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Teleが語る劇団・南極の魅力。作り手としての共感とリスペクトを込めて

2026.6.23

#STAGE

緻密な脚本と独自のユーモアで骨太なテーマを包み込む作風に、演劇ファンのみならず、さまざまなクリエイターたちから熱い視線を集める劇団・南極。

2026年5月に上演された最新公演『ホネホネ山の大動物』は、2022年に第2回本公演として上演した作品を再演したもの。19世紀末アメリカで実際に起きた「化石戦争」をモチーフに、発掘に情熱を燃やす研究者たちの栄光と失墜を描く。史実を南極だけの言語へと大胆に翻訳し、笑いと哀愁、そして「名前をつけること」の意味を問いかけながら、軽やかに、しかし確かな余韻を残す作品だ。

かねてより「南極が好き」と公言するアーティスト・Teleに、『ホネホネ山の大動物』を観てもらい、終演直後の客席でその感想を聞いた。

作品への興奮が冷めやらぬ中で語られたのは、生で作品を観ることの価値や、自身でライブの演出も手がける中で感じる、同じ作り手として南極が作る世界への深い共感とリスペクト。南極作品の演出のあり方を通して、Tele自身がライブ演出に込める想いも紐解く。

南極との出会いは2024年。以降欠かさず観劇する熱心なファン

『ホネホネ山の大動物』をたったいま、ご覧になったばかりですが、まずは率直な感想としてどうでしたか?

Tele:本当に観てよかったです! いや、おもしれー!(笑)『ホネホネ山の大動物』は、再演じゃないですか。実は、今回お引き受けするにあたって、こんにちさん(南極の作 / 演出を務める「こんにち博士」)に初演の映像を事前に送ってもらってたんですよ。でも、結局観れなくて。ちょっと言い訳をさせてもらうと、初演を観てからだと、「ここが変わったんだ」とか「これは初演にはなかったな」みたいな目線になりそうだなと感じて、初見で観たくなっちゃいました。

Tele(テレ)
突如音楽シーンに現れた、令和のトリックスター「Tele」。コロナ禍の中、ミュージックシーンに姿を現し、Spotifyが飛躍が期待される注目の新進気鋭アーティストを選出する「Early Noise 2023」にセレクション。その後コンスタントに楽曲をリリースし、2024年6月1日の初の日本武道館公演を皮切りに全国9ヶ所を巡るツアー『箱庭の灯』を完遂。2025年3月からは横浜アリーナ公演を含む全国9ヶ所12公演のツアー『残像の愛し方』を開催。同年4月23日アルバム『残像の愛し方、或いはそれによって産み落ちた自身の歪さを、受け入れる為に僕たちが過ごす寄る辺の無い幾つかの日々について。』をリリース。2025年から2026年にかけて12月13日幕張メッセでのワンマンライブを含む全国ツアー『蟲』を行なった。2027年3月22日にはKアリーナでのワンマンライブを開催予定。才能爆発前夜、令和新時代に生まれた革命的歌詩人、谷口喜多朗のプロジェクト「Tele」。時代が生み落とした確かな存在が、静かに、虎視眈眈と、今、狼煙を上げる。

—ファン心理としてはよく分かります(笑)。もともと、演劇はお好きなんですか?

Tele:正直、そんなに観劇経験が多いわけではないんですよね。高校のとき、演劇部だった友達と仲良くて、一緒に早稲田大学演劇研究会の作品を観に行ったり、母親がもともと舞台の裏方出身ということもあって、劇団☆新感線などに触れたりはしてました。

高校時代は特に、開幕ペナントレースという劇団にハマってて。トイレットペーパーで巨大なトイレを作って、その前で『マクベス』をやるみたいな、そういう前衛的な表現をする劇団だったんですけど、ずっと好きでしたね。

南極は、友達に教えてもらって『バード・バーダー・バーデスト』(2024年)を観たのが出会いです。そのときに「おもしろ!」って思ってから、『wowの熱』(2025年)、『ゆうがい地球ワンダーツアー』(2025年)、こんにちさん監督の映画『チャオ・ヤングの墓』(2026年)など色々観てます。

南極のInstagramより『wowの熱』にTeleが寄せたコメント

南極はいつも「情熱と冷静のバランスがすごくクール」

今回の『ホネホネ山の大動物』は、どういうところが面白かったですか?

Tele:まず、脚本が上手すぎますよね。恐竜というテーマは、こんにちさんが恐竜好きで(スティーブン・)スピルバーグ好きだっていうところから始まっていると思うんですけど、「モノを作ってそれを人に発表する行為」と「化石発掘」というものがこんなにも美しく重なるんだって感動しました。

物語の中では、九輪九作と星干男という化石発掘のライバルが、どちらも熱に焼かれて命を落とすんですけど、それが「外からの熱」なのか「内から生まれた熱」なのかという対比になっていて、お話が上手すぎるなと。

『ホネホネ山の大動物』あらすじ:およそ100年前。世界はダイナソーラッシュと呼ばれる化石発掘の黄金期を迎えていた。幼少期より自然の摂理に興味を持ちながら裕福な家庭で育ち、偏屈な古生物学者になった星干男(ほしほしお)。貧しい農家に生まれ泥にまみれながら勉学に励み、こちらも負けじと偏屈な古生物学者になった九輪九作(くーろんきゅうさく)。 はじめ友人だった二人はやがて対立し、お互いの研究の邪魔をしたり、化石を取り合うようになる。落とし穴、スパイ、破壊工作、雑誌や地元住民の買収、新種の捏造。後に「化石戦争」と呼ばれることになるこの騒動は激しくエスカレートしていく……。 / 撮影:田中直樹

Tele:しかも演劇って、映画やドラマと違って、マイクで収録して調整した音を届けてるわけではないからセリフが聞き取りづらいこともあるじゃないですか。南極はそういった環境であってもお客さんを置いていかないし、何より物語としてクサくないのがすごい。

—クサくない、というのは?

Tele:ちゃんと考察しようと思えば、創作論的な視点でも、人生の意味みたいなところでも深掘ることができるテーマを、最終的にはユーモアで包んでいる。それって、かなりすごいバランス感覚だなと思って。

例えば、作中にあった11年後に行われたパーティーで、みんながお酒を飲みながら歌い出す場面。あそこはもっと感動させるようなシーンにもできるのに、隣の部屋にいる大臣から壁をドンドンと叩かれて「次口開けたら殺すぞ」って言われて、みんなが口を閉じながら歌い出すっていう(笑)。このウィットさというか、南極は情熱と冷静のバランスがすごくクールだなと、毎回思うんですよね。

『ホネホネ山の大動物』舞台写真 / 撮影:田中直樹

—確かに、情熱と冷静のバランスとか、嘘と本当のせめぎ合いのようなことをよくしているイメージがありますね。

Tele:でも、意外とメタには逃げないんですよね。「実はこれが劇中劇でした」みたいに劇の外に逃げない。今回だって、実際に起きた出来事(化石戦争)を、登場人物まで全部変えて自分たちの言葉に置き換えてから上演している。それがすごく、自分たちが作るモノに対して誠実な態度だなと思うんです。

作中でも「名前をつけることが全てだ」という話があったじゃないですか。実際に起きたことだけを見れば、化石戦争から第一次世界大戦に至るシリアスでドロドロした悲劇なんですけど、南極がそれを掘り出して名前をつけたらコメディーになる。掘り出して名前をつけた責任をちゃんと全うするために、あの終わり方があったと思ってて。狙ってやってるのか、偶然生まれたアナロジーなのかは分からないですけど、めちゃくちゃかっこいいですね。

生の表現に意味があるのは、「0の値」を決められるから

—今回は美容師やカメラマン、音楽家といった、実際にその職業に従事する方がそのまま出演する「実演家」という仕掛けも特徴的でしたが、あれはどう読み解きましたか?

『ホネホネ山の大動物』舞台写真より、濵本奏(写真家)がステージで撮影した写真が投影されるシーン / 撮影:田中直樹
『ホネホネ山の大動物』舞台写真より、金納敏昭(美容師)が役者の髪を切るシーン / 撮影:田中直樹

Tele:僕はもともとバンドマンとしてライブハウスに出てたんですけど、ステージには見世物小屋的な側面があると思うんです。僕が中高生のときに行ってた千葉の松戸のライブハウスでは、ステージの上で裸になる人とかがいたりして(笑)。ステージの上には、観客が思ってもいなかったことが起こる、その期待感が絶対あると思うんですよ。

言ってしまえば、ステージの上で美容師が演者の髪を切るって、かなりアバンギャルドなことじゃないですか。実際に切ってるわけだから。ものすごく突拍子のないことをやってるはずなのに、ものすごく自然に登場してたし。それがすごくかっこいい、上手だなって思いましたね。

「アバンギャルド」というキーワードが出ましたが、目の前で「予想もしていなかったことが起こる」というのは、こうしたライブで表現する作品には必要だと思いますか?

Tele:僕は絶対に必要だと思っていて。それがないなら、テレビやYouTubeでいいじゃんってなります。

正直に言うと「生で体験しなきゃ」という話は、ほとんど嘘だと思ってるんですよ。音楽のライブだって、スピーカーで反響した音より、ちゃんとミックスで調整された音の方が絶対かっこいいし、音楽として正しく伝わる。演劇だって、脚本としては映像の方が正確に伝わる部分もあると思う。だからこそ、そうじゃないんだっていうところを作るために、演出とアバンギャルド性があると思っていて。

僕は、ステージを自分たちで作って照明を当てて演じることで、「0の値」を自分たちで決められると考えています。

「0の値」?

Tele:演技が上手とか、顔がかっこいいとか、そういう相対的な評価の出発点を自分たちで決められるというか。例えば、歌番組だと世間的な「歌の上手さ」というもので相対的に評価されてしまうと思うんです。もちろん、その相対的な評価の中で戦っていく競技的なエンタメの面白さもありますが、ステージを自分たちで作ると「このステージにおいては、こういうもの“とする”」ことで世間的な物差しを一度取り払うことができる。

この「~とする」というのが、アバンギャルドなことをする上で必要だと思ってます。不特定多数の人が観ているメディアでは、どうしても社会通念上の「0の値」があって難しいので、こうしたライブの場でこそ、アバンギャルドなことができるのかなと。

今回、実演家として出演していた方々の演技は、本職の役者と比べたら上手ではないのかもしれないですが、このステージにおいては淡々と喋る感じがすごくハマってました。

あの世界に違和感なく存在していましたね。

Tele:でも同時に、その「〜とする」が逃げになっちゃいけない。実際に髪を切るとか、実際に写真を撮るとかって、僕らの生活につながってるから、ともすれば物語の外にある現実を意識させてしまいかねない。そのバランスがとても重要だと思います。

Teleのライブ演出への美学。演出は「客席を一つにさせようとする行為」

Tele:僕は横浜アリーナでライブしたときに、お客さんの「何か突拍子のないことが観たい」という、ある意味で下世話な気持ちをこっちで全部制御しようと思って、ステージ上に幕を2枚張る演出をしたことがあって。

―2025年の『残像の愛し方』ツアーですね。

Tele:あのツアーは、お客さんの欲望をこっちでコントロールするっていう、かなり支配的な感情で始めた演出でした。

でも、この演出においては「〜とする」の先にちゃんと快感を用意していて。1枚目の幕は映像投影のためのスクリーンとして、もう1枚は僕らのシルエットが見えながら映像投影もできるスクリーンとして。その際、幕の中で起きていることとスクリーンに映している映像を変えて、僕が黒装束の集団に襲われるシーンがあったりと、肉体性のあるアバンギャルドな仕掛けをいろいろと行いました。自分たちで「~とする」という前提条件を作っているのだからこそ、その条件の中では一番ピーキーなことを丁寧にやるということが、大事なのだと思っています。

Tele Tour 2025『残像の愛し方』より / 撮影:太田好治
Tele Tour 2025『残像の愛し方』より / 撮影:太田好治
Tele Tour 2025『残像の愛し方』より / 撮影:雨宮透貴

いまご説明いただいた演出も含め、Teleのライブ演出はとてもコンセプチュアルだなと感じるのですが、喜多朗さんが自身のライブ演出で意識していることはありますか?

Tele:一昔前は「お客さんに想像の余地を残す」ということがあらゆるジャンルで言われていたじゃないですか。音楽で言うと、みんなが一つになるっていう行為に対してのアレルギー反応が2020年ごろまではずっとあったと思うんですよ。クラップする、手を挙げる、そういうものに対して「それは違うんじゃないか、みんなバラバラでいいよね」という流れがあって。でも僕は2022年にデビューして、コロナを経てお客さんが声を出せないライブをたくさんやってきたので、新しい「一つになるやり方」を考えなきゃって強く思ったんですよね。

その方法に演出が関わってくる、と。

Tele:そうですね。フェスでミュージシャンが「手上げろ」とか「クラップして」って言うのも演出行為なんです。僕は「今起きていることは何ですか」「これはどう感じたらいいんですか」ということを示すのが演出なんじゃないかと思っていて。だから演出をするってことは、客席を一つにさせようとする行為なんです。

でも、演出によって客席が一つに向かう中で、「いま向かっている一つは、良い一つなんだろうか」とはよく考えます。演出によって導く先が「みんなにとって良いもの」なのか考えることが、演出には大切だと思うようになりました。そういうところを演劇の現場から勉強したいなという気持ちから演劇を観ているので、僕があまり大仰なことは言えないです(笑)。

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