ベニー・サフディ初の単独監督作で、第82回ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞(監督賞)を受賞した映画『スマッシング・マシーン』が、5月15日(金)から日本公開となる。評論家の柴崎祐二が音楽に着目して論じる。連載「その選曲が、映画をつくる」第38回。
※本記事には映画本編の内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。
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総合格闘技が一大ブームを巻き起こした時代
格闘技に関してはほぼ門外漢の私だが、世の中を大きく騒がせた伝説的な試合だったり人気の高い団体に対しては、人並みの関心を抱いてきた。中でも、自分が多感な年頃だった時期に一大ブームを巻き起こした総合格闘技イベント『PRIDE』に関しては、血気盛んな周りの友人たちが熱中していたこともあって、私自身も興奮しながらテレビの中継番組に見入っていた記憶がある。
記憶を遡ると、その『PRIDE』に興味を持つきっかけとなったのが、2000年5月1日の『PRIDE GRANDPRIX 2000』における桜庭和志対ホイス・グレイシー戦の様子を(おそらく後日放送のテレビ番組で)見たことだった。マスク姿で現れた桜庭がリング上で不敵なケレンを振りまく様子や、その後の息を呑むような試合展開と劇的な決着の様子が、今でもありありと目に浮かぶくらいだ。そして、この日は、もう一つ印象深い試合があった。同年に総合格闘技デビューを果たしたばかりの藤田和之が、「霊長類ヒト科最強の男」なる異名を取るアメリカ人選手マーク・ケアーに判定勝ちをおさめたのだ。喜びに舞う藤田の姿を見て熱いものがこみ上げてきたあの時のことも、やはりはっきりと覚えている。
その一方で、敗者のケアーがどんな様子だったかは、ほとんど覚えていない。にわか格闘技ファンだった若い私は、この試合に限らず、敗北を喫して去っていく者達を気にかけることはほとんどなかったように思う。当然と言えば当然すぎるのだが、(当時の自分を含め)若い連中はいつだって勝者の方に注目し、肩入れしたがるものだ。けれども、その後それなりの辛酸を舐めながら大人になった今、勝者の輝かしい姿にも増して強い関心を抱いてしまうのは、むしろ敗れ去った者たちの来し方行く末だったりもする。そこには、晴れがましい勝者の姿にはない、ある種の艶美さが影を指しているように思えてしまうのだ。あの時、彼らはどんな考えをもってその場に挑み、敗北を経てどんな風に生きていくことになったのか――。もしかすると、そういう問いを深く噛みしめられるようになった者こそが、本当の格闘技ファンと呼ぶに相応しいのかもしれない……などと、素人だてらにあれこれ考えてみたりもするのだった。

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ビターな味わいに満ちたマーク・ケアーの半生記
今回紹介するベニー・サフディ監督の映画『スマッシング・マシーン』は、件の伝説的な一戦で、かつての私がさして関心を払うことのなかった敗者の方――つまり、あのマーク・ケアーを主人公とする伝記映画である。今回の映画を観るまでマーク・ケアーが実のところ何者なのかを知らなかった私のような者にとっては、まさに驚くべき逸話満載の、なんともビターな味わいに満ちた作品だ。
あらすじを紹介しよう。元レスリング選手のマーク・ケアー(ドウェイン・ジョンソン)は、1997年の総合格闘技デビュー以来、無敗のままUFC(アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ)の勝者に登りつめ、「スマッシング・マシーン=壊し屋」なる異名とともに畏れられる存在となっていた。その一方で、度重なる負傷と激しいトレーニングによる苦痛を紛らわせるため、依存性の強いオピオイド系鎮痛剤に頼るようになっていた。
彼は、友人のマーク・コールマン(ライアン・ベイダー)の助けを得て日本の総合格闘技イベント『PRIDE』に進出し、その実力を認められるところとなったが、打撃系の戦術を得意とするイゴール・ボブチャンチン(オレクサンドル・ウシク)との対決で、初めての敗北を喫してしまう。結果的に、改定された新ルールによってその試合は無効となり、ケアーは再度の挑戦を誓う。だが、薬物依存の深刻さは増す一方で、恋人のドーン(エミリー・ブラント)とも衝突を繰り返すばかりだった。
そして、命すら危険に晒す重大な事故を経て、いよいよ薬物を断つ意志を固めた彼は、『PRIDE』への再挑戦を目指しトレーニングを再開する。更には、トレーナーから選手に返り咲いた盟友のコールマンと共に、『PRIDE GRANDPRIX 2000』での決戦に挑むのだが――。

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繊細な演技、カメラワーク、美術の再現度も素晴らしい
まず驚かされるのが、マーク・ケアーを演じるドウェイン・ジョンソンのなりきりぶりと、その繊細な演技だ。自身もプロレスラー「ザ・ロック」として人気を博した経歴を持つジョンソンだけあって、試合やトレーニングのシーンのリアリティはもちろんのこと、リング外の日常を描いた部分などでもごく細やかな演技を披露している。数あるアクション映画やコメディ作品での彼しか知らなかった(私のような)観客は、そのアプローチの仕方にきっと驚かされるだろう。
当然ながら試合のシーンの迫真ぶりもすごい。各出演者の身体の躍動もさることながら、カメラがあえてリングの内側には立ち入らず、ロープの外からその様子を捉えることによって、我々観客がテレビ等を通じて味わってきたのと同じアングルが踏襲されているという点が重要だ。そうした手法を採る場合、ともすれば過度に俯瞰的な印象を与えることにもなりかねないはずだが、ここではむしろ、手に汗握りながら同時中継の試合を観戦しているようなあの感覚を鮮やかに立ち上がらせることに成功している。この辺りの没入感溢れる画作りは、これまで『グッド・タイム』や『アンカット・ダイヤモンド』などの作品で充実した成果を残してきたサフディ兄弟の弟=ベニー・サフディ監督ならではのセンスが光る部分と言えるだろう。
また、『PRIDE』というイベントを重要な題材にしていることから、日本の風景がしばしば大写しになるのも楽しい。当時の東京の風物の描き方も相当に念入りで、美術の再現度も素晴らしい。先日公開されたサフディ兄弟の兄=ジョシュ・サフディの最新作『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』でも、1950年代の日本の風物が見事に再現されていたことが評判を呼んだが、やはり今作でもその辺りへの美意識の高さを感じざるをえない。これに関しては、ややもすると時代考証をなおざりにしがちな昨今の日本映画への叱咤として受け取るべきかもしれない。
加えて、大沢たかおが日本の格闘技ビジネスを牽引してきた榊原信行を、格闘家の石井慧が伝説的ファイターのエンセン井上を演じているほか、光浦靖子や布袋寅泰などの日本人タレントが続々と登場する様子も、ここ日本のファンにとってはやはり嬉しいポイントだ。
※榊原信行氏の「榊」の漢字表記は、木編に神(ネ+申)の表記が正しいものとなります。

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ナラ・シネフロによる異色な劇伴音楽の効果
もちろん、本連載の趣旨である音楽の使用法という視点からも、かなり野心的な内容に感じた。特に強く興味を惹かれたのが、ロンドンを拠点に活動するジャズミュージシャン=ナラ・シネフロが担当したオリジナルスコアだ。アンビエント〜エクスペリメンタル寄りのサウンドを特徴とする彼女の作風と、大男同士の肉弾線を扱う本作のモチーフはいかにもミスマッチなものに思えるかもしれないが、なかなかどうして絶妙な効果を上げているのがわかるだろう。というよりも、映画全体に漂う没入的な感覚や(おそらくは薬物依存というモチーフとも無関係ではない)陶酔的な感覚は、鋭角的でいながら静謐で、なおかつ深い瞑想性を伴った彼女のスコアによってこそ巧みに達成されているとすら言えるかもしれない。中でも、ボブチャンチン戦や藤田戦などの場面で聴かれるフリージャズ風の演奏は、格闘アクション映画の歴史にあってかなり異色とも言えるものだが、独特の緊張感を演出するにあたってきわめて重要な役割を果たしているし、端的に、エンタテインメント色の強い映画でこういうスコアを使用する例はほとんど他に例がないように思う。
また、そのスコアも含め、映画内で聞こえるサウンドにかなり大胆な音響処理がなされているのも特徴と言えるだろう。試合中の実況の音声をはじめとして、所々で(おそらくわざと)クリッピング風の処理が施されており、没入感をより一層高める機能を果たしている。
既存曲の使い方もなかなか面白い。冒頭からいきなり高中正義の“You Can Never Come To This Place”が流れるのにはいい意味で面食らうとともに、現在の国際的な高中人気を伺わせる興味深い選曲と言えるだろう。しかも、そのドラマチックな演奏が、華々しいケアーの姿と絶妙に重なり合っているのだから流石だ。
1990年代から2000年代を舞台とする映画ということで、往時のヒット曲が沢山かかるのも楽しい。Sublime、Sugar Ray、フェイス・ヒル、ジョン・セカダ、リル・スージー、ブライアン・マックナイト、そして日本のB’zに至るまで、いわゆる「音楽オタク」的な発想からは出てこなさそうな選曲が、かえってその年代のリアリティを巧みに演出しているのがわかる。
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「過剰」な既存曲の使用に見え隠れするエレガンス
全編を通じていたるところから音楽が聴こえてくる中で特に感じ入ったのが、『PRIDE』出場への再起を誓ったケアーが一念発起してトレーニングに勤しむ場面で流れる“My Way”だ。ここではフランク・シナトラの有名なオリジナル版ではなく、エルヴィス・プレスリーが1973年にホノルルのホテルで行ったコンサート音源が使用されているのだが、その切々とした哀感溢れる演奏と歌声がケアーのひたむきな姿と重なることで、一種異様なほどのエモーションが生まれているのだ。
普通に解釈すれば、様々な苦境を経て我が道=“My Way”を行く姿が称えられているということになるだろう。しかし、それにも増して、この時期のエルヴィスのパフォーマンスに特徴的なある種の過剰な美学が、ケアー自身の肉体美と、脆い心を抱えながらも歩みを止めない格闘家としての矜持、そして、そこから滲み出てしまう未来の敗者としてのエロチシズムのようなものと重なり合って響いてくるのだ。
同様のことは、ブルース・スプリングスティーンの“Jungleland”といういかにも男性的な力強さに溢れる(けれど実のところ青い時代の終焉や別離への予感を孕んだ)名曲をバックに、ケアーとドーンの二人が破局的な喧嘩を繰り広げる場面にも感じ取れることができる。この過剰さと、それゆえの哀切のセンシュアルな感覚――。それこそが、本作において音楽が力強く補佐するものの正体なのではないか。
そう考えてみると、この曲の使用箇所に顕著なように、ある種の過剰さの中に見え隠れするエレガンスと言うべきものは、この映画の――というよりベニー・サフディという映画作家の美意識を貫く基調的なモチーフのような気もしてくるのだった。かつてはマチズモの権化のように誤解されることもあった各種格闘技が、その実ごく繊細で多彩な感情世界が描かれうる競技 / ショーだということを映し出すにあたって、やはり彼ほどの適任はいなかったように思われるし、同時に、そのようないかにも繊細な美学を表現する場合に音楽の力が殊のほか重要な要素となることを、彼自身もはじめから直感していたのではないだろうか。
過剰な画面の奥底に潜む細やかなエレガンスをすくい取る目的で、さも繊細そうな(「音楽オタク」っぽいと言い換えてもいいかもしれない)曲を当てるのは、それが賢しらに聴こえることはあっても、当のエレガンスそれ自体を豊かに膨らませることはできないだろう。あの場面で、エルヴィス・プレスリーの汗ばんだ歌声を、ブルース・スプリングスティーンのドラマチックな激唱を、更に、印象深いエンディングでティミ・ユーロのたっぷりとした歌声を重ねるセンスは、こう言ってよければ、過剰でキャンプな美の生産工場たるハリウッドの伝統の良質の部分を自覚的に引き継ごうとする(兄ジョシュを含む)サフディ映画の特質をわかりやすく伝えているように思えるのだ。
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本作は格闘技のエレガンスも教えてくれる
――と、ここまで本稿を書いてきて、若かりし頃の自分が(瞬間的とはいえ)あれほどまでに『PRIDE』の世界に魅せられた理由がようやく分かったような気がする。おそらくあの頃の自分も、つわものたちが己の肉と肉をぶつけ、拳を交え、体を絡め合わせて相手を組み伏せようと戦っていたあの姿に、無意識とはいえある種のエレガンスを感じ取っていたのだろうし、あの恍惚とした感覚を今改めて説明するとすれば、やはりそうとしか思えなくなってくる。
考えてみれば、あの後に自分は大相撲の世界に熱を上げ、更にモハメド・アリの伝記映画を見たことで格闘技の歴史に興味を持ち、アントニオ猪木の半生を追う中で新日本プロレスの歴史を調べ……といったように、それなりに格闘技の面白さに目醒めていったのだった。だが、当時は、そこに自分がエレガンスを感じ取っていることには思い至らなかった。
今回、本作『スマッシング・マシーン』を観てみて、改めて格闘技のファンになれるかもしれないなと思ったし、私のようなファン予備軍にとって、このエレガントな映画はすばらしい再入門編となるに違いない。
『スマッシング・マシーン』

2026年5月15日(金)よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開
監督・脚本:ベニー・サフディ
出演:ドウェイン・ジョンソン、エミリー・ブラント、ライアン・ベイダー、バス・ルッテン、オレクサンドル・ウシク、大沢たかお、石井慧、光浦靖子、布袋寅泰ほか
配給:ハピネットファントム・スタジオ
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