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クィア映画の新潮流。『ドランクヌードル』監督は、性愛を詩的な営みとして描く

2026.5.1

#MOVIE

人間はさまざまなものにわかりやすく区別をつけたがる。夢と現実、孤独と繋がり、聖と俗など、その境界線ゆえに人は安心を抱く。しかし現実には、そう割り切れるものばかりではない。ルシオ・カストロ監督の『ドランクヌードル』は、そうしたさまざまな境界線に揺さぶりをかけるようなユニークな作品で、「カンヌ国際映画祭2025 ACID部門」でも話題となった。マジックリアリズムを織り交ぜた不思議な世界観の中で、クィアの美大生アドナンのさまざまな人との出会いを綴っていく。

今回、ゲイカルチャーに詳しい映画・音楽ライターの木津毅がカストロ監督にインタビュー。境界線を揺さぶる演出の意図や、クィア表現における本作での意味、欲望との向き合い方などを聞いた。


※本記事には映画の内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。

ゲイのセックスを捉え直す、クィア映画の新潮流

人間にとって、欲望とはいったい何だろうか。それはもちろん普遍的な問いだが、とりわけクィア表現においては重要なテーマとなってきた。異性愛規範が中心に置かれた世界では同性愛の欲望は抑圧されるが、だからこそ、クィアの表現者たちはそれが解放される瞬間をさまざまな形で描いてきたのだ。

アルゼンチン出身、ニューヨークを拠点に活動するファッションデザイナーでもある映画監督ルシオ・カストロの長編デビュー作『世紀の終わり』(2019年、日本では映画祭『レインボーリール東京』で上映された)は、偶然出会った青年二人が過ごす時間を叙情的に映した一作で、21世紀におけるゲイ映画の金字塔とされるアンドリュー・ヘイ監督作『WEEKEND ウィークエンド』(2011年)以降のクィア映画という風情をたたえていた。

カストロの新作『ドランクヌードル』(2025年)は、美大生のアドナンを主人公とし、彼がブルックリンの街やニューヨーク北部の森で出会った男たちとセックスをしたり会話したりするさまを、柔らかな光に包まれた映像で捉えた作品だ。

近年、ノルウェーのダーグ・ヨハン・ハウゲルード監督作『LOVE』(2024年)や香港のジュン・リー監督作『クィアパノラマ』(2025年)など、ゲイのセックスを通じた出会いを「空虚なもの」ではなく、「情緒的なもの」として描くクィアの作家による作品が目立っているように思えるが、『ドランクヌードル』もそれらに連なるものと言えるだろう。カストロは、ささやかな出会いのなかから生まれる機微を描くことに強い関心を抱いているようだ。

ルシオ・カストロ:映画というのは、瞬間を捉えるものだと思うんです。すぐに消えてしまうもの、ほとんどその場で消えていってしまうものを。一瞬、何かをフレームに収めたと思ったら、もうそれは消えてしまう。それは、誰かとの短い出会いの体験にも似ていると思います。消えてしまうものを捉えているんです。

私は子どもの頃から、母の影響で映画が大好きでしたが、30年前に1時間半だけ観た映画でも、自分にとても大きな影響を与えています。それは短い出会いと似ています。出来事そのものは消えてしまうけれど、何かが残る。香りのように、余韻として残り続けるんです。

夢と現実はわかりやすく区別できるか? 監督からの問い

映画ではアドナンがいろいろな男たちと過ごす時間がいくつかの章に分けて語られるが、面白いのは、神話の生き物のようなキャラクターがふと現れたり、夜中に恋人が分裂した存在として登場したりと、何やら幻想的な要素が何の説明もなく挿入されることだ。一種のマジックリアリズムと言えるが、そうした側面が本作にミステリアスなムードを与えている。

アドナン役(レイス・カリフェ) / © 2025 Lucio Castro Inc.

ルシオ・カストロ:それは、まさに自分の作品を特徴づけているものだと思います。私は、物語がそうした方向に進んでいくのが好きなんです。もちろん、映画には美しい夢のシーンがたくさんありますが、たとえば登場人物が眠って、夢を見て、目覚めるという構造だと、「結局は夢だった」となってしまい、その出来事の重要性が少し弱まってしまうように感じるんです。

でも、現実のなかに夢のような要素、つまりマジカルな瞬間が入りこむと、現実そのものが不安定になります。そして私にとっては、そのほうがずっと興味深いんです。夢だけが特別で、他は普通だと言いたいわけではなく、すべてがその両方を含んでいる、ということです。

私は、人間の生そのものがそういうものだと感じています。今この瞬間、こうしてここにいますが、過去はすごい速さで遠ざかっていきますし、未来がどうなるかはわかりません。私たちはつねに時間の異なる層を行き来していて、そのこと自体が、ある意味で夢のような状態を生んでいると思うんです。

だからこそ私にとって、マジックリアリズム的な要素をごく普通のものとして物語に書きこむのは、とても自然なことなんです。「ここから不思議なことが起こる」と宣言することはありません。それがそのまま「普通」になっていく。そうすると、作品全体がほんのり夢のような質感を帯びてくるんです。

それに、そもそも映画というもの自体が、スクリーン上のイメージにすぎず、いわばすべてが夢のようなものでもあります。もちろん観客は、「どこまでが現実で、どこからが夢なのか」を区別したがります。それによって安心したいからです。

でも私はそこを問い直したい。映画においてすべてが作られたものであるなら、そこではあらゆることが可能だと考えてもいいのではないか、とね。

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