3rdアルバム『花落知多少』(はなおつることしるたしょう)をリリースした君島大空にメールインタビューをする機会を得た。本人に送る質問状を書いている時間は、まるで手紙を書いているような気分だった。この『花落知多少』というアルバムが、しばらく会っていなかった、でも確かにずっと存在を感じている、そんな友人から送られてきた手紙のような体温を感じさせたからかもしれない。
語られていないことを語ってもらうことの恐怖や、自分が書く感想が本人にとって暴力になり得る可能性への怯え。そんな葛藤を抱えながらも、言葉にすることから逃げてはいけないと思い、対面のインタビューでの瞬発的な判断とは違うベクトルで、少し時間をかけて向き合った。最終的には、質問状を書いている間、ずっと部屋に流していた『花落知多少』に背中を押されたり、さすられたりしていたような気がする。
君島大空がすべての楽器をひとりで演奏し作り上げたアルバム『花落知多少』は、豊かな静けさを持っていて、その静けさゆえに過激なアルバムでもある。このアルバムに刻まれた眼差しは、花が落ちてしまったことを確かに知っている。それでもなお目を開き、世界と自分との距離を見つめ、自分を保ち、明日を見ようとする、その眼差しの静かな強さが私を確かに勇気づける。
質問状を送って数日後に、君島大空から回答が返ってきた。その文章を読んで胸がいっぱいになった。彼が書いてくれた言葉には、私が『花落知多少』を、君島大空の音楽や彼の活動を、愛する理由がたくさん詰まっていた。
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「アルバムフォーマット」への疑念を経てたどり着いた『花落知多少』
─アルバム『花落知多少』を聴かせていただきました。まるで手紙のようなアルバムだと思いました。2曲目“Drowsy”には<最近どうしてる? / 手紙出すよ / こっちはもっぱら / 幽霊の真似さ>という歌詞もありますね。今回、対面ではなくメールインタビューという形でお話を伺えることになりましたが、それがこのアルバムに似合っているなと思い、僕は勝手に嬉しく思っています。今、『花落知多少』のCDを部屋で流していますが、アルバムの美しいサウンドに僕のすぐ側で回っている扇風機の音も混ざります。こうやって生活の音が混ざるような音楽の聴き方も僕は好きです。君島さんは家で音楽を聴く時、どんなふうに聴くことが多いですか? また、最近買ったCDはなんですか?
君島:ありがとうございます。僕も制作中に手紙のようだなと思っていました。音楽を流していたい時は、制作に使うスピーカーから小音で鳴らしています。それこそ生活の下地のように鳴っていてくれると、自然と聞き耳を立てるので所作が整う気がしています。撮影で女性用のドレスを着たことがあるのですが、腕を上げたり腰かけたりといった日常動作に制約がかかるんです。でも、その制約によって体の動きが美しくなる、そういった姿勢の記憶に近似値がある気がします。集中して聴きたい時はイヤホン、ヘッドフォンで聴きます。
CDを買わなくなったんですが、代わりにBandcampで音源を購入するようになりました。最近はCome le onde(Andrea Porcu)というアーティストの『staring at the ceiling at 3 am』というアルバムを購入しました。写真も本人が撮っていて、とても美しいコンセプトのアンビエント作品です。
─少し振り返った話をさせていただくと、僕は、君島さんが最初のフルアルバム『映帶する煙』(2023年)をリリースされた時、実は少し驚きました。あの頃、僕は「もしかしたら君島さんは、いわゆるアルバムというフォーマットの作品は作らないのではないか?」と思っていたのです。少なくとも「流れ」で作るようなことはなく、そのフォーマットに納得しなければ作らないだろう、と。今回の『花落知多少』は『映帶する煙』、『no public sounds』に続いての「3rdアルバム」とクレジットされています。君島さんにとって「アルバムを作る」とはどのような行為なのでしょうか?
君島:『映帶する煙』の頃、実は僕も驚いていました(笑)。活動当初からいわゆるEPやアルバムというフォーマットとその型、特に日本のポップスの作法みたいなものに疑念めいた気持ちがありましたから。型を逸脱する方法を考える方が好きですし、自分にとって自然な行為です。
でも、最近ふと「とはいえ私は日本語の歌に生かされてきたし、極私的な括りでのアルバムアーティスト(Mr.Children、サザンオールスターズ、YUKI、Chara、Salyuなど)が好きだな」と思うことが増えました。そこで改めて自分の作り方を見直したり、好きなアルバムを聴き返したりしていたら、作るものと聴くものの距離感に対して客観的になってきて、今までよりもフォーマットの捉え方の自由度が上がったなと思います。アルバムは言葉通り写真集のような性格もあるし、私が作品を作る時に大事にしている感覚は、綺麗に水が流れるような川を作ることです。
─本作『花落知多少』に演奏者としてクレジットされているのは、君島さんの名前のみです。ただ、決してシンプルな弾き語りの作品ではなく、様々な音が響き合ううえで、君島さんの歌が大切にされている、そんなアルバムだと思いました。「君島さんが作っていそうで、でも作っていなかったタイプの作品」と言えるようにも思います。今回、他の人の手を借りず、ひとりだけで作ろうと思ったのはなぜなのか。それについて作り始める段階で感じていたことと、作り終えた今感じること。それぞれ教えてください。
君島:作り始める前はとても自分に疲れていました。合奏形態での東京ガーデンシアターの公演が終わって無風状態になっていたのと、体調も精神状態も良くありませんでした。でも、私の創作の変わらない核は、まずその最低の状態を自己治癒することだなと気づきました。
誰に伝えるまでもないけど「確かにあった時間」、それが美しくても汚くても喜ばしくても悲しくても、書き留めることで息を繋いできました。今回は自分で歌い始めた頃、最初に音楽でやりたかった景色を、10年前に初めて自分のために書いた曲を録り直しながら、気持ちに正直に、日記を書くように自由に作りました。
─制作中、途中段階の音源をどなたかに聴かせたりはしましたか?
君島:できあがる前にたくさん友達に送りました(笑)。えんぷていの奥中(康一郎)くんに聴いてもらった時に「これは君島大空コアですね」と言ってもらえたことが印象的でしたね。
─本作を制作されていたのは、いつ頃ですか? その期間は君島さんにとってどのような時間だったと言えますか?
君島:2026年の3~4月です。その期間は電話にも出られないし、インターフォンも取れないし、外界を完全に遮断してしまって。自分は人間と会えないなと思って過ごしていました。でも、ひとりになることで、正確に自分を捉え直す機会になりました。心の底に波のたっていない湖面があるのですが、そこへ視線を投げ続けるような春でした。

2019年の本格始動以来、自宅録音を基盤に制作からミックスまで自身で担い、独奏、合奏形態 [ 西田修大(Gt)、新井和輝(Ba/King Gnu)、石若駿(Dr) ]、トリオ [ 藤本ひかり(Ba)、角崎夏彦(Dr) ]と自在に表現の幅を拡張してきた音楽家。これまでに4作のEP、2作のフルアルバムを発表し、2023年1月の1stフルアルバム『映帶する煙』は『ミュージック・マガジン』誌年間ベスト〈日本のロック〉第1位を獲得。同年9月発表の2ndフルアルバム『no public sounds』はAPPLE VINEGAR – Music Award -大賞を受賞し、その創作の強度と独自性を決定づけた。2024年にはtiny desk concerts JAPANへ日本人アーティスト第3弾として出演、2025年には『FUJI ROCK FESTIVAL ʼ25』 GREEN STAGE出演、2026年1月には東京ガーデンシアター単独公演を成功させるなど、いずれも合奏形態としてのライブアクトとして着実にスケールを拡大。シーンの大きな期待を集めるなか、約3年ぶりとなる待望の新作フルアルバム『花落知多少』をリリース。
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孤独な制作のなかで響く音楽たち。たったひとつのリファレンスとしての「自分」
─『花落知多少』のように、「ひとりで作り上げられた音楽作品」というのは世界にたくさんありますが、そのなかで君島さんが好きな作品がありましたら、いくつでも構いませんので教えてください。
君島:空中泥棒『Gongjoong Doduk』、Kidsaredead『Klouange Skyline』、ウェンディ・アイゼンバーグ『Collected early works』、クリス・ワイズマン『Monet In The 90s』です。
─挙げていただいた作品は、君島さんにとってどんな出会いのきっかけや、魅力を持った作品たちですか?
君島:空中泥棒は初めて出会ったのが三鷹の「おんがくのじかん」というライブスペースで、店主の菊池(さとし)さんが韓国のCDショップで買ってきたのをお店のスピーカーで聴かせてくれました。当時日本であのお店にしかなかったんじゃないかな(笑)。いくら調べても情報が何もなくて。でも、その顔の見えなさが気にならないくらい、音に名前が書いてある音楽だと思いました。
君島:KidsaredeadはSoundCloudで見つけました。行き当たりばったりでマジカルな構成と音楽への憧れ、羨望のようなものがとても美しいと思います。
君島:ウェンディ・アイゼンバーグとクリス・ワイズマンはどちらもジャズギタリストで、それぞれソロ作品の中では歌も歌っています。やはりどうしても歌を歌わざるを得なかった人の発声というものが好きで、最近は歌ってない友達にバッキングコーラスを歌わせたいな~と妄想が捗っています。
─『花落知多少』の制作に影響を与えたと感じる、あるいは直接的に楽曲のリファレンスになっている作品がありましたら教えてください。
君島:今までの自分です。
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ノイズを削ぎ落とし、必要な場所に人を座らせるサウンドメイク
─今回はジャケットの写真も君島さんが撮影されています。時間帯は、早朝にも、夜にも見えます。この写真はどのように撮影されたもので、君島さんにとってどんな写真なのでしょうか。
君島:これは数年前に京都の鴨川に桜を見に行った時のポラロイドです。時間帯は多分夕方でした。曇っていたのとSX-70という滲みの描写に特徴のあるカメラのおかげで不思議な写真です。自分の中にある湖面に近いというか、こういう静けさに落ち着きます。

─『花落知多少』の録音場所として「Recorded at Home」とブックレットに記載されていますが、君島さんが音楽制作をされている「Home」とはどんな場所で、その場所で音楽を作るためにどんな空間づくりを心がけていますか? また、『FUJI ROCK FESTIVAL』や東京ガーデンシアターでのワンマンなど、大きな会場での演奏もされてきたうえでご自身の「Home」を見つめ直した時、以前との空気感の違いは感じますか?
君島:ひとりの部屋で作ったものが大勢の一人ひとりに届くことを考えると、やる気が出るというか、どんなふうにびっくりさせてやろうか、という具合に心に潤いが生まれます。今の自室は、部屋作りの余裕がないほど機材が多いので今後なんとかしたいですが、大きなスタジオを持ちたいと思ったことはありません。いつも変わらないようにいたい場所なので、部屋の雰囲気や作りは多分物心ついた頃から変わっていないように思います。

─サウンドメイクについて、今作ではガットギターの他にも、メロトロン、コンサーティーナ、コードハープなど多彩な楽器が使用されています。個人的には“Drowsy”のメロトロンの響きが大好きでした。特に今回の制作期間で「今の自分の気分に最も寄り添ってくれた」と感じる楽器と、その理由を教えてください。
君島:12弦ギターとメロトロンですね。前者はハープのようでもありクラッシュシンバルのようでもあり、後者はサンプラー、シンセサイザーとしての性格も有していて美しい楽器だと思います。僕も“Drowsy”のメロトロンの音色が作れた時は嬉しかったです。まだまだ勉強ですが、サウンドメイクというのは、必要な場所に必要な椅子を置いて、必要な人を座らせることがすべてだと思います。
─“夕映の坂から”で取り入れられているフィールドレコーディングの音は、どのように録音されたものですか? また、今作のミックスや音響面において、新たに挑戦したことやご自身で手応えを感じている部分はありますか?
君島:<大きな音がした>という歌詞にかかっている周期性のあるノイズは、5年ほど前に九十九里の海辺で録音したラジオノイズです。気に入っている音で、『映帶する煙』の“扉の夏”という曲でも同じ音を使っています。
録音の時に特に気を遣ったことは、とにかく徹底的にノイズを減らすことでした。もちろんそういう質感も大好きですが、再生した時にサーっていうノイズが鳴る音源にしたくなくて、空間から急にぬらっと音が発つような音源にしたかった。この点はかなりうまくできたと思っています。