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The Strokes 25年来のファンが、コーチェラと新譜『Reality Awaits』に思ったこと

2026.8.12

#MUSIC

The Strokes by Roger Woolman, CC-BY-3.0
The Strokes by Roger Woolman, CC-BY-3.0

The Strokes 6年ぶりのアルバム『Reality Awaits』が7月24日(金)、国内盤は8月12日(水)にリリースされた。

4月に開催された『Coachella Valley Music and Arts Festival』で、彼らは異例とも言えるアメリカ政府批判・反戦のメッセージを直接的に表現するパフォーマンスを行い、ファンを驚かせた。

あのステージを経てドロップされたニューアルバムは、いったいどのような内容になっているのか。そして、デビューから25年に渡りThe Strokesを聴いてきたファンにとって、現在の彼らの姿はどのように映り、その新譜はどのように響くのか。ブロガー・Stoneに想いを綴ってもらった。

2001年に颯爽と現れた、自分たちの世代を定義づけるバンド

僕の家の鍵には、お馴染みの「The Strokes」のロゴが刻まれた、ボロボロの鉄製の栓抜き型のキーホルダーが付いている。2002年2月、Zepp Tokyoの初来日公演で購入したグッズだ。当時大学2年生だった僕は、受験のために上京していた2歳下の弟を連れてお台場へ向かった。開演時間から大幅に遅れて登場した彼らは、わずか1枚のアルバムを叩きつけるように演奏し、風のようにステージを去った。

あの日以来、この小さな鉄の塊は、僕のポケットの中で24年間、毎日欠かさず役割を果たしている。学生時代を過ごした安アパートに最後の鍵をかけた日。新社会人として奮闘する毎日。結婚式の朝。まだ何も分かっていないくせに世界が違って見えた、娘が生まれた病院からの帰り道。娘たちの入園、卒園、入学の日。なんでもない忙しない平日。ロゴの色は褪せ、塗装は剥がれ落ち、鉄の地肌は鈍く光っている。それでも壊れない。ポケットの中で擦り減りながら、今日も変わらず鍵を開ける。

高校時代、福岡の片田舎のTSUTAYAで手に取ったRadiohead『OK Computer』(1997年)は、僕の世界を一変させた。そこに鳴っていたのは、社会やテクノロジーや資本主義そのものへの違和感だった。音楽が世界の見方を変えられることを、そのアルバムは教えてくれた。2000年、大学進学で上京し、大学と書店とレコード店を往復する毎日が始まった。地方では決して出会えなかった音楽や映画や本が、東京には溢れていた。けれど、その頃のギターロックには、どこか行き止まりのような空気も漂っていた。

上京した2000年は、Primal Scream『XTRMNTR』やRadiohead『KID A』がリリースされた年だ。翌年にはDaft Punk『Discovery』もリリースされ、本当にクールで批評性に満ちた音楽は、すでにオルタナティヴロックの荒野を開拓し尽くしたかに見え、フロンティアは電子音の海へと移行していた。『OK Computer』はすでに一つの頂点としてそびえ立ち、『KID  A』がロックという形式そのものを解体し始めていた。一方、ギターを抱えた次世代のバンドたちといえば、安直なメランコリーに沈むか、音圧の競争、表面をなぞるようなパンクへと逃避しているように見えた。洗練された知性と野性を兼ね備えたロックンロールは、絶滅したかに思えた。

そこへ突如、ニューヨークから5人の若者が現れた。The Strokes『Is This It』(2001年)。重厚な音圧とは無縁の、2本のギターが絡み合うスカスカで小気味よいアンサンブル。気怠いボーカルに、ベースは踊るように動き、ドラムは必要以上に主張しない。ビンテージなサウンドから、奇跡のような均衡が生まれる。古くて新しくて、圧倒的にクールだった。古着のジャケットにタイトなジーンズ、履き古したコンバースといった彼らのスタイルは、ファッションのトレンドも更新した。

彼らは「ロックは死んでいない」と叫ぶ代わりに、静まり返った焼け跡で「Is this it? (これだよね?)」と呟き、ロックンロールを軽やかに、そして完璧にアップデートしてみせた。Nirvanaも、Red Hot Chili Peppersも、Oasisも、Radioheadもすでに歴史になり始めていた時代、ついに自分たちの世代を定義づけるバンドが現れた瞬間だった。

25年後に、会社員・父親として観たコーチェラ

あれから四半世紀が経った。大学生だった僕は、家庭を持ち、父親になった。平日は仕事と家事に追われ、休日も家族の予定で埋まる。カルチャーが人生のすべてだった学生時代とは、まるで違う生活を送っている。そんな2026年春の休日の午後、子どもの習い事の送迎の合間に時間を確保し、『Coachella』のThe Strokesのステージを観た。

画面に現れたジュリアン・カサブランカスは、Amazonの「Prime」のロゴを「Crime」に書き換えたTシャツを着ていた。巨大テクノロジー企業が生活基盤となり、アルゴリズムが人間の趣味や政治意識までも最適化していく2026年に、その文字はずっと重く見えた。

ライブの途中、ジュリアンは言う。「みんな“ドラフト”にエキサイトしてるか? ああ、NFLのドラフトの話じゃないよ。6か月後には、兵役の対象になる人は全員登録しないといけなくなると思うね。楽しみだろ? 我らが誇る軍の中で、一番セクシーな“コーチェラ部隊”を率いられたらと思うよ」

このブラックユーモアが冗談として聞こえない時代になってしまったことを、僕たちは知っている。彼らは誰かを扇動して革命を叫ぶようなバンドではない。彼らは昔と変わらず、巨大なシステムに対する居心地の悪さを、皮肉とユーモアで炙り出す。

だがその一週間後、彼らは極めて政治的なパフォーマンスを行う。ステージ背後の巨大スクリーンに、CIAの関与が疑われる政権転覆・要人暗殺の記録が、名前と写真つきで次々と映し出される。“Oblivius”でジュリアンが<What side you standing on?>と繰り返す中、イランとガザで破壊された大学の映像をバックに、演奏は締めくくられた。

これまで政治的なメッセージをダイレクトに表現することがなかった彼らのパフォーマンスに驚くと共に、高揚感と懐かしさも覚えた。僕が最も音楽に夢中になっていた2000年前後、ロックバンドは世界で起きていることを、真正面から引き受けようとしていた。Manic Street Preachersは社会の偽善やファシズムへの批判を知的な詩で表現し、Rage Against the Machineは権力に正面から抗い続けた。U2のボノは「Jubilee 2000」で第三世界の債務帳消し運動の先頭に立ち、Radioheadは『OK Computer』『Kid A』で消費社会やグローバリズムそのものを問い直した。

ポップミュージックが社会を語ることは、例外でも炎上商法でもない。「音楽に政治を持ち込むべきでない」あるいは「音楽は政治に声を上げるべきだ」という論争に意味はない。全ての音楽が政治的である必要はないが、音楽が現実の社会を超えていくことは免れない。ブルース、ソウル、レゲエ、パンク、ヒップホップ。ここにはない社会を志向することもまた、ポップミュージックのひとつの伝統だ。地方の労働者階級に育ち、文化資本もない家庭に育った僕は、その頃のロックから世界の見方を学んだ。東京へ出た後も、資本主義の中心のような街と、企業の歯車になることを前提とする大学の空気に、どこか馴染めずにいた僕にとって、音楽は「現実」を相対化し、世界と向き合うための概念装置でもあった。

SNSが怒りや理想すらコンテンツへと変え、アルゴリズムの燃料として消費される民衆の不満が、強権的な指導者への支持に回収される現代。そんな時代にあって彼らのパフォーマンスは、僕たちの世代には音楽が権力を疑う伝統を思い出させ、若い世代には「音楽だけでなく、歴史や政治もディグしているか?」と問いかけているように感じた。

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