「この世界からはみ出そう」――まるでそんなことを聴く者に提案するような1曲である。ミュージシャン・にしなの新曲“plum”には、脈打つようなリズムに乗せて、世界が押し付けてくる「正しさ」に背を向け、己の欲望のままに生きることを望む人間の姿が表れている。
背徳感のあるラブソングのようであり、オルタナティブな生き方を突き付けるメッセージソングのようでもあるこの楽曲の編曲を手掛けたのは、「tiny desk concerts JAPAN」での藤井風のパフォーマンスで、にしなと共にバンドに参加していたことも記憶に新しいプロデューサーのYaffle。ざわめく胸の内を捉えつつもしなやかな肉体感を持つサウンドが、曲が描く情動を彩り、甘美な色気を際立たせている。
曲の中で描かれるのは完全無欠のヒーローのような存在ではない。私やあなたと同じく、当たり前のように強さも弱さも抱く不完全な人間が、その不完全さを受け入れることによって、この世界からはみ出していくことを画策する――“plum”はそんな1曲だ。
昨年以降、大胆で、軽やかな自由さを感じさせるシングル曲たちを断続的にリリースしている、にしな。今の彼女のモードを、インタビューでじっくりと語ってもらった。
INDEX
「納得ができない」という気持ちを抱えながら走り回っているような子ども時代
―新曲“plum”は背徳感のある世界観がとても印象的で、歌詞に出てくる<甘美>という言葉がまさに相応しい1曲だと感じました。歌詞には世間一般的な「正しさ」のようなものから逸脱しようとする人間の姿が描かれているようにも思えるのですが、そこには1stシングル“ランデブー”の頃から一貫した、にしなさんのポエジーを感じます。“plum”はどのようなきっかけから生まれた楽曲なのでしょうか?
にしな:“FRIDAY KIDS CHINA TOWN”という私の曲があるんですけど、その曲で使ったのと同じ3コードを弾いていたら、なんとなくメロディが浮かんできて。「みんなが楽しくノれる曲になりそうだな」と思ったんです。そこから作り始めました。「プラム」というモチーフについては、幼い頃から「なんでプラムってフルーツなのに、皮の周りは酸っぱいんだろう?」と思っていたんです。他のフルーツは甘いのに、プラムだけ酸っぱいのは納得できないなって(笑)。
―(笑)。
にしな:あと、ジャスティン・ビーバーの“Peaches”という曲の由来を調べたときに、「Peach」にはスラングで「素敵な人」みたいな意味があることを知ったんです。確かにピーチは甘いからそのスラングはしっくりくるけど、でも、私はピーチというよりプラムかもな、と思ったり。他にもアダムとイブの話を調べたこととか、そういう小さなきっかけがいろいろ重なって歌詞を書き進めていきました。
―幼い頃にプラムと他の果物の違いに納得がいかなかった、というのが印象的です。にしなさんはいろんなことに疑問を抱いたり、気づきを持つタイプの子どもでしたか?
にしな:どうなんだろう。疑問や気づきが多かったというより、あくまで「納得できなかった」という感じだったと思います。自分の子どもの頃を振り返ると、別にすごく暗かったわけでもないけど、「納得ができない」という気持ちを抱えながら走り回っているような子だったなと思います(笑)。「もしかしたら、この孤独感は自分だけのものかもしれない」みたいな、自分だけの謎を抱えた幼少期でした。
―謎を抱えながらも、閉ざしているわけではない感じですか。
にしな:そうですね、「よくわかんなーい!」と思いながら走り回っている感じです(笑)。
―その感じは今のにしなさんが作る音楽から伝わってくる気がします。“plum”の歌詞には、ふたりの人間がいて、その片一方の思考が綴られているようにも思えるのですが、にしなさんご自身としては、この曲にはどんな人間模様が表れていると思いますか?
にしな:分かりやすく例えるなら、主人公の女性がいるとして、その主人公と相手の男性というふたりの関係があるんですけど、主人公には強がりな部分と弱い部分がしっかりとあって、完璧ではないんです。強がりの裏にある弱さも、きっと相手にバレている。でも、その強がりを突き通していく。「今世はもう無理です。来世でよろしくお願いします」と言ってしまうような強引さを持った人物なのではなかろうか、と思います。
―その強引さは、<来世で出会う青い2人に期待して左様なら>と歌われる曲の最後に表れていますね。この曲に、背徳的でありながらもどこか清々しさを感じるのは、その「強引さ」に寄るところのも大きいのかなと、お話を聞いて思いました。
にしな:この最後の部分は自分自身が出ているかもしれないな、と思います。私もいろんなことで悩みに悩んだ挙句、最後には「はい、もう、どうでもいいです」となるタイプなので(笑)。そういう私自身の人間味が、この曲の着地点になっているのかもしれない。それは、よく言えば、おっしゃっていただいたように「清々しい」と言えるのかもしれないけど、悪く言えば「もういい!」と何かを放棄しているようにも受け止められる。そういう終わり方になっちゃったな……。「なっちゃったな」というか(笑)、なったなあと思います。自分にとっては自然なことでした。最後の部分はあまり考えすぎずに書いたんですけど、こうして話してみると自分の性格が出ているなと思います。