劇映画の多くはフィクションだ。作り手による豊かな想像力から生まれるという側面がある。しかし一方で、自身や身近な人間の経験をもとにして、なんでもない日常に豊かな時間を見出すタイプの作り手もいる。
今泉力哉監督と二ノ宮隆太郎監督はどちらも後者のタイプの映画作家だろう。今回、6月9日公開の二ノ宮監督作品『逃げきれた夢』を巡って、彼と旧知の間柄である今泉監督との対談を実施。今泉監督が語る二ノ宮監督の作家性とは? 半径たった数メートルの範囲にまなざしを向けて豊かな作品へと昇華する、二人の対談をお届けする。
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今泉監督が驚愕。道化を演じる二ノ宮監督の観察眼
―まずは今泉さんに二ノ宮隆太郎監督の最新作『逃げきれた夢』をご覧になった率直な感想からお聞きしたいです。
今泉:凄かったです。自主映画や劇場用デビューの監督作『枝葉のこと』(2017年)は二ノ宮自身が主演だったけど、前作『お嬢ちゃん』(2019年)と同様に今作は彼本人は出演していない。でも出だしの数分観ただけで、もう「二ノ宮隆太郎の映画だ」ってわかるんですよね。「他の監督と何が違うんだろう?」って考えちゃうほど、二ノ宮にしかない固有の空気とか緊張感が伝わってくるんですよ。正直、嫉妬しちゃいますね。
―おおっ、今泉力哉監督に「嫉妬する」と言わしめる二ノ宮隆太郎監督。良い関係ですね。10年前、今泉監督作『サッドティー』(2013年)では俳優として怪演を見せた二ノ宮さんですけども。
今泉:最初に会ったのっていつだったっけ?
二ノ宮:2010年です。自分がENBUゼミナールの俳優コースを受講したときなので。そのときは今泉さん、事務で働かれていたんですよ。
今泉:2007年から3年ほどENBUで事務員をやってたんです。2010年は『たまの映画』っていう初の商業長編が公開されたんだけど、まだ事務の仕事をしていました。二ノ宮はENBUにいた時期に『楽しんでほしい』って短編を監督したんですよ。これがやたらおもしろくて。
―その出会いから『サッドティー』に展開していくんですね。
今泉:実は『サッドティー』には、そもそも演出部の助監督として二ノ宮が入っていたんですよ。チーフ助監督が平波亘さん(日本の映画監督、代表作は『餓鬼が笑う』など)で、彼の下に二ノ宮がいた。
その現場で僕が二ノ宮に出演してほしいってオファーしたという。このときは「二ノ宮にオーバーオールを着て映画に出てほしい」というイメージがなぜか頭に浮かんできて。そのシーンが、ある種、「寂しいお茶=サッドティー」を体現しているシーンになったんです。あれは私物だったっけ?
二ノ宮:私物なんですけど、ダサいし、似合わなすぎて1回も着たことがなかったんです。
一同:(笑)
二ノ宮:失敗した買い物だったんですけど「まさかこれを着て映画に出ることになるとは」と思いました。
今泉:当時、普段の二ノ宮は仲間内の中で「いじられキャラ」みたいな空気があったんですね。なので『PFFアワード』の準グランプリになった『魅力の人間』(2012年)を観たときに恐ろしくなりました。
その作品は二ノ宮が自分で監督と出演を兼ねているんですよ。それで自分を「いじられキャラ」というか、イタい道化として扱いつつ、周りの男たちの滑稽さをめちゃくちゃ冷静に見つめている役で。表面上はいじられつつも、本当は客観的に自分をいじってくる人間の生態を観察しているんだと思うと……「怖いな!」って。
―確かに『魅力の人間』は鋭すぎる人間観察眼が発揮された破格の傑作コメディでしたね。
今泉:「俺もこう思われてるぞ!」と。二ノ宮から冷静に観察されていると突きつけられた気がします。
二ノ宮:いえいえ! 全然そんなことないです(笑)。