国立新美術館にて、田名網敬一の大回顧展『田名網敬一 記憶の冒険』が開催されている。
まず名前を聞いて、恥ずかしながらパッとどんな作品か出てこない。でもチラシや公式サイトをひと目見れば、「これか」と見覚えがある……そんな人が多いのではないだろうか。田名網敬一は戦後日本を代表するアーティストのひとり。活動開始の時期でいうと岡本太郎のちょっと後で、横尾忠則とほぼ同世代だ。そして御年88歳という2024年現在も、デザインとアートの垣根を超えてバリバリに現役の御仁である。
同展は画家の60年以上にわたる創造活動を総覧する初の回顧展だ。展示作品数は厳選を重ねても500点をゆうに越え、11章仕立ての大規模な展示となっている(内覧の時間は90分以上あったのに、それでも全てを鑑賞し尽くすことはできなかった)。そのため、後で図録に掲載されていた田名網本人のコメントを見た時は本当にひっくり返りそうになった。
「自分の人生は結局、これだけだったのか」
これだけのものをぶちまけておきながら、なおそんな事を言うなんて。いったい田名網敬一とは何者なのか。以下、心が震えたポイント全てに触れることはできないが、できる限り率直に本展の見どころをレポートしていきたい。長文になるが、お付き合いいただければ幸いである。
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橋を渡って、田名網ワールドへ
冒頭で来場者を迎えるのは、新作インスタレーション『百橋図』。ガウディの放物線アーチを思わせる太鼓橋が何層にも重なり、トコトコ歩く奇怪な生き物や、水飛沫をあげて滝を登る鯉がプロジェクションマッピングで描かれる。よく見ると、さりげなく鯉にまたがって金髪のセクシー美女が登場しているところが面白い(写真右下にご注目)。
作品そのものだけではなく、そばのパネルに記されている田名網自身の解説コメントを見逃さないでほしい。こちら側とあちら側、聖と俗、生と死を繋ぐ「橋」のモチーフについて、作家の原風景や夢想がエッセイのように丁寧に綴られており、それはこの先の展示を読み解くうえでとても重要なヒントになるからだ。
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デザイン界のポップスター
1960年代、高度経済成長の真っ只中にデザイナーとしてキャリアをスタートさせた田名網。展示の序盤は1960年代〜70年代の作品だ。ポスターやシルクスクリーンを使った版画作品、油彩画にコラージュ、アニメーション作品と、その創造は多分野にまたがっている。壁いっぱいに掲げられたポスター群は圧巻だ。
溢れる色彩の中で、目を奪われたのはモノクロの『田名網敬一の肖像』だ。これらは超初期に田名網が自費出版した、名刺がわりのアーティストブックの原画である。ちょっとフェリックス・ヴァロットン(※)の版画を思わせる画面割りがスタイリッシュで、画家の構成力や線の力を存分に堪能できる。
※編注:19世紀末から20世紀初頭にかけてパリで活躍した画家。モノクロの版画が特徴で、日本でも東京・丸の内の三菱一号館美術館が多数所蔵している。
初期の作品のさまざまなところで登場する、「ネクタイを第二のキャンバスにする」テクニックが興味深い。画中画のように、びろーんと広がったネクタイが他のイメージを持ち込む「窓」の役割を果たしているのだ。想像してみると、当時の働く男性の自己主張の場って確かにスーツのネクタイだったのかもしれない、なんて思う。
田名網がアートディレクターを務めた人気雑誌『PLAYBOY』や『ヤングミュージック』の実物展示も。よく見ると、こちらもネクタイデザインである。
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アニメーション作家としての創造
ポスターにせよコラージュ作品にせよ、田名網の画面はつねに動いているように感じられる。躍動的なポーズという意味ではなく、ポップアート流の反復するモチーフが、連続した動きを思わせるからだろう。個人的に本展でいちばん好きだったのは、油彩画の『優しい金曜日』だ。モチーフの反復と変奏、渦を巻くように歪められた背景の模様に、動き続けるイメージへの作家の深い関心が凝縮されている。
アニメーション作品に焦点を当てた第3章では、16mmフィルムの短編アニメーションのほか、田名網によるセル画や絵コンテの展示も。
ほか第6章、第10章でも映像の展示があったが、時間が許さずほぼ1作品しか鑑賞できなかったのは痛恨の極みである。第6章のほうではデ・キリコ作品をテーマにしたアニメーションもあるそうなので、展覧会を再訪した際は映像を重点的に見てみたい。
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より深く、強い精神世界へ
展覧会の中盤では、1980年代以降の作品が並ぶ。大病で生死の境を彷徨ってからは、自己の内面をより深く掘り下げるような作風へと変化していった田名網(本人コメントによると、長期入院で死期が近いと思われ、周囲から死生観についてのスピリチュアルな本ばかり差し入れされたのが原因らしい)。それまで強く意識されてこなかった幼少期の戦争体験の記憶が噴出し、作品は一気に重たく謎めいたものになる。
多用されているのは、中国旅行を経てインストールした大陸風の吉祥モチーフや、治療中に夢・幻覚で見たイメージだ。例えば、病院の窓から見えたという、ぐにゃぐにゃに曲がった松の木。虹色の亀。プロレスリングに似た寺社の塔からは、しばしばドロドロの液体が溢れ出ている。シルクスクリーンの『常磐松』シリーズではまだデザイン性が重視されている感があるが、色鉛筆を使った塔のドローイングでは画家の無意識下の世界が切実に吐き出されている感じがして少し怖い。ちなみにそのシリーズは展覧会図録では潔く全カットされているので、見たい場合はこの機会に会場へ行くしかないようだ。
展示室の中央には、夢のモチーフと積木のイメージを組み合わせたという立体作品も。大人のおもちゃかのような露骨に性的なフォルムには、凝視しつつも苦笑いである。
4枚のカンヴァスを使った大作『蓬莱山に百鶴が飛ぶ図』には衝撃を受けた。神経のような枝を伸ばした無数の松、摩天楼かプロレスリングか仏舎利か判らない建造物、そして大量の鶴が描かれている。タイトルにある蓬莱山(仙人の住処とされる霊山)はどこかな? と画面を探すが、山らしきものは見当たらない。
まさか、このレタリング「Mt.HORAI」をもって蓬莱山なのか? なんて強引な! 作家はこの頃、東洋の李朝画に登場する「文字樹」に関心を寄せていたといい、画面中央に書を配置した、一種呪術的なムードの作品も多数制作している……ので、そういうことでいいのかもしれない。非常に大事なものが、似姿ではなく、そこだけ「言葉」という奥行きのある姿で表現されているのは新鮮な驚きだったし、図らずも、イスラムのモスクのようでもある。
「エレファントマン」のシリーズも不思議と引っかかる作品群だった。画家が教授職に就いて多忙な中、紙にアクリル絵具で描いた小ぶりなドローイングの連作である。象人間は毎回ほぼ同じポーズで画面に収まっているが、時に耳や鼻の極端なデフォルメが進み、ユーモラスかと思えば次の瞬間にはハッとするほど生々しい。
さて、相当端折って来たが、なんとここまででやっと展示の半分を過ぎたあたりである。続く第7章から最終章にかけては、ほぼ休みなく怒涛の「コラージュ祭り」が始まる。
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新しい手法と爆裂するコラージュ魂
田名網敬一にとって重要な作品制作法であるコラージュの手法は、そもそも若き日に個人的な楽しみのために始まったものだという。本展では第2章で初期のコラージュ作品を見ることができるが、注目したいのは第7章から展示されている2000年台以降の作品である。
こちらは野菜を組み合わせて肖像画を描いたアルチンボルドよろしく、自らの「記憶畑」で実った野菜で人物を組み上げたインスタレーション『アルチンボルドの迷宮』。本作は構想画の段階では人物の胸や小屋の真ん中にトンネルが開通し、円形の線路が敷かれていた。作家は、そこをイメージの出荷・入荷を繰り返す貨物列車が走るインスタレーションを構想していたようだが、立体化の段階で変更されたようだ(ちょっと残念)。奥にある、作家のアトリエの一部を再現した小屋をそっと覗いてみよう。
小屋には田名網の描いた様々なパーツ、そして作家独特の「色指定原画」が所狭しと並べられている。怪物のような女、飛行機などのモチーフは切り抜いた状態でストックされているものもあり、作家がそれらの無限に近い組み合わせを試行錯誤しながら画面を構成していることがよくわかる。
「色指定原画」とは、手描きのドローイングを白黒コピーしたものをコラージュし、色鉛筆で着彩、その後で色見本のチップを貼り付けたものだ。2000年代からは、まず田名網が「色指定原画」を作成し、アシスタントがそれを元にPCでデータを作成するという制作方法が取られているそうな。データをこね回して完成形を探るのではなく、あくまで脳内で完成させたイメージを出力するための効率的な方法としてデジタル技術を導入しているのである。これはデザインとアートに境界線を引きたくない、と考える田名網らしさが詰まった、「アートの版下」とでもいうべきものである。
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記憶の温室
続く第8章の展示室にも、めちゃめちゃキッチュで絵映えする作品『記憶の修築』が鎮座している。ガラス張りの温室の中に、作家の記憶を形作る雑多なかけらが詰め込まれており、中央には彼岸と此岸を結ぶモチーフである太鼓橋がかかっている。同じく国立新美術館で展示されていた、大竹伸朗の『モンシェリー:スクラップ小屋としての自画像』を想起する人も多いのではないだろうか。こちらは温室なので、中でいっそう記憶が育ち、発酵し、おかしな化学変化を起こしそうである……
橋のよく見える部分には、これみよがしにフェルメールなどの巨匠の画集が。たもとにはポルノグラフィや、女性の身体パーツをアップで写したフェティッシュな映像が配置されている。橋の下の暗くなった部分には、戦闘機が静かに横たわっていた。
橋の上には「Kenichi Tanaami」のタスキをかけたマリオネット(手足はどこぞの有名キャラクターとそっくり)。そしてこの、人をくったような顔とポーズである。
コラージュ作品は活動の初期から手掛けて来ているものの、第8章に至っては密度が半端ではない。モチーフを何層も重ね、ラメやラインストーンでデコり、画面が飽和してもなお狂乱は続く……そんなイメージだ。
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コロナ禍がもたらした「ピカソ千本ノック」
つづく第9章ではガラリと雰囲気が変わり、コロナ禍で田名網がルーティンとしていたという、ピカソの母子像の模写、および変奏作品が思い切りよく展示されている。その数およそ200点。ちなみにこのシリーズは現在も制作が続けられ、総数はすでに700点に及んでいるという……恐ろしいほどの創作意欲である。
元のピカソ作品がすぐにわかるものもあれば、もはや完全にオリジナルと言うべき作品も多い。キオスクを模したスタンド(店番は『泣く女』のドラ・マール!)に並ぶ十数点を眺めるだけでも、母子像の子どもがアトムになったりミッキーになったりと、作家の自在な変奏ぶりが伝わってくる。
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2Dと3Dを行き来する、怒涛のクライマックス
そして本展のクライマックスと言える第10章では、広い展示室いっぱいに大型のカンヴァス、さらに立体作品が待ち受けている。まるで、ご陽気な地獄といった趣だ。近年の田名網のアーティストブック(2017年)の題名でもある章タイトル「貘の札(ばくのふだ)」という言葉は、作家の作品世界を理解し、この展覧会を総括するための重要な鍵である。
解説パネルによれば「貘の札」とは「枕の下に敷いて寝ることで縁起の良い夢を願うという札」「魔除けの護符」のことだそう(バクが悪夢を食うというのはなんとなく馴染みのある感覚である)。田名網敬一にとって自身の作品は、まさしく「貘の札」であり、恐怖や負の感情を払拭するためのお守りなのである。
なるほど、目玉、骸骨、性器、蜘蛛に炎……作家の中から溢れ出してきたモチーフはみんな、偏執的で滑稽であると同時に、直視ギリギリレベルでグロテスクである。何もかもを幼少期の戦争体験に帰結させるのは乱暴かもしれないけれど、脳内にこんなにも豊かな怪物を渦巻かせているなんて、そこに刻み込まれた恐怖は察するに余りある。だからこそ、作家は自己の中でパンパンに膨張した記憶のイメージを噴出させる。そしてそれらを、衛兵や番犬のように周りにはべらせるのだ。
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内側に入ってしまえば怖くない
なぜなら怖いモノは、その中に入ってしまえば、ふしぎと安心するからだ。自分の中に抱えているより、向き合うより、囲まれてしまうのが最適解なのかもしれない……そうハッと気づかせてくれたのが、故・赤塚不二夫とのコラボレーションシリーズのひとつ『田名網敬一×赤塚不二夫「TANAAMI!! AKATSUKA!! / Tanaami tea ceremony」テント』だ。会場の外に展示されていたので順番は前後するが、感覚としては本作も第10章に連なるものだと思う。
怪しすぎるテントの中に入った瞬間、驚くほどの安心感に包まれた。自分が不気味なモノどもの内側に入り、内側と外側が逆転することで、裏から見る彼らが守り神のように頼もしく感じられたのだ。残念ながらこのテントは内覧会のみでの特別展示だったが、「貘の札」のワードとともに、なぜ作家が執拗にグロテスクなイメージを表出させ続けるのか、ストンと腑に落ちた展示だった。
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冴えわたる11章、これこそがいいのだ!
……で、ここで終わらずさらに展示は続く。最後の11章は故・赤塚不二夫(漫画家)とのコラボレーション作品の展示だ。正直言って「何かのプロモーションのために企画されたものだろう」くらいに思っていたのだが、全然そんなことはなかった。赤塚不二夫を敬愛していたという田名網が、赤塚の死後にラブコールすることで実現した超濃厚な絡み合いである。イヤミやアッコちゃんなど、大好きなキャラクターを自身の世界に招き入れるお墨付きを得た田名網は、まさに水を得た魚。この章の作品はどれも異様な切れ味だ。
中でもお気に入りは、『焼夷弾の雨』という痛々しいタイトルの作品。戦闘機の下、「ワーッ」「ドガチーン」「ボカッ」と赤塚漫画らしい擬音で画面が騒々しく埋められている。中央でイヤミが溺れそうになっているのは、アメリカンコーヒーなのか、それとも血の海なのか。国民的ギャグ漫画のキャラクターとオノマトペを使うことで、お砂糖一杯どころではない皮肉の溶け込んだ作品となっている。