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NEWS EVENT SPECIAL SERIES

カルチャーを愛する大人が、老害にならないために。パンス×柴崎祐二×伏見瞬トークレポ

2026.5.20

#BOOK

「いまどきの若者は〜」という定番の文句は、いつから言われていたのか——明治から令和のZ世代まで、時代々々で「若者」がどう語られてきたかを辿る新書『「いまどきの若者」の150年史』が、3月に刊行された。5月13日(水)、その発売を記念して、著者のパンス、評論家の柴崎祐二、批評家 / YouTuberの伏見瞬によるトークイベントが下北沢の本屋B&Bで開催された。

「“カルチャー小僧”だった私たちが“老害”にならないための“大人らしさ”考」と題されたイベントでは、カルチャーを愛する40代前半の論客3人により、「若者と大人」「成熟」をめぐって多岐に渡る議論が繰り広げられた。その模様を一部抜粋してお届けする。

みんなロックフェスに行く、全員が若者化した社会

柴崎:以前ここ(B&B)で、同じメンバーで僕の本の刊行イベントをやらせてもらったんですよね。

※2023年10月11日(水)『ポップミュージックはリバイバルをくりかえす』刊行記念「新しいムーブメントは、リバイバルとともに生まれる」

伏見:あのとき、僕がやたら政治の話をしちゃったせいで、後日に記事化される予定だったのに、実現しなかったんですよね……。それで、さっきも企画者から「現代思想用語とか、難しい言葉を出すな」「脱構築するな」と言われたんで(笑)、今日はもうちょっとライトな雰囲気をなるべく出していきたいですね。話したいことはいろいろありますが、どこからいきますか?

柴崎:まず、今日のこのテーマ(=カルチャーと大人 / 成熟について)がなんで与えられたのかという話からしたらいいんじゃないですか。(本の)最終章の話と続いてるでしょ。大人になることの困難性みたいな話を書かれてるじゃないですか。

パンス:そうですね。本の中で「もはや全員が若者です」というようなことを書いていまして、それは身近な例を挙げると「みんながロックフェスに行く」ようなことです。1970年代前半くらいだったら、ロックフェスは若者が行くものだったけども、いまはその(=フェスに行くような)ライフスタイルが(齢を重ねても)ずっと継続していて、年配の方でも『フジロック』に行くのは普通になっているわけですよね。

なんでそういう社会になったのかと言うと、本の裏テーマみたいな感じで「個人化」という言い方をしているんですけど。もともとあった、郷土のコミュニティ、あるいは労働組合とか宗教とか、そういったコミュニティからどんどん個人がバラバラになっていったのが、後期近代、特にここ50年くらいの傾向だった。一人ひとりが趣味やライフスタイルを構築する時代になっていったんですね。いま生きているほとんどの人というのは、その後期近代的な、1960年代に若者によって生み出されたスタイルの中で生きているわけです。

柴崎:成熟のスタイルみたいなものが、一様には規定されなくなった。昔だったらこう、だんだん恰幅がよくなってきて、社会的地位も得て……。

伏見:父親になって子どもを育てるのが当たり前、みたいなね。社会的責任と家庭的責任を両方背負って生きていきましょう、それがふつうの大人だよと教えられて、そういうものだよなと思いながら生きていた。

パンス:そうですね。そういうモデルケースが少なくなってきた。もちろん昔ながらの構造もまだ残ってはいるけど、そうじゃないバッファみたいなものがいっぱい出来ていて。

(左から)柴崎祐二、パンス、伏見瞬

「アップデート」は成熟か?

柴崎:パンスさんとしては、「成熟」できる余地があるんだったら、みんな大人として成熟した方がいい、という考えなんですか?

パンス:あー、僕はあんまりそう思わないですね。ちょっと言い方が難しいけれど……最近、若い頃好きだったコンテンツを「不適切だ」と批判することによって、自分はアップデートされて成長したんだと言うような風潮があると思うんですけども、それもある種の成熟志向の表れだと思うんですよね。でもこれって、わりと小林よしのりが1990年代中盤に言っていたこととも近くて。小林よしのりは、当時対立していた『SPA!』のような「サブカル」を否定して「プロとして生きる」みたいに言ってるんですけど。

伏見:言ってましたね。職人性、みたいな。

パンス:そうそう。それが徐々に横滑りしていって、「公」というものを大事にする、というところから右傾化していって、歴史修正主義的になってしまった。(いま「アップデートした」ことを自認・公言している人のあり方は)それと思想的には正反対だろうけど、構図の撮り方は似ていると思うんです。

柴崎:わかりますよ、すごく。1990年代サブカルの断罪とかでしょ。

パンス:はい。「自分が若かった頃を箱にしまって、新しい自分になろうとする」みたいな試みが成熟とは、僕はあまり思ってないんです。

柴崎:差異化ゲームから降りるということ自体がシグナリングになっている、という話ですよね。それはすごいジレンマだよね。

パンス:そうそう。だから、まったく生まれ変わったように思っているかもしれないけど、それはカルチャーの中の出来事でしかないというか。「違うファッションを着る」のに近いんじゃないかという気がしますね。

伏見:そこには2つ問題があると思っていて、「オタク / サブカルが成熟するにはどうしたらいいか」と言っても、それは「成熟したオタク」にしかならないのでは? サブカルが成熟しても「成熟したサブカル」なのではないか、結局その枠から抜け出ることができないんじゃないか、問いの立て方自体が変なんじゃないかというのがひとつ。もうひとつは、それを言葉にすることのジレンマを感じるんですよね。最近『バチェロレッテ』(※)にハマって見ているんですけど、その中で、男の子がデート中に「サプライズがあるんだ」って言うんですよ。それ、サプライズじゃないじゃないですか(笑)。

※『バチェロレッテ』:Amazon Prime Videoで配信されている恋愛リアリティ番組

パンス:(笑)。言っちゃってるからね。

柴崎:それで「実は何もないんだ」っていうのはどうでしょう?(笑)

伏見:うん、なかったらサプライズだけど(笑)。それと一緒で、「成熟するんだ」と言えば言うほど成熟できない問題というか。パフォーマティブに……「行動で示せ」みたいなのもちょっとマッチョな感じがしますけど、問題として両方あるような気もしていて。

アメリカという「父」の存在

柴崎:たしかに。成熟っておそらく内在的なもので、チェックシートに照らし合わせて「クリア」していくようなものでは本質的にはないはずだと思うんですけど、いまのメディア環境の中では「成熟してるか、してないか」を検分するようなことがある種コンテンツになっちゃうというか、そうするとより本質的な成熟から遠ざかっているような感じもありますね。

パンス:人気ありますよね。江藤淳の『成熟と喪失』(1967年)とか、いまだに参照されるし。

柴崎:父性的なものの不在と、日本の自然風土や共同体としての母性的なものが壊れていく中で、どうやってアイデンティティを獲得して成熟すべきか、というような論ですよね。そういう中で、「アメリカ」が擬似父性的なものとしてせり出してくるのが戦後日本である、という読みもできる。

江藤淳『成熟と喪失 “母”の崩壊』(講談社文芸文庫)

パンス:はい。あくまでもSNS上で見られる傾向ですけど、昨今『成熟と喪失』への言及などを見ていると、「アメリカ」の存在が希薄になっちゃってて。もともとそういう論旨だったのに、ただ成熟っていう、そこで提出されたキーワードだけが問題化しているように思いますね。

柴崎:その後の江藤の仕事にも現れていますが、かつては対米従属に関する問題意識と切り分けがたい議論だったとも言えるんだけど……。

パンス:はい。そこが不可視化されちゃっている。

伏見:そこは今回僕が問題提起したかったことのひとつですね。我々はアメリカに対するアンビバレンツというか、アメリカに憧れているけどそこから脱さなきゃいけないという気持ちを、国家レベルで抱えていた。それが、いまはアメリカの方がごたついていて、あれが「強い国」なのかどうかもよくわからなくなっていますよね。カルチャーへの憧れも薄れていると言われているし、実際そうだと思うんです。洋画が流行っていない、洋楽が流行っていない。ティモシー・シャラメが来日しても、かつてのディカプリオのようにキャーキャー言われない。という中で、いま本当にアメリカというものが大きい存在なのかどうか。

一方で、結局僕らはアメリカンカルチャーを追いかけてもいますよね。みんな『コーチェラ』(※)とか見てるし。『コーチェラ』にラテンの人がいくら出ていても、あれはアメリカの中で、アメリカの価値観でやっているフェスティバルなわけで。なので、加藤典洋が言うところの「アメリカの影」が本当に消えているかどうかというのは、僕の中で答えがなくて、お二人と話してみたいと思っていたんです。

※『コーチェラ』:カリフォルニアで開催される世界最大級の音楽フェスティバル。

パンス:冷戦期にはアメリカというのは(左翼から見て)敵だったんだけど、1960年代からは、若者が享受するのが、アメリカからのもの中心になっていく。学生運動があった頃というのは、ソ連的な感覚とかも、若者の中にまだ同居していたわけです。「うたごえ運動」(※)みたいなね。なんだけれど、そっちはファッショナブルでもないし魅力的じゃないから、どんどん後退していって、デタント(=冷戦緩和)の時期に入っていくともう完全にアメリカ、もしくはイギリスのものが、若者文化の中で勝利していく。その頃からは、いかに「洋楽」というものを追いかけていくのかが至上命題だったけれども、1980年代ぐらいにそれが完成されてしまって、所与のものになってしまった。

※うたごえ運動:1950年代に隆盛した、市井の人々が集まって合唱する社会運動。主に労働歌や革命歌などを歌う。その拠点となった歌声喫茶(集まって合唱する店)も流行した。

アメリカへの憧憬と「成熟」

パンス:それで、『コーチェラ』は私も見たりするんですけど、見ている人たちの反応を見ていると、アメリカが再びちょっと「遠い存在」になっているのかな? と考えたりします。ほかにもK-POPとか日本のものがたくさんある中で、むしろリスナーにとって再びアメリカが「かっこよくて、憧れのあるもの」みたいに戻りつつあるんじゃないかなと。どうですかね?

伏見:ああ、逆に一回、アメリカの文化が所与のものになったところから、またちょっと遠いかっこいいもの、みたいな感覚がよみがえっている?

パンス:そう。当たり前にあるがゆえに完全に見えなくなっちゃったところから、やや特別なものとして再び立ち上がってる気がする。

柴崎:僕もだいたい同じような発想を持ってます。アメリカはGHQの占領時代において「検閲しているということ自体を検閲していた」り、占領していることを表象させないようにしていた時代があって、ある種「優しい父」として懐柔してくる面があった。その一方で、基地問題とかビキニ環礁の事故があったり、「疑似父」という以上の暴力的な存在として日本に君臨していたわけです。それが——吉見俊哉が「シンボルとしてのアメリカからシステムとしてのアメリカへ」と表現していますが——だいたい1970年代半ば頃を分水嶺に、他者としてではなく、私たちの内面に馴致された存在として、ライフスタイルの中に取り込まれた。日本にとってアメリカが、いわば鞣された存在、空気のようなものになっていった。そうなってくると、対米関係が文化的表象として可視化されないだけで、批判意識が希薄化した分、アメリカ的なものへの憧憬は、もしかしたら強化――というか敷衍されている可能性もあるんですよね。

伏見:憧れがより強くなっている可能性もある。

柴崎:そう。普段はなんとなくスルーしているけど、たとえば結婚式場のモデルがいまだに白人なのはなんでですか、みたいなことがあるでしょ。ポストコロニアリズムの理論でそういうところを批判するのは可能だと思うけど、生活レベルではかなり浸透しきっちゃっている。ある意味、アメリカのソフトパワー外交が完全に完成されてるわけですよ。それを空気として受け取ってしまっている中で、私たちは「普通に」コーチェラを楽しむ。それがどういうことなのかというのを考える方が興味あることのように思います。伏見さん、何か反論ありそうですけど。

伏見:いやいや、俺、この前のイベントは俺のせいで政治的になったと思ってたんですけど、俺のせいじゃなかったことがいますごくわかりました(笑)。

パンス・柴崎:(笑)。

伏見:この三人の必然だったんだ、とお二人の話を聞いていて気づきました(笑)。で、アメリカが本当に空気みたいになったということですよね。それに対して対抗するっていう意識すら持てない状況の完成というのがあって、そもそも対抗すべきなのかもよくわからない、と。

柴崎:アメリカ文化というものは、言ってみれば大衆文化ですよね。近代以前のヨーロッパの文化的なヒエラルキーみたいなものと切れているところから始まっている。要するに、アメリカの大衆文化の中には最初から古典的な意味での成熟という概念が存在していないとも言える。それはいまの混乱したアメリカを見ていてもそう思えます。だから、知らずにアメリカに憧憬を抱かされている、あるいはそれに馴致されているという構造の中では、古典的な意味での成熟は最初から成し得ないんじゃないかと思うんです。アメリカンポップカルチャーが好きな人は、ずっとパーカー着てるじゃないですか(笑)。

パンス:ITとかまで含めてね。最近話題になりましたけど。

柴崎:そうそう。カリフォルニアイデオロギーみたいなのも含めて、みんな若者っぽくドレスダウンしてるでしょ。そういう文化的な空間の中にポップカルチャー〜サブカルチャー好きとしての我々はいるので、その中で「成熟」というものを追い求めるという構造自体が、ある意味捻じ曲がってるんですよ。

成熟=保守化というジレンマ

パンス:伏見さんは以前、「アメリカよりヨーロッパが好き」と言ってましたよね?

伏見:そうなんですよ。僕は1985年生まれで、その頃ブルース・スプリングスティーンみたいな、ジーンズにTシャツをインして〜みたいなのって、超ダサいと思ってて。今はスプリングスティーン大好きですけどね。僕だけじゃなくて、周りにもアメリカが好き、という感覚は薄かった。大学はフランス語学科で、ジョルジュ・バタイユで卒論を書いたし、アメリカへの憧れが実はなくて。そういう青春というか、人格形成をしてきたところがあるので、江藤淳の「成熟」の議論とかを見ていても、ちょっと「なに言ってるんだろう?」という気持ちがあった。それで、江藤に対してツッコミを入れていた蓮實重彦に同化するんです(笑)。

パンス:この本に書きましたけど、日本の若者史はいろんな国からの影響があって、戦前はドイツやロシアが大きいんですね。それが、第二次世界大戦を境にしてなくなっちゃって。新たにブリティッシュロックなどでイギリスが立ち上がってきつつ、同時に、フランスはずっと残ってる。フランス的なものとアメリカ的なものというのが、文系の若者が摂取するキーワードとしてある。

柴崎:考えてみると、いま現在もめっちゃそうですよね。

パンス:うん。でもいまって、フランスを意識することは目に見えやすいけど、アメリカを意識していることは、姿形に出づらい。やっぱり、透明化されてるんじゃないかと。

伏見:そもそも国に限定したカルチャーを愛する態度が、ちょっと古臭くなっているというか……。

パンス:それもありますね。

柴崎:いまあえてヨーロッパの国の名前を挙げて「その国の文化が好きです」と言うのは、国民国家概念の枠組みをどこかで前提にしているようなところがあって、グローバル化するポップカルチャーを嗜好するあり方とはすれ違うかもしれない。

伏見:まず国民国家がダサい、みたいなところもある。

柴崎:うん。ただアメリカの場合は非常に難しいところがあって、 建前としてはいまも共和制であり、成り立ちとしても多文化的な背景があるわけですよね。沢山の「周縁」を組み込みながら発展してきた国だとも言える。それで考えてみれば、日本で人気のあるアメリカ文化って、ほとんどが周縁文化 / カウンターカルチャーなわけですよね。

伏見:そうですね。ブラックミュージックがまずそうだし。

パンス:僕は学生の頃、ヒップホップがすごく好きだったんですけど、政治少年でもあったので、同時に反米でもあったんです。ジェフ・チャンの『ヒップホップ・ジェネレーション』(原著2005年、初訳2007年)という本に「ヒップホップは、アメリカ的なものの“ダブサイド”だ」という説明が出てくるんですよ。ダブサイドというのは、12インチ(シングルレコード)のB面に入っている、すごく変型されたバージョン、というようなことなんですけど、「めっちゃいいメタファだ、俺も使おう」と思って。好きなアメリカはダブサイドのアメリカ、みたいに自己規定してましたね。

ジェフ・チャン著、押野素子訳『ヒップホップ・ジェネレーション[新装版]』(リットーミュージック)

柴崎:そう。周縁文化であり、ときに対抗文化でもある、なおかつそれを日本人として受容している中で、自分の中にも、憧憬ともに「これは私のためのものなのか、ある意味で不遜でもあるんじゃないか」というアンビバレントな気持ちがずっとあるんですよね。そう言われてみると、若者時代に立ち止まることなくアメリカ文化を消費してきた中で、「あなたはその趣味嗜好のままで、社会的存在として成熟して、大人になるということをどう思いますか?」と言われると、そのアンビバレントな気持ちもまた止揚しづらいというのがある。だからといって、ポップカルチャーの前線には目もくれず、「じゃあ1920年代のジャズをずっと聴きます」と言ったところで、それは回顧趣味という志向性の問題であって、いま話している成熟とは違いますしね。

パンス:そうそう。そこでみんながすべり落ちてしまいがちなのが、「日本」に行ってしまうということだと思うんですよ。成熟を追い求めるがために、保守化することに行きがち。でもそれも避けたいな、というところもあって。

柴崎:でもね、その呼び声というのは——それこそカウンターカルチャーに鼓舞されてきた人間としてはなるべく与したくないという気持ちはありますけど——歳を取れば取るほど、その説得性みたいなものにきちんと対峙しなくてはいけない気持もしてきて。

パンス:お、それは、保守化しているということ?

柴崎:いや、その説得性を知ることを通じてそこへ与しないようにするというか……。言い方が難しいんですが。

伏見:あ、僕は保守化してますよ!

パンス:実は僕もそうなんだけど……。

伏見:「日本」をある程度受け入れざるを得ないと思うようになりました。

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