「これはカントリーのアルバムではない、ビヨンセのアルバムだ」(ビヨンセInstagramより)
過去10年間自らの作品を通じて黒人音楽の伝統を追跡し、その位置を確立してきたビヨンセ。3部作となるシリーズの1作目『RENAISSANCE』では、ハウスやダンスサウンドに傾倒し、ダンスホール、ブラックネスとクィアへの賛辞を描いた。
続編となる今作『COWBOY CARTER』は、カントリーミュージックを出発点として、その周辺のナッシュビルサウンド、クラシックロック、現代のラップ、そしてR&Bまでもを探求しながら、文化的な「アメリカらしさ」を問いかける作品となった。なぜビヨンセは今、カントリーを選んだのだろう。そして、「ビヨンセのアルバムだ」という言葉の意味とは?
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カントリーミュージックとは
そもそもカントリーミュージックとは、1920年代、北米の南北に聳えるアパラチア山脈の南方にて生活していたイギリス系移民が持ち込んだ音楽。民謡 / バラッドがベースとなっており、彼らはアフリカ系アメリカ人との交流も盛んだったことから、ゴスペルやブルースの要素も融合されている。例えば、使用される楽器「バンジョー」はアフリカン・アメリカンが、アメリカにおいてアフリカのいくつかの楽器の特徴を取り入れて生み出した撥弦楽器である。

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ルーツを失いつつあるカントリー
しかし、20世紀になり音楽の商業化が進むと、カントリーは白人の音楽というパブリックイメージが普及していき、徐々にそのルーツから離れていく。業界はアフリカン・アメリカンのアーティストを軽視し、政治的、保守的なファンの基盤を保持し続けた。
2003年には、テキサス州出身の女性3人組カントリーグループのDixie Chicks(2020年にThe Chicksに改名)が、ブッシュ元大統領下のイラク戦争を批判した。それを、保守的なカントリーリスナーたちが許すことはなかった。バンドは痛烈な批判を受け、ファンは離れていき、ほぼキャリアの終焉にまで追い込まれたのだ。

2016年、ビヨンセは『第50回カントリーミュージックアワード』にて、The Chicksと共にアルバム『Lamonade』収録のカントリーソング”Daddy Lessons”をサプライズパフォーマンスした。ビヨンセはテキサス州ヒューストン出身であり、故郷テキサスでの父の教えと絆について歌った讃歌であったにもかかわらず、SNS上ではカントリーファンから痛烈な批判を受けた。「黒人にカントリーはふさわしくない」「カントリーをマーケティングに利用しているだけ」という言い分だ。The Chicksの事件から13年の時を経ても、保守層の白人は、リベラルなビヨンセがカントリーを歌うことを許さなかった。
ビヨンセは自身のInstagramで、明らかにこのできごとと思われることについて、このように語っている。
何年も前に、自分が歓迎されていないように感じた経験をしたことがあり──確実に歓迎されていませんでした──この作品はその経験から生まれた作品です。(It was born out of an experience that I had years ago where I did not feel welcomed…and it was very clear that I wasn’t)
そのようにして、5年の歳月をかけて完成した『COWBOY CARTER』。同作は、南部のプライドとしての彼女の挑戦だ。

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古いアメリカ的価値観へのレクイエム
アルバムは、”AMERIICAN REQUIEM”で幕を開ける。
used to say I spoke too country(私はよく “カントリーすぎる”と言われた)
”AMERIICAN REQUIEM”
ビヨンセは、「黒人ポップスターでありながら出身がテキサス州ヒューストンなのはカントリーすぎる」というアメリカの古い価値観や言葉と常に戦ってきた。それら全てに対するレクイエムとしての1曲目。
It’s a lotta chatter in here(ここではおしゃべりが絶えない)
(中略)
there’s a lot of talking going on (話が尽きない)”AMERIICAN REQUIEM”
ストリーミングとソーシャルメディアの時代において、ポップスターのあらゆる発言はミームであり、議論のタネとなる。ビヨンセはそのことに自覚的だ。だからこそ『RENAISSANCE』では彼女自身をメディアとしてアフリカン・アメリカンの女性アーティストたちとクィア・アーティストたちへのリスペクトを世界へ広めるコンセプトを作った。それは、今作も同じであり、多種多様なコラボや引用を用い、ビヨンセというメディアを通してメッセージを伝えようとしている。