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「雅楽って、思い込みがあるからつまらなく聴こえるんじゃないかと」(石田)
―『開門音楽祭』のプレスリリースに三船さんのコメントが載っていますが、そこでは「“日本の伝統表現”についてのイメージは?」という問いに対し、「ずっと僕らの日常にあるものなのに、多くの日本人が忘れてしまっている。でも見えないところで進化し、生き続けている、タイムレスな表現だと思います」と答えていますよね。
三船:日本に帰ってきたとき、毎月何らかの行事があることにびっくりしたんですよ。正月があって、節分があって、雛祭りがあって、毎月何かをやっている。しかもそこでは音楽が鳴っていて、人々のいろんな願いが込められている。日本人はみんな「僕ら無宗教なんです」とか言うけど、鳥居を見たら頭を下げるわけで、十分スピリチュアルだよって(笑)。
―確かに(笑)。
三船:日本では暮らしの中にそういうものが染み込んでいるわけですけど、ヨーロッパやアメリカではそうした風習が失われてしまっている部分もある。そういう意味でも雅楽がまだ残っているということ自体、すごいことだと思うんですよ。

―伝統的風習にしろ、雅楽にしろ、日本だと暮らしに染み込みすぎて、意識すらしなくなっているんでしょうね。
石田:『SHOGUN 将軍』の音楽を作ってるときにLAで公演をしたんですけど、そこで衝撃的なことがあって。日本人の感覚だと、雅楽って古くてつまらない、誰も集中して聴かない音楽っていうイメージが強いですけど、LAの公演で篳篥を吹いたら拍手喝采。笙を吹いたら「イエー!」っていう声が上がるんですよ。
―日本だとありえないですよね。
石田:そうなんです。だから、日本だと知らぬ間に雅楽に対する刷り込みがされてると思うんですよ。たとえば、「校長先生の話はつまらない」っていう刷り込みがあったら、どんな話をされてもつまらなく感じるように、雅楽って「じっと聴いていなくちゃいけない、つまらない音楽」っていう思い込みがあるからつまらなく聴こえるんじゃないかと。
―先入観というか。
石田:そうそう。YouTubeとかいろんなところで雅楽について話をしていますけど、それは雅楽に対する日本人の先入観を解くためなんですね。日本人の持ってる雅楽に対する認知を変えたいんです。雅楽っていっても、僕のライブはつまらなくないでしょ?
三船:逆ですよ。すごくおもしろかった。
石田:何の説明もなくそのまま演奏すると、博物館の研究対象みたいに観られてしまうと思うんですけど、少しお話しして、前提の認知を変えるだけで、聴こえ方って変わるんです。
―それは雅楽に限らず、日本の文化すべてに言えることでもありますよね。
石田:まさにその通りだと思います。
―あえてお聞きしたいのですが、石田さんご自身、雅楽に対しては「伝統的なものを作っている」という意識でやっていらっしゃるのでしょうか?
石田:「古いものをやってる」という意識はまったくないです。雅楽の作曲家って日本に10人もいなくて、誰もタッチしていないんです。だから、新しい曲のアイデアが腐るほど出てくるし、作曲のスケッチは200曲分ぐらいあるので、とてもじゃないけど、古いものをやってるという感覚ではないんです。

―ROTH BART BARONが昨年出したアルバムに“狐火”という曲がありましたが、あの曲には、ある種の日本的な雰囲気がありましたよね。三船さんはどのような意識であの曲を作られたのでしょうか?
三船:あれはもろにコンセプチュアルな曲なんですよ。日本人がどれだけ「日本らしさ」というものを勘違いしているか、記号的な和の要素を、表面的な「ラベル」のようにペタッと貼ってみたらどんなものができるんだろうという発想から作ったんです。あの曲には和楽器を全然使ってないし、日本っぽい要素もあまり入れてないんですけど、こういうわかりやすい記号的な要素があるだけで、みんな「日本っぽい」って思うんだなっていうのは百発百中ですね。その勘違いこそが今の日本を作っているんじゃないかと。
―おもしろい発想ですね。日本人である僕らですら「日本的」なるものを勘違いしているし、分かっていない部分が多い。でも、それこそが「日本的」でもあるという。
三船:そうですね。みんなの視界の外側にも可能性があるような気がしていて、それを目に入れるところまで持っていけると楽しいと思うんですよ。今回のコラボレーションもその一歩目という感じがするんですね。