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映画『旅と日々』を音楽から観る。「情景」とノスタルジー、映画と音楽のマジック

2025.11.28

#MOVIE

うまく説明できないけど、いい映画だった。そういった感想を素朴に抱くことができるのは、いい映画の証なのかもしれない。

三宅唱監督の最新作『旅と日々』も間違いなくそういった類の映画と言えるのは、おそらく本作が劇的なドラマやセリフによって言語的に展開される作品ではないからでしょう。

そういう作品にこそ音楽を通じて向き合ってみたい——。音楽家の千葉広樹の連載「デイドリーム・サウンドトラックス」第3回は、音楽を切り口に『旅と日々』が描き出したものについて考えていきます。

寡黙なドラマ、鮮烈な「情景」、そこに身を置くシム・ウンギョン演じる主人公

三宅唱監督の最新作『旅と日々』は、3つのパートで形成されています。つげ義春の『海辺の叙景』『ほんやら洞のべんさん』をそれぞれ原作とした前半と後半、その中間部のオリジナルパートという構成です。

セリフも少なく、わかりやすく劇的なドラマが繰り広げられるわけではありませんが、それゆえに味わい深く豊かな作品となっています。

あらすじ:強い日差しが注ぎ込む夏の海。ビーチが似合わない夏男(髙田万作〈「高」は「はしご高」が正式表記〉)がひとりでたたずんでいると、陰のある女・渚(河合優実)に出会う。何を語るでもなく、なんとなく散策するふたり。翌日、ふたりはまた浜辺で会う。台風が近づき大雨が降りしきる中、ふたりは海で泳ぐのだった……。つげ義春の漫画を原作に李(シム・ウンギョン)が脚本を書いた映画を大学の授業の一環で上映していた。上映後、学生との質疑応答で映画の感想を問われ、「私には才能がないな、と思いました」と答える李。冬になり、李はひょんなことから訪れた雪荒ぶ旅先の山奥でおんぼろ宿に迷い込む。雪の重みで今にも落ちてしまいそうな屋根。やる気の感じられない宿主、べん造(堤真一)。暖房もない、まともな食事も出ない、布団も自分で敷く始末。ある夜、べん造は李を夜の雪の原へと連れ出すのだった……。

その中で強烈な印象を残すのは海辺の風景や雪景色といった「情景」、つまり映像そのものです。圧倒的なショットの数々は、原作を忠実にトレースしたものも含め、観客に多くのことを物語ります。本作はドラマやテーマ性で観客をリードするのではなく、映像そのもので感じさせる作品と言っていいかもしれません。

本作に向き合うにあたっては、情感豊かな映像(情景)と主人公・李(シム・ウンギョン)の視点、という構図を意識するといいかもしれません。では、両者はどのような関わりを持っているのか。

前半の夏パートでは、李は『海辺の叙景』を劇中映画化する脚本家としてメタ的な視点から作品に参加し、中間部で徐々にその存在が映画の中で前景化、後半の『ほんやら洞のべんさん』をもとにした冬パートでは中心人物として描かれていきます。

夏男(高田万作)と渚(河合優実)、夏パートより / ©2025『旅と日々』製作委員会
べん造(堤真一)と李(シム・ウンギョン)、冬パートより / ©2025『旅と日々』製作委員会

まず重要なのは、来日した韓国人脚本家の李の視点・主観が形を変えながらも、作品の主体として一貫して描かれていること。しかもその構図の見せ方が決してわかりやすいものではないのも興味深いです。

夏のパートでは鉛筆を走らせるを走らせる様子から李の視点をメタ的に描出し、中間部では「視点」を切り取るメタファーとしてフィルムカメラが持ち込まれ、その後の冬パートでの李の「主観」が徐々に際立っていく——。

こうした映画のありように、鮮烈な「情景」に溶け込む主人公・李の主体としての「主観」、という全体の構図を見ることができるわけです。

中間部のオリジナルパートでフィルムカメラを受け取る李 / ©2025『旅と日々』製作委員会

情景と紐づく環境音、心象風景を描き出す音楽

その「情景」と「主観」の間にあるのが、音・音楽である、というのが私の解釈です。

結論から言うと、この映画における「音楽」の役割はノスタルジーを喚起するトリガーであり、李の「心象風景」そのものなのだと考えます。しかし映像(情景)と音楽(心象風景)は乖離することはありません。約90分にわたって映画的なリアリティーと親密な関係を保持し続ける。

そこで大きな役割を果たしたのが、環境音と言って間違いないです。

波の音や風の音、木々のさざめき、虫の声、雨音、しんしんと降り積もる雪の音、ラジオ、サイレン、踏切の音、空調の音、街の喧騒、扇風機の音……一般的に、こうした音を日常生活で意識的に聴取することは少ないはずですが、本作にはそうした生活上で認知しづらい領域の音までも、かなり意図的に散りばめられています。

観客があたかも李の旅と日々を追体験するように「情景」と「主観」に没入できるのは、本作にさまざまな環境音、生活音が濃密かつ効果的に用いられているからなのかもしれません。

フィルムカメラを持って雪国を旅する李 / ©2025『旅と日々』製作委員会

その環境音と対比するように、音楽は機能しています。つまり、音楽は人物の記憶やノスタルジーを補助する役割を担っているのではないかと思うのです。「情景」と紐づく環境音、「主観」と結びついた音楽という構図が見て取れる。

「情景」と紐づき、リアリティーを担保する環境音、「主観」と結びつき、ノスタルジーを喚起する音楽。その双方を映画全体で対比的、構造的に用いることで異化作用が生み出されているのがわかります。

「オフの音」として音楽を捉えることで、本作の奥行きを気づかせる

「情景」と紐づく環境音、「主観」と結びついた音楽という構図から本作を観ると、音楽はほぼシーンとシーンの切れ目(「情景」の移行)、ドラマが展開するタイミング(「主観」の移ろい)でしか使用されていないことに気がつきます。

特に印象的なのは中間部、李によるナレーションが韓国語で挿入されるシーン。

監督の依頼で つげ義春のマンガ

「海辺の叙景」を原作に脚本を書いた

書いてから数年経ったが

いまだに旅について考えている

故郷を離れて以来 私は

ずっと旅の途中にいるようだ

三宅唱監督『旅と日々』より

このシーンでは、『海辺の叙景』をもとに脚本を執筆する李の「旅」への感慨とともに人生への追憶、郷愁、つまりノスタルジーが表面化します。そこに寄り添う音楽の存在は、控えめながら非常に効果的です。

ここに限らず本作における音楽は、スクリーン上では音楽が鳴っていて観客には聞こえているものの、登場人物たちが実際に耳にしているのではない、という類のものです。これはミシェル・シオンが『映画にとって音とはなにか』(1993年、勁草書房刊)のなかで、映画における音を「オフの音」「インの音」「フレーム外」の3つに大別したうち「オフの音」にあたります。

この「オフの音」としての音楽の多用は、本作における音楽の機能、心象風景を具体化する装置としての側面を際立たせます。

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