グローバルなポップミュージックの「地図」は、確実に書き換わりつつある。
ラテンがブームだとか、アジアに勢いがあるとか、次はどこだ? とか、そういう表層的なトレンドの話じゃない。ポップミュージックと言語の関係性を巡る話だ。ストリーミングの浸透で楽曲が世界中に届くようになり、ファンダムがグローバルに形成されるようになった。それを前提に、英語が唯一無二の「共通語」として君臨してきた時代が終わりつつある。「グローバルに活躍するなら英語で歌わなきゃ」という前提は、もはや過去のものだ。韓国語の楽曲で全米1位を獲得したBTSや、全編スペイン語の作品でグラミー賞最優秀アルバム賞に輝き、2026年の「スーパーボウル」のハーフタイムショーを沸かせたバッド・バニーの躍進が、それをはっきりと証明している。
いわば、これはMTV全盛の1980年代に起こったことの真逆の動きだ。あの時代のグローバル化とは、すなわち「市場」のグローバル化だった。マイケル・ジャクソンやマドンナやDuran Duranといった英米のポップアイコンがアジアや南米を含む世界中の市場を席巻した。だから「グローバルに活躍するなら英語で」という前提が成立した。しかし今起こっているのはポップカルチャーにおける「文化」と「言語」のグローバルな多様化だ。
そして、これは音楽の分野だけの話ではない。言葉の壁は今、急速に溶解しつつある。AIの普及で多言語翻訳が容易になった。英語でも、スペイン語でも、韓国語でも、日本語でも、思いを届けるためのハードルが劇的に下がりつつある。
では、その先にどんな時代が訪れるのか?
その問いに1つの示唆を与えてくれるアルバムが、ロザリアの『LUX』だ。2025年を代表する1作として各所で大絶賛を集めた本作。オーケストラや合唱と先鋭的なビートを融合させたサウンド、女性聖人をモチーフにした四部構成のコンセプチュアルな内容など、語るべきことは山ほどある傑作だ。ただ、ここではこのアルバムの持つ「多言語・多文化的なポップミュージック表現」に注目したい。
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日本語の登場に驚く。全13言語を用いたアルバム
このアルバムの言語表現は、ちょっと衝撃的だ。配信リリース版の歌詞には全13言語が用いられている。メインはスペイン語。彼女のアイデンティティを示すカタルーニャ語、グローバルなリーチを担保する英語も多く使われる。そして各曲に日本語や中国語、ラテン語やヘブライ語も含むさまざまな言語が散りばめられる。1月28日(水)にリリースされた国内盤を含めた完全版のフィジカル盤では北京語が加わり、全14言語だ。
僕も含めた日本語圏のリスナーにとって大きなフックを持つ曲は“Porcelana”だろう。この曲には<美貌なんて 捨ててやる / 君に台無しにされる前に / ヤバい奴って思うかな / 持って生まれた才能なの / 私はカオスの女王 / だって神様が決めたこと>というリリックがある。そこで思わず耳が惹きつけられる。ぎょっとするような感覚がある。
全曲を聴いて気付いたのは、スペイン語でも英語でもない箇所でこそ、そういうフックの強いフレーズを歌っているということ。“La Yugular”には<من أجلك أدمر السماء، من أجلك أهدم الجحيم، فلا وعود ولا وعيد(=あなたのためなら天をも引き裂く 地獄も壊す 約束も 脅しもいらない)>というアラビア語のリリックがある。おそらくアラビア語圏のリスナーは、そこでぎょっとするような感覚を覚えるはずだ。
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フラメンコの再構築、『LUX』が提示する多文化性
なぜロザリアは『LUX』でこの「多言語・多文化的なポップミュージック表現」の境地に辿り着いたのか。その由来はスペインの伝統音楽であるフラメンコを「再構築」してきた彼女自身のこれまでのキャリアにある。
スペイン・カタルーニャ自治州出身、幼少期にThe Beatlesやブルース・スプリングスティーンを聴いて育ったロザリアは、10代で出会ったフラメンコに衝撃を受け、音楽の道に進んだ。2017年のデビュー作『Los Ángeles』は、カタルーニャ高等音楽院の在学中に発表された1枚。フラメンコを現代的に再解釈したカバーアルバムだ。
2018年の2作目『El Mal Querer』ではR&Bやヒップホップなどポップスの様式とフラメンコを融合。2019年以降はJ・バルヴィンを迎えた“Con Altura”やビリー・アイリッシュとの“Lo Vas A Olvidar”、バッド・バニーとの“LA NOCHE DE ANOCHE”など、コラボ曲を続けざまにリリース。
グローバルなポップスターとの邂逅と共に快進撃を遂げ、2022年の3作目『MOTOMAMI』はレゲトンなどを基軸にしたポップミュージックへと移行。ラテンアメリカの音楽カルチャーを取り込み、自身の音楽性の領域を「スペイン語圏の音楽」全体へと広げた。
こうしてロザリアは誰もやらなかった手法でフラメンコをポップミュージックの領域に拡張してきた。『LUX』もその延長線上にある。ビョークとイヴ・トゥモアを迎えオペラ的な歌唱を見せる“Berghain”を筆頭に、ロンドン交響楽団との共演でクラシックの要素を大きく取り込んだ。そのドラマティックなサウンドの中に“La Rumba del Perdón”などフラメンコの要素が息づく楽曲が配されている。カルミーニョとの“Memória”ではポルトガルの伝統音楽であるファドも取り入れている。ロザリアは本作で自身の音楽性の領域を多文化的な「伝統音楽のモダナイズ」そのものへと広げたわけである。
そうした『LUX』の多文化性は、彼女のルーツであるフラメンコの本質にも結びついている。そもそも、フラメンコという音楽自体に、スペインのアンダルシアを中心にロマやアラブなど複数の文化的伝統が折り重なる中で育まれてきた成り立ちがある。
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ビヨンセ、米津玄師……自らのルーツを掘り下げて更新する潮流
ロザリアだけではない。トップアーティストたちが自らのルーツと伝統を掘り下げ更新する意欲的な試みも進んでいる。
たとえば冒頭にも挙げたバッド・バニー。最新作『DeBÍ TiRAR MáS FOToS』は故郷プエルトリコへの深い愛を表現し、ラテンの伝統を背負ったアルバム。これまでのレゲトンやラテントラップの枠組みにとらわれず、サルサやプレナなど伝統的なラテンの音楽ジャンルを掘り下げ、取り入れている。ラウ・アレハンドロの一連の『Cosa Nuestra』プロジェクトにも同様の意識がある。
ビヨンセは『COWBOY CARTER』で「カントリーミュージックの再構築」に挑んだ。カントリーを意欲的に取り入れ、その先人たちをゲストに迎えつつ、R&Bやソウルと融合しモダナイズした。ジャンルが持つ白人中心の音楽というステレオタイプを解体し、黒人文化としての側面を可視化した。それはテキサス州ヒューストンのカウボーイ文化の中で育った彼女自身のルーツの表現でもあった。
日本に目を向ければ、米津玄師のいくつかの楽曲にもそういう意識を見出すことができる。“IRIS OUT”がグローバルでヒットし、いまやJ-POPを代表する存在となった彼。もちろん世界的な躍進の背景には『チェンソーマン』などアニメとの結びつきは大きい。ただ、タイアップ主題歌としてのオファーと関係ないところで書かれたいくつかの楽曲には「日本の伝統文化への接続」のモチーフがある。たとえば、民謡や都々逸の節回しとファンクのグルーヴを融合させたようなテイスト“Flamingo”。米津はこの曲についてこう語っている。
自分は、日本人としてJ-POPを作ろうとしてきて。「日本人が共感できるようなものってなんなんだろう」と思って。歌謡曲とかニューミュージックとか、いろいろ日本の音楽の歴史を探していくうちに、根源的なものってやっぱり民謡だとか、そういうところにたどり着くんですよね。
「米津玄師『YANKEE』インタビュー」 / 音楽ナタリー(2014年)
また“死神”は、古典落語の同名演目をモチーフにした1曲だ。こういう視点から、米津玄師の表現に、ロザリア、バッド・バニー、ビヨンセと並べた「伝統のモダナイズ」という眼差しを見出すこともできる。