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過去2作が融合した新たな境地
『HIT ME HARD AND SOFT』(強く優しく叩いて)という危うい魅力を放つタイトルを冠した3rdアルバムで、ビリー・アイリッシュ(Billie Eilish)は再び新境地に進む。
当時17歳だった2019年にリリースしたデビューアルバム『WHEN WE ALL FALL ASLEEP, WHERE DO WE GO?』は、ティーンの繊細さと不安定さを、ゴシックとヒップホップを織り交ぜた悪夢的な世界観で描き切り、爆発的なヒットを記録した。”you should see me in a crown”のMVで口から這い出てくるクモや、”when the party’s over”のMVで流す黒い涙といった不気味なユーモアと美学が、多くの人に新時代の到来を感じさせた。
1作目で一気にスターダムをのし上がった彼女が、2021年にリリースした2作目『Happier Than Ever』は、多くの人にとって予想外の作品だっただろう。過去の失恋やトキシックな男性像、身体といったテーマを掘り下げ、名声への期待をボサノバ風に反芻することで、オーディエンスに新しい驚きをもたらした。
それらに次ぐ今作は、その両者が溶け合った、彼女の芸術的限界を新たな領域に押し広げる野心的なアルバムだ。1作目で私たちを圧倒的な世界観へ引きずり込んだように、もう一度私たちを突き落とす。しかし、そこはクモが巣食う悪夢ではなく、水中のように不安と安心が共存する世界だ。
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強く優しく立ち上がるアルバムの世界
実兄であるフィニアス・オコネル(Finneas O’Connell)との共同制作はいつも通りながら、他にもドラマーのアンドリュー・マーシャル(Andrew Marshall)や、Apple TV+のドラマシリーズ『Disclaimer』の楽曲制作の際にフィネアスが出会ったアタッカ四重奏団(Attacca Quartet)も参加している。収録曲は10曲と今年リリースされたポップスターたちのアルバムに比べるとコンパクトだが、5分程度のやや長めな曲が多く収録されているのが特徴的。
1曲目”SKINNY”は交際の失敗、醜形恐怖症、うつ病、そして10代を過ぎたばかりの頃に莫大な世界的名声を得ることのプレッシャーについての辛辣な非難など、前作までの流れを踏襲した、まさにビリー・アイリッシュらしいトピックが詰まっている。
People say I look happy
”SKINNY”
Just because I got skinny(他人は、単に私が痩せたから幸せそうに見えると言うけど)
But the old me is still me(昔の私も私自身だし)
And maybe the real me
And I think she’s pretty(多分本当の私で、彼女は可愛いと思う)
(中略)
When I step off the stage(ステージから降りると)
I’m a bird in a cage(私は籠の中の鳥みたい)
I’m a dog in a dog pound(小屋の中の犬みたい)
(中略)
And the internet is hungry(インターネットはいつだって飢えていて)
For the meanest kind of funny(ゴシップやユーモアを欲してる)
And somebody’s gotta feed it(誰かがそれを与えないといけない)
映画『バービー』のために書き下ろされた”What Was I Made For?”の続編ともいえる”SKINNY”の穏やかなサウンドから一転、2曲目の”LUNCH”や3曲目”CHIHIRO”はダンサブルな仕上がりに。”CHIHIRO”では、のびやかな高音のウィスパーボイスが、曲の後半ではシンセサイザーのアルペジオに飲み込まれていく。タイトルは『千と千尋の神隠し』(2001) の千尋から名付けられたそうで、NYで行われたリスニングパーティーでは、同作がジブリ作品のフェイバリットだと話している。また世界30ヶ国以上で展開されているメディア・viceの特集では、現実感と非現実感を持ち合わせた登場キャラクター「カオナシ」がクールだと過去に語っている。
そこからまた一転、4曲目”BIRDS OF A FEATHER”は、彼女のディスコグラフィーの中でも特に明るいサウンドで、ビリーとフィニアスの新たなソングライティングを感じさせる。”THE GREATEST”ではアコースティックなサウンドから始まり、2バース以降はリズムとギターが加わり、壮大なパワーバラードに突入する。歌唱においても、ウィスパーを多用していた初期からの変化を感じる。
このように、アルバムの構成を見ても、曲自体の構成を見ても、ダークポップな世界観は維持したまま、絶妙なバランス感覚で「ソフト」と「ハード」を行き来するのが同作だ。ローリングストーン誌のインタビューで、ビリーはアルバムタイトルについてこのように語っていた。
そもそも『強くやさしく叩いて』なんて、無理なお願いだよね。そんなことできっこないんだから。でも、私は極端な人間だから、身体的な痛みを感じることも好きだし、やさしくて心地よい感じも大好き。相反するふたつのことを同時に求めている。だから、私という人間を表現する言葉としてこれ以上のものはないと思ったし、それが叶わぬ願いだということもすごく気に入っている
ビリー・アイリッシュが語る、再出発への決意|Rolling Stone
同作は、昨今の音楽業界では珍しくリリース時に先行シングルがなかった。ソフトとハード両方が波のように繰り返すことで世界観が立ち上がるこのアルバムにおいて、それは必然的だろう。ビリーとフィニアスは、「アルバム」というひとつの世界を作って私たちに提示したのだ。そのスタンスはシングル至上主義的な業界やリスナーに対するカウンターであり、片足をメインストリームに置きながら、もう片足をその外側にしっかりと置き続けようとするオルタナティブの精神を感じさせる。
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クィアネスの表明
2023年11月に掲載された米誌・Varietyのインタビューで「女性を愛している」と発言しクィアであることを認めたビリー。本作の収録曲の中でも特にバンガーとして傑出した”LUNCH”では、昼食というメタファーでガールフレンドとの性行為を描いている。ダンスフロアのサウンドに乗せ、グルーヴィーに欲望を宣言する。トロイ・シヴァン(Troye Sivan)の”RUSH”が2023年のクィアたちのサマーアンセムとなったように、この曲が2024年のアンセムになることは間違いない。
I could eat that girl for lunch(あの娘だったらランチに食べられる)
”LUNCH”
Yeah, she dances on my tongue(彼女が私の舌の上で踊る)
Tastes like she might be the one(本命みたいな味がする)
クィアネスという観点で言うと、7曲目”L`AMOUR DE MA VI”にも注目したい。前半のソウル / ボサノバなサウンドから、楽曲中盤では1980年代を彷彿とさせるシンセラインと、ハイパーポップ的にピッチアップされたボーカルが融合する。
ソフィー(Sophie)や100 Gecsのローラ・レス(Laura Les)をはじめ、クィアな音楽家が多く活躍しているハイパーポップシーンにおいて、ボーカルを極度にピッチアップさせる手法は、声色からジェンダーイメージを脱色し、ジェンダーから解放されるための機能を果たす。個人的には、クィアを公表したビリーがこの「声を作り変える」手法に取り組んだことには意味があるように感じる。
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20代を迎えたポップスターは自身の変化と向き合う
ビリーアイリッシュはここ数年で様々な変化を経験した。それは名声との向き合い方について、自身の身体や声について、過去の恋愛について、クィアネスについて。今作の主題のひとつは「変化」だろう。
デュア・リパ(Dua Lipa)とのポッドキャストにて、ビリーは自身の声についてこのように語っている。
(18歳から21歳にかけて)声が完全に変わった。声が変わるのはトリップみたいなものだった。ショックだったし、どうすればいいの?って感じだったんだけど、最近では「OK、変わってしまったけど、それが自分にも分かる」みたいに感じてる。
ずっとこのやり方でやっていて、うまくいっていたのにできなくなってしまう。変化を受け入れたり、乗り越えたりするのは難しい。
Dua Lipa: At Your Service Billie Eilish:On growing up より
さらに、このアルバムで象徴的に扱われている「青」という色についても、自身の価値観の変化を語っている。
自分でも変だなって思うんだけど、昔から青ってあまり好きじゃないんだよね。それなのに、ずっと髪を青く染めたりしてさ、バカみたいだよね」とアイリッシュは言い、さらに続けた。「でも、実は青くしたかったわけじゃないんだ。ある時、青味の強いヘアトナーをうっかり使ったせいで、ラベンダーみたいな色になっちゃって……その後、髪の色がどんどん青くなっていって、とうとうあの青髪になった。あれは最悪だったな。何カ月もかけて色を落とそうとして、やっとグレーっぽい色になった。でも、この2年間は『ちょっと待って、青って私の本質を表す色じゃない?』って考え続けていた」
ビリー・アイリッシュが語る、再出発への決意|Rolling Stone
そんな青色を冠したアルバムのクローザー”BLUE”は、それ自体がアルバム全体を象徴するようなコーダ だ。これまで歌詞に登場してきたモチーフが再登場し、作品の結論を導き出す。ダークかつソフトなトラップ部分を経由して、カタルシスを感じさせるストリングスにより、リスナーは海の底へ沈んでいく。
自身の変化と呼応するように音楽性も変化させながら、ビリー・アイリッシュは20代の新たなペルソナを手にした。私たちは彼女の世界に魅了され続けている。
But when can I hear next one?(でも、次はいつ聞けるの?)
”BLUE”