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TENDREから19歳の自分へ「後悔は後退ではなく、前進であり味」

2024.4.8

FRISK「#あの頃のジブンに届けたいコトバ」

#PR #MUSIC

FRISKが新たなチャレンジを始める社会人や学生たちを応援するプロジェクト「#あの頃のジブンに届けたいコトバ」とラジオ番組『GRAND MARQUEE』のコラボレーションコーナー「FRISK DEAR ME」。

初日に登場したのは、ベースに加えて、ギター、鍵盤、サックスなども演奏するマルチプレイヤー、河原太朗さんによるソロプロジェクトTENDRE。専門学校から音大に編入することを決めた19歳の自分に宛てた手紙をもとに、河原さんが迷いや戸惑いをどう受け止め、乗り越えてきたのか伺いしました。

※NiEWでは、番組では放送されなかった内容も含めて記事化しています

不安も裏返してみれば、まだ知らないことを勉強できるチャンス。

タカノ(MC):「19歳 専門学校から音大に編入することを決めた、あの頃のわたしへ」。タイトルから素敵ですよね。

Celeina(MC):使っていらっしゃるワードセンスが、楽曲に紡いでいく歌詞とのリンクを感じて、歌を聴いているかのような感覚がしました。

TENDRE:大人の自分が、昔の自分に何か物申すというのはおこがましい感じがあったのですが、あえて言うならこういう言葉なのかなと、こういう手紙にしたためました。

タカノ:改めて、そもそもTENDREさんの音楽との出会いは、いつ頃からになるんですか?

TENDRE:もう生まれてからずっと音楽にまみれているというか。両親がずっとジャズミュージシャンを現役でやっているので、生まれた頃から自宅でレッスンがあったり、ライブに連れられたりして、小学生ぐらいになると人前で演奏するようになってという感じですかね。

タカノ:そんなに早い頃から。そしてこの手紙は「専門学校から音大に編入する」という、すごく大きな決断をした時期のご自身に宛てられています。

TENDRE:元々、父親が講師をやっていた専門学校に通っていたんです。父親がベーシストなので、ベースを教えている専門学校に父親の車で一緒に登校して父親のレッスンを受けて、でも、父親は僕に何も言わない。だけど、帰り道は同じ車で一緒に帰るという状況で。

その頃はベーシストになりたいという想いが強かったんですけど、勉強していくと、音楽の広いことを知っていきたいという思いが強くなったので、そのタイミングで1年間勉強して、音大に行こうと。その時が転換期として大きかったかもしれないですね。

タカノ:手紙の冒頭を代読させていただきます。

19歳 専門学校から音大に編入することを決めた、あの頃のわたしへ

音楽そのものの深さも世の広さも未知の出会いも、きっとあまりにまだ知らないことが多すぎて不安になっているんでしょう。

とは言えど、小さい頃から抱き続けてきた身勝手な自信があるからこそ、自然と新たな道を選ぶために心が突き動かしてくれたのかもしれません。

手紙の序文。TENDRE直筆の手紙全文は4月11日(木)から下北沢BONUS TRACKで開催されるFRISK『あの頃のジブンに届けたいコトバ展』で展示される(詳細はこちら

TENDRE:恥ずかしいですね(笑)。

タカノ:すごく大きな決断で、不安は確かに大きいですよね。

Celeina:迷いとか戸惑いは無かったんですか?

TENDRE:あまり無かったのかもしれないです。自分自身をちっぽけだなと思っていた時期だったので、不安や迷いも当然あったんですけど、結局、自分の元をたどっていけば、音楽を続けていく以外にあまり選択肢がなかったんですよ。本当に、音楽をやって生活をするということだけしか考えてなかったので。結局、不安に思っていてもしょうがないし、勉強できるのはこのタイミングしかないと決断したのが19歳だったという感じですね。

タカノ:不安になった時のメンタルの切り替え方で、やっていることはありますか?

TENDRE:きっと不安は一生付きものだと思うので、付き合い方次第なのかなと。だから適度な変換という感じですかね。不安も結局、裏返してみればまだ知らないことを勉強できるチャンスということもあるし、そういった自分の中での開き直りを見つけていく作業に近いのかなと思いますね。

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