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膨大なシリーズを「履修」するハードル
『スター・ウォーズ/マンダロリアン・アンド・グローグー』を公開初日に鑑賞してきた。
『スター・ウォーズ』シリーズの7年ぶりとなる劇場公開映画で、2019年よりDisney+にて配信された『スター・ウォーズ』シリーズ初の実写ドラマ『マンダロリアン』を受け継ぐ作品だ。
『マンダロリアン』にはこれまで3シーズン・全24話のエピソードがあり、また、別のドラマシリーズ『ボバ・フェット(The Book of Boba Fett)』も、7話のうち3話が『マンダロリアン』と大いに関係している。加えて、ご存知のように『スター・ウォーズ』シリーズには、「本編」となる実写映画9本に加え、スピンオフ映画、アニメシリーズ、ドラマシリーズの膨大なフランチャイズが存在し、今回の映画はそれらの物語世界とも「地続き」のものでもある。
もはやイチから全て「履修」するのは物理的に困難な状態にあって、「過去作を見ていないと新作を楽しめないのでは?」という疑念は、新規客参入の大きなハードルとなっているはずだ。当然、制作サイドもその点は重々考慮しているはずで、「初見で楽しめる」つくりが(こと劇場映画に於いては)強く意識されていることは想像に難くない。
実際、監督を務めたジョン・ファヴローは、今作についてのインタビューなどで「単独の映画として見て楽しめるものにした、予備知識はいらない」という点をたびたび強調している。もともとドラマのシーズン4として予定されていた脚本をゼロから再構築し、自分自身が子どもの頃にはじめて『スター・ウォーズ』を見たときの体験をもたらすような映画を目指したのだという。
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予備知識不要な、宇宙版『子連れ狼』
では、その目論見は成功していたのか。「予備知識不要」という点については、完全にイエスと言っていいだろう。
『マンダロリアン・アンド・グローグー』を見る上では、『スター・ウォーズ』本編の物語上の歴史も、フォースとは何かも、マンダロリアンという民族に共有される教義も、全く知っている必要はない。彼らが纏う(ベスカーという金属で作られた)アーマーの硬さも、緑色の小さな生き物=グローグーが何百年も生きる種族であることも、作中で無理なく説明される。今作の重要な登場人物(といっても人ではないが)ロッタをめぐるパートは、彼の父ジャバ・ザ・ハットが何者か知らなくても、存分に楽しめるつくりになっている。
ストーリーの土台は、ドラマ『マンダロリアン』を踏襲している。すなわち、宇宙版『子連れ狼』(※)である。
※『子連れ狼』:1970年代に連載されていた小池一夫原作の時代劇漫画で、たびたび映画化 / ドラマ化されている。主人公の素浪人・拝一刀が、その幼い長男・大五郎を乳母車に乗せて流浪の旅をしながら、さまざまな事件に巻き込まれていく。
舞台ははるか彼方の銀河系。悪の帝国が反乱軍によって打倒されたものの、新しい共和国による政治体制はまだ安定しておらず、辺境の星では強盗や無法者、帝国の残党がはびこっている。主人公のディン・ジャリン(ペドロ・パスカル)は賞金稼ぎとして活動していた人物で、あるミッションの中で偶然出会ったグローグーという小さな緑色の生き物を、行きがかり上守り助けざるを得ないことになり、行動を共にしている。このグローグーはなにやら不思議な力を持っており……。
映画もドラマと同じくこのフレームの中で展開していく。ドラマ『マンダロリアン』は、全体を通した大きなストーリーラインは存在するものの、一話完結的な性質も持っていた。『マンダロリアン・アンド・グローグー』もそれを受け継ぎ、「一話完結のドラマ3話分」のような映画になっている(まさに「TVヒーロー番組の劇場版」らしい手法だ)。
試写やプレミアの感想を眺めている中で、「スター・ツアーズ」(=ディズニーランドにある『スター・ウォーズ』のアトラクション)のようだ、という評言を目にしたが、言い得て妙だと思う。シリーズ定番の戦闘シーンや危機一髪のエッセンスを、説明を求める隙もなく次々に投入し、飽きさせないつくりは、さながら5分間のライドのようだし、実際4DXやMX4Dで鑑賞したらより楽しめるだろうと思う。
また、「フィギュアを並べたような映画」という感想も、的確だと感じた。そのコメントは批判的な文脈で書かれていたものだが、良い意味でもその通りだと思う。『マンダロリアン』〜『マンダロリアン・アンド・グローグー』は、『スター・ウォーズ』が持つ多様な魅力の中で、「宇宙を舞台とした活劇(西部劇 / 時代劇)」という側面を強く引き継いだシリーズだと言える。よくわからない生き物や、よくわからないメカがひしめき合う世界で起こる、ハラハラドキドキの物語。いわば、「おもちゃを戦わせて遊んだりしたくなるような」タイプの作品なのだ。
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「大きな物語」の不在は気になるものの……
かたや、どこか物足りなさを感じてしまうのも事実だ。その原因は、おそらく大きな物語の不在にあるのではないだろうか。
たしかに、『スター・ウォーズ』に通底する「父と子」(つまりエディプス)の物語も、ディンとグローグーのみならず、ジャバとロッタを通してまた新しい形で描かれてはおり、実際ロッタのシークエンスは本作のハイライトと言える。だが、本作の大部分は、目まぐるしい戦闘シーンの連続であり、そこでは映像的な迫力や息をつかせぬ展開が「物語」よりも優先されているような印象を受ける。
ここで言う大きな物語とは、(いかにもシリーズのファンが期待しそうな)スカイウォーカーサーガやアソーカユニバース、シークエルとの接続のことではない。それは言い換えれば、我々の実存や社会と接続し得るようなフレームの不在であり、政治性の不在だ。
第1作の『スター・ウォーズ』(1977年。現在の呼び方で言う『エピソード4/新たなる希望』)は、痛快な宇宙西部劇であると同時に、帝国に反乱軍が立ち向かうという、当時のベトナム戦争の構図をなぞった物語であった(帝国のキャラクターには、ナチスを想起させるデザインやネーミングが与えられた)。
1999年から2005年に公開されたプリクエルトリロジー(=エピソード1〜3)の物語は、政治そのものである。銀河征服を企む議員(のち議長)が、自身が裏で手を引く戦争を利用して非常時大権を獲得し、皇帝となり、共和国は帝国に化していく。いま多くのファンから指摘されているように、アメリカの現状や、現在日本で審議されている緊急事態条項、さらにはホルムズ海峡を取り巻く問題とも重なってみえるストーリーラインを有していたのだ。
さらにはあの(新しい物語を構築する無限の可能性が開かれていたのに、旧作のリブートに終始してしまった)『エピソード7/フォースの覚醒』(2015年)でさえ、フィンというキャラクターを通じて、兵士として戦闘や残虐行為に参加することの恐怖や葛藤が新たに描かれた。『エピソード8/最後のジェダイ』(2017年)は、神話の解体を試みつつ、カジノ都市カント・バイトのシークエンスで、エスニックマイノリティ、貧富の差、戦争ビジネスなどの問題を描き出した。
翻って本作には、何か現実を照射するような構造が存在しない。それゆえ、私たちは本作の中で、腕力や爆撃によって物事が「解決」されることに、さほど抵抗や屈託を感じずに済む(幸い、それで退治されるのはドロイド=無生物と、猛獣や巨大生物がほとんどである)。それは必ずしも悪いことではないだろう。だからこそ本作は、前述のように「おもちゃを戦わせて遊んだりしたくなるような」子どもも楽しめるエンターテインメント作品、という目標を達成しているのだから。
かたや『スター・ウォーズ』の持つ政治性を一手に引き継いだのが、ドラマ『キャシアン・アンドー』(2022〜25年)だ。同作は、圧政や動乱のリアリティ、その中でのさまざまな立場の「市民」の行動と感情をありありと描いた。シリーズ随一の大傑作であることは間違いないのだが、帝国士官によるレイプ(未遂)や、「味方」サイドによるテロ行為、薬物依存を想起させる描写などもあり、子どもも楽しめるとはおよそ言い難い。不可能な願いなのは承知のうえで、『キャシアン・アンドー』と『マンダロリアン・アンド・グローグー』両方の長所を備えたような新作がもし存在し得たらいいのにな……と夢想してしまう。
