な願いだった。しかし、別れが近づく中で不安定になり、より理不尽になっていく父の行動に対して憎しみを募らせた湊の願いは、やがて「呪い」へと姿を変えていく……。

アニメに登場する少年は、幼ければ幼いほど、善良な存在として描かれがちだ。いたずらっ子であっても、それは理由があってのこと。本当はいい子なのだ。根本には「強く正しく明るく」、もしくは「清く正しく美しく」の少女的な理想が投影された存在として登場する。
ハイターゲット向けの作品が乱立している現在であっても、「アニメとは子どものためのものである」という、アニメというジャンルがどこかで背負わされている規範……いうなればアニメの「呪い」でもあろうか。
もしくは宮崎駿の「呪い」でもあるのかもしれない。現実の醜さではなく、「かくあれかし」という理想をこそ、アニメは高らかに歌い上げるべきだ、とりわけ少年の描写においては。……そんな国民的映像作家の姿勢が、生み出してきたアニメーションの圧倒的な魅力に後押しされ、後続の作家たちに与えた影響は計り知れない。スタジオジブリが擁したもう1人の大作家である高畑勲監督は、そんな宮崎の描く理想的な少年像とは異なるもの、アンチテーゼを『火垂るの墓』で描き出して見せたが、その系譜は残念ながら日本のアニメの文脈にあまり根付くことはなかった。
そうした状況を思うと、本作の特異性が際立つ。『しらぬひ』の主人公である湊は、わかりやすい魅力を備えた、素直な少年ではない。いわゆる子どもらしい稚気もあまりなければ、共感を誘うような思春期的なナイーブさを備えているわけでもない。苛酷な現実に傷つけられ、そして、愛される術を失ってしまった少年だ。そんな少年に対して、福祉はきちんとした対応をする。ここも今作の独自性の1つで、多くのアニメが、社会的なものが機能不全を起こしているがゆえに超常的なものを解決策として呼び出すのだが、この作品世界においてその点に問題はない。しかし、それが彼の生存を保証するとしても、心を、魂を救いはしない。そこに悲劇性が宿る。

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本作は「社会派」なのか?
本作は、決して万人に愛されるタイプのエンターテインメント作品ではない。筆者も手放しで楽しんだかといえば、違う。だが、観終わったあと、大きな塊のようなものが胸に残った。考えさせられる……という言葉で済ませるのも、また違う。別に「虐待に対して私たちはこのように向き合わねばならないのだ」と訴えかけるような作品でもない。もしそうなら、福祉の側面がもっとはっきりと描かれるだろう。社会問題の一断面を切り取ってはいるが、今作は必ずしも、道徳の教材のような安全な社会派作品ではない。むしろそうではない特異な角度から、人の心の難しさ、人と人の関係のままならなさに、特異な視点から切り込んだものだと言えるだろう。そこに作品としての力が感じられる。安易な理解を拒むもの。拒絶の美学と、でも、だからこそ、わかってほしいという強い願い。おいそれと共有できないものが描かれているからこそ持ちえている迫力がある。

そもそも言葉で、論理で、伝わらないからこそ、映像という手段、とりわけアニメーションという手段が選ばれるのではないか。聞けば今作は、ラフ原画全325カット中、約3分の2を監督が自ら担当しているのだという。アニメーター出身でもなければ、マンガ家やイラストレーターといった別領域の絵のプロフェッショナルであったわけでもない監督がこれだけのことをやる意味は、伝わらないものをどうにかして伝えたいという、もどかしさとの格闘の結果のように筆者の目には映った。
初期衝動と表現意欲に突き動かされた作品。ただ、一方で今作は、川尻将由監督『ある日本の絵描き少年』、岩井澤健治監督『音楽』、鈴木竜也監督『無名の人生』といった、近年話題を集めた作家性の強いアニメーションともまた違った感触を持っている。あくまでワークフロー自体は通常の商業アニメ的に作られており、クライマックスの超常的な描写などの幽玄な美はそこからもたらされているのだろう。物語の内容もだが、映像のスタイル自体もユニークな作品で、そうした意味でも注目してほしい。上記の作家たちの作品と並べて、日本映画界の中で今、大メジャーなアニメ作品とは違う立ち位置のアニメ映画が織りなす星座について考えてみるのも、実り多いことではないかと思う。いくつもの観点から、一見の価値はある作品だ。
『しらぬひ』

出演:あの 花澤香菜 三木眞一郎
原作・脚本・監督・作画監督:片野坂 亮
音楽:梅林太郎
主題歌:青葉市子「しらぬひ」(hermine)
美術監督:小林海聖
色彩設計:山本智子
撮影監督:津田涼介
制作プロデューサー:濱﨑周平
プロデューサー:新井修平
アニメーション制作:コミックス・ウェーブ・フィルム
製作:しらぬひ製作委員会
配給:ギャガ
©2026 片野坂亮/しらぬひ製作委員会
2026年/日本/カラー/ビスタ/5.1ch/36分
公式HP:gaga.ne.jp/shiranuhi/
公式X:@shiranui_movie