LA、ロンドン、東京と活動の拠点を吟遊詩人のように広げるKuma Overdose。アジア系アメリカ人のKumaが織りなす心地よい中毒性のあるメロディには、力強いメッセージが込められている。西洋から見た東洋の美しさ、そして東洋から見た西洋の二つの視点から気付けることについて迫っていく。
現代のオーバードーズ(過量摂取)している世を映し出す
Kuma Overdose(クマオーバードーズ)という名前は、その出来事に通じていない人は違和感に気付かず、疑問にも思わない現代の社会を反映した意味を持っています。現代はいたるところ溢れんばかりにコンテンツがあり、人々は毎日それを見て、吸収して圧倒されてしまう。アルコールやドラッグだけでなく、InstagramのリールやTikTok、情報過多な街、マーケットなど、あらゆる種類の情報を無意識にオーバードーズ(過量摂取)しているのです。だから僕は「Overdose」という名前をつけて、毎日何かを過剰摂取していることを知って欲しいと思いました。「Kuma」は、僕の本名「バリー」の発音が英語のベアと似ているからと、日本語でアレンジされたあだ名「Kuma」と呼ばれていたのでそこからとりました。
始まりは臨界期に習得したジャズから
10歳の頃からジャズピアノとジャズトランペットを習い始めて、それをきっかけに音楽にのめりこみました。ジャズの演奏を即興ですることはあっても、それは作曲ではないので、いつしか曲を書き始めてみたくなって、ジャズピアノの楽譜を書き始めたんです。それから言葉を歌詞に書き起こしていき、19歳のときに初めて曲を書きました。あまり良い曲とは言えないので、僕以外誰も聴くことはないと思います(笑)。
音楽はシャイな性格をカバーできる得手
僕はどちらかと言うと内向的な人間なので、話しているときに言葉で自分を表現するのがあまり得意ではないです。コンサートやパフォーマンスをするとき以外、大勢の誰かと顔を合わせることもあまりないですし、たとえコンサートでも特定の誰かと一対一で向き合うわけではないので、割と気持ちが楽でいられます。音楽は僕のシャイな部分をカバーできるツールでもあるんです。美化したことを曲で表現するというよりも、人生の細部を歌として共有しています。