2016年に結成されたヌトミックは音楽との強い結びつきを持ちながら、「上演とは何か」を根本から問い直してきたラディカルな演劇カンパニーだ。主宰の額田大志は東京藝術大学で作曲などを学んだが、卒業制作では演劇を上演。その後は、ミニマルミュージックを援用した東京塩麴という音楽グループで活動しながら、ヌトミックでは野外劇や市街劇など野心的な試みに幾つもトライしてきた。
また、額田はさまざまな作品の劇伴や音楽を手掛けており、中でも、『第64回岸田國士戯曲賞』を受賞したQ『バッコスの信女―ホルスタインの雌』(脚本=市原佐都子)での仕事は大きな反響を呼んだ。そんな額田が作・演出・音楽を担当したヌトミックの新作音楽劇『いつまでも果てしなく続く冒険』が、1月17日(金)~19日(日)まで、東京・吉祥寺シアターで行われる。インタビューでは、公演についてのみならず、額田大志という才人がどのような来歴を経て今に至るのかに焦点を当てつつ、彼が今興味があることを掘り下げて訊いた。
INDEX
人と作品を作ることが「大切なコミュニケーションの形だった」
―額田さんはお母さまがリトミック(※)教室をされていたそうですね。どのような家庭環境だったのでしょうか?
※楽しく音楽と触れ合いながら、子どもたちが個々に持っている「潜在的な基礎能力」の発達を促す教育。
額田:リトミック教室にはまだ物心がついていない2歳の頃から通っていました。当時はどちらかといえば通わされていたという意識が強かったですね。教室では、右手と左手で違う拍子を叩くという遊びをやったんですけど、今考えると、それってポリリズムとかクロスリズムなんですよ。そういう概念を感覚的に身につけていたというのはあるかもしれません。
―当時、印象的だったことはありますか?
額田:リトミック教室って毎年発表会があって、そのフィナーレに母親も含めた先生たちのパフォーマンスがあったんです。それがめちゃくちゃかっこよかったのを覚えています。東京の土地の名前を言いながら身体表現も付けてパフォーマンスをするんですけど、それを見て「母親ってすごいな」と思った記憶がある。一見遊びのように見えるものも、本気でやるとかっこいいんだなって。
額田:父親は国語の教師で、高校の演劇部の顧問をやっていました。最近知ったのですが飴屋法水さんと高校の同級生で、2人で渋谷の映画館で『明日に向って撃て!』を観に行くなど仲が良かったようです。
そんな父親だったので、本棚にはたくさん本があって。村上龍の小説など勝手に読んでいました。小さい頃は学校の図書館にも毎日通ってひたすら本を読んでいたんですが、それは本を無限に買ってくれた両親の影響があると思います。大学に入ってからは村田沙耶香さんとか、舞城王太郎さんなどをずっと読んでました。
―今、額田さんは東京塩麴というバンドでも活動されていますが、初めてバンドを組んだのはいつでしょうか?
額田:中学でバンドを始めて、その時はドラム担当でした。最初は大好きだったユニコーンとか、THE YELLOW MONKEYのカバーをやって。高校の時に自主的にアルバムを作ったんですけど、たまに聴き返すと普通に5拍子の曲があったり、同じフレーズを繰り返している曲もあったりして。Radioheadなど、より実験的なロックバンドからの影響もあったんだと思います。
―ユニコーンはどういう所が好きだったんですか。ミニマルミュージック的な表現を指向し、その道の大家であるスティーヴ・ライヒにも絶賛された東京塩麴とは、いっけん結びつかないですよね?
額田:ユニコーンはものすごく自由なバンドだと思うんです。住所を言うだけの曲とか、適当でふざけたような曲もいっぱいある。そういう音楽は、リトミックから入った自分には新鮮に感じられました。特に後期の『ヒゲとボイン』というアルバムは曲ごとに全部ジャンルが違うみたいなつくりで。バンドという運命共同体の中に、こんなに雑多なものが同居しているんだ、と驚きました。決まりを設けずに自分たちが面白いと思ったことを、ただつくっているというユニコーンのセンスが好きなんですよね。The Beatlesとかもそうですけど、メンバー個々が面白いと思ったことを反映できている感じがすごく良い。みんながわいわいやっているのに憧れたのかもしれないです。
―他に当時音楽に関わった経験はありますか?
額田:高校の吹奏楽部は少し変わっていてで、文化祭で演出とか音響とか照明とか、自分たちでステージのセッティングとかも全部やるんですよ。僕はちょっと出しゃばって吹奏楽の編曲をやっていて。でも、そういうのって先輩たちから反感を買ったりもするじゃないですか(笑)。それで嫌なこともたくさんありましたが、中には応援してくれる人もいて、嬉しかったですね。あまりしゃべるのが得意じゃなかったので、ものを作ることで人が動いてくれたり協力してくれるのが楽しいと思いました。当時から友達が多い方ではなかったので、他者と1つの作品を作るっていうことが、自分にとっての大切なコミュニケーションの形だったんですよね。
なので今も根本的な考え方として、人と話し合って作ることや、個々の意見がしっかり反映される現場であることをすごく大事にしています。単純に自分がそうしたほうが楽しいからというのが出発点なんですけど。人と一緒に、ものを作ることについて深く考えるのが好きなんですよね。だから本番よりも稽古が好きだったりします。