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栗野宏文インタビュー後編 「脱エリーティズム」を掲げて、ファッションの行末を見つめる

2024.8.22

#FASHION

ファッション業界随一の有識者である栗野宏文に「現代ファッションにおけるオルナタティブ」をテーマに縦横無尽に語ってもらった、約10,000字ものインタビュー(前編はこちらから)。

後編ではさらに話が広がり、ファッションとアートの関係から、パンデミック後の業界動向について、そしてファッションの価値についての話へと続く。

本稿で栗野は、「脱エリーティズム」を自身の大きなテーマとしてトピックに掲げた。そこでは、資本主義によってビジネス優位になった業界の問題点を真っ向から上げている。それと相反するオルタナティブな事象として挙げられたのが「coconogacco」。栗野はどんなファッションショーよりも、ここで出会う作品に気持ちの昂りを感じるそうだ。その視線に、ファッションの本質を見た。

ファッションは一見、消費的で表層的なもの、と思われがちだが、記事を一読すれば、その奥深さと無限に広がる可能性に気づくことだろう。ファッション業界を志す人、実際に働いている人、そのすべての人に読んでいただきたい、洞察に満ちたファッションとその周辺の、過去と現在、これからのお話。

ファッションはアートに期待している

―栗野さんはファッションとアートとの関係をどのように捉えていますか?

栗野:僕は大学の4年間で美学を学んだので、もともとアート側の人間でした。昨今のアートブームにおいて、高い洋服を買う代わりにアートを投資対象として転売目的に購入するカルチャーには、生き方の違いなんだけどやっぱり自分は抵抗があります。また、ファッションブランドがコーポレートミュージアムを設立する流れもありますよね。社会的に成功したオーナーや代表者が美術館を作ったり美術品を収集すること自体は、ルネサンス時代の王族と同じことなので全く否定しませんが、「アート」という言葉さえ使えば、ファッションが同等に語られるようなブランディングのあり方には少し懐疑的です。ファッションがアートに期待していると捉えることもできます。

栗野宏文(くりの ひろふみ)
1953年ニューヨーク生まれ。大学卒業後にファッション小売業界で販売員やブランド・ディレクターなどを経験し、1989年に重松理らと共にユナイテッド・アローズを設立。常務取締役として販売促進部長、ディレクターなどを兼任後、チーフクリエイティブオフィサーに就任。1996〜2002年、2009年、2013年にベルギー王立アントワープ・アカデミーのファッション学部、卒業審査員を担当。2004年には英国王立美術学院より名誉フェローが授与され、BOF(ビジネス・オブ・ファッション)、ファッションの世界に影響を与える500人に選出される。2014年よりLVMHプライズ外部審査員。

―現在のファッションビジネスに抵抗を感じる側面もあるのでしょうか?

栗野:前述したオルタナティブのあり方を通して、ラグジュアリービジネスがもはやファッションを語るうえで重要なキーワードではなくなったのかも知れないと感じます。ラグジュアリービジネスは潤沢な資金によって成立している側面もありますが、「ノブレスオブリージュ」という言葉があるように、高貴な人ほど社会的責任を世の中に還元しなければならない、ということについてもっと考えなければいけません。

ある部分では、ラグジュアリーブランドや富裕層のノブレスオブリージュとして、ファッションのクリエイティブとビジネスのバランスが取れていた時期もありました。事実、僕がこれまで体感して面白いと感じてきた1990〜2010年代ぐらいのラグジュアリーブランドのクリエーションにはそういう側面が強かった。しかし今の情勢やコンセプトもどきのクリエーションには、どこか居心地の悪さを感じます。ファッション業界におけるポストコロナのフェスティバル感というのは、結局は特定富裕層に向けられたビジネスや、白人社会の逃避主義の現れだったんではないでしょうか。

「脱エリーティズム」――コロナを経て思うこと

―パンデミック以降の社会変化をどのように感じましたか?

栗野:僕自身もコロナ前後の大きな変化を受けて、書籍『モードの終わり』を上梓しました。ただ、少なくともアメリカの消費社会を見る限りは、富を築いて逃げ切るか閉じこもった人が勝つような傾向が更に加速している部分があって、近年のファッションは社会に対してあまり良い影響をもたらしていないように感じます。

近年の僕の大きなキーワードは「脱エリーティズム」。つまり、選民思想へのアンチテーゼです。例えば、ファッションショーでお土産が置かれたフロントローに座る、あるいはアフターパーティに呼ばれて誰よりも先に限定品を手に入れられるといったシステムへのアンチテーゼです。美容整形もルッキズムというよりはエリーティズム的な思考であると思うし、そういう思想によって20世紀型消費社会や資本主義社会が作り上げられ、ファッションはそこにある意味片棒を担いできたと思うんです。でも、パンデミック以降それらの意味がなくなったと思っています。しかし、残念ながら欧米のファッション業界では、「前の時代に戻りたい」という懐古的な雰囲気が残っていて、コロナの影響やおかげで少しでも良く変化した、という印象は感じなかったです。

栗野:今日の主題も「オルタナティブ」がテーマですが、そのようなことがある程度前提化して大切にされはじめている背景には、ポストコロナの影響があると思っています。そうしたなかで、日本は消費を逃避として捉えない国ですよね。UNITED ARROWSの店頭でも、大量に生産された流行りの安い服より、一手間二手間かけ、手作業や加工にこだわった魅力ある服が売れています。オーガニックフードだって高いのに売れているし、テレビでは廃棄される食材を使って、材料費0円でおいしい料理を作ろうという番組もある。その背景には、そういった手間や物づくりの価値に重きを置く、日本の人間性が垣間見え、ポジティブな印象を受けます。

―日本ならではのオルタナティブなあり方は、今後広がりつつあると思いますか?

栗野:日本のファッションにおいては、coconogaccoが一番面白い役割を担っているように感じます。毎年4回ほど海外のコレクションを見続けてきても、洋服屋として、ファッション業界人として一番エキサイトできるのは、やっぱりcoconogaccoの生徒作品やプレゼンテーションなんです。あそこは、本当の意味でファッションを学び、教える側も学べるような場所です。coconogaccoを主宰している山縣良和さんや生徒は、プライベートの生活や生い立ちがヘビーで、厳しい環境下で育ったり、学生時代は不登校だった人なども多くいます。そんな彼らが物を作ることやファッションに携わることによって、ある意味救済されている。それは別に理想論でも夢物語でもなくリアルな実感として、生徒たちの作品にコメントするたびに、これまでファッションの力を信じてやってきて、この仕事をしていて本当によかったなとしみじみと感じるんです。

coconogaccoに見出すオルタナティブ

―昨年にはcoconogaccoの生徒と一緒に、渋谷パルコで『cococuri』というポップアップを開催されていますね。

栗野:coconogaccoの生徒と一緒に何かを形にしたいと思ったのは、ファッションは決してお金と物が交換されて終わるものではないと僕は思っているし、誰かが有名になって終わるというものでもなく、ファッションが人々の生活を豊かにしたり誰かをハッピーにしてくれるものだと思っているからなんです。ファッションをやり続けることによって、少しでも世の中にポジティブをもたらす、あるいは少なくとも自分を救い、同じ苦しみを持った誰かに手を差し伸べるような表現や想いが、coconogaccoの生徒や山縣さんにはあるんだろうなと思います。社会とうまくなじめていないと感じている若者たちにとってのオルタナティブな道がそこにあることを感じます。

coconogacco授業風景
coconogacco授業風景
cococuri展示の様子

栗野:だからファッションとオルタナティブの関係で言うと、コレクションや展示会という目に見える形でアプローチするような現実化できている人たちもいれば、一方でcoconogaccoの生徒たちのように、まだ世に出てないけどひょっとしたら将来すごいことになるかもしれないと期待させてくれる次世代が多くいるということがうれしいんです。

―coconogaccoが毎年富士吉田で開催する展示を拝見して、生徒同士のコミュニケーションが本当に活発になされたうえで表現が生み出されたことが伝わってきました。ファッションという垣根を超えて、すごく勇気づけられる活動だと私自身も感じましたね。

栗野:山縣さんが有名になった一つに、「ぼくは0てん」という絵本がありました。彼自身も世間から見ればおちこぼれではあったけど、それでもやっぱり自己肯定したいじゃないですか。彼は大阪文化服装学院を中退したあとセントラル・セント・マーチンを卒業し、葛藤しながら活動を続けて自分の居場所を作ってきました。自分が苦労した分だけ次世代にもつなげたいと思ってる。先日までアーツ前橋で行った展覧会のタイトルも『ここに いても いい』。おそらく引きこもりの子や不登校の子にとっては、「これでいいんだよ」という言葉が一番安心できるし救いになる。

coconogacco exhibition 2024 in Fujiyoshida
coconogacco exhibition 2024 in Fujiyoshida
coconogacco exhibition 2024 in Fujiyoshida

栗野:でも、今の世の中はなかなかそう言ってあげられないし、多くの人が人を追い詰める言葉を使っています。それはとても貧しいことですが、問題を解明すると、実は発言者自体に居場所がなく、人をそういうふうに言うことでしか、自分の場所が作れないということも多々ある。つまり、想像力が欠如しているのは日本の従来型教育が大きく影響しているんです。本来、教育というものは想像力を育むものですが、現在の教育は想像力のインキュベートに寄与してないんだろうなと。幸いなことに、coconogaccoやそこを出た生徒が注目されるようになることで、今後もっと社会に影響をもたらしていけるかなと思いますし、日本の普通の学校も、教科書や校則の廃止やフレックスの導入など徐々に変わりつつありますよね。そういう身近な小さいことからもっと変わっていくと思いますよ。

ファッションは社会インフラの一つ

―教育や社会の中でのオルタナティブはどのような影響をもたらしていくのでしょう?

栗野:2022年の杉並区長選挙の結果、杉並区で岸本聡子さんが区長になったことにも同じ印象を受けました。岸本さんはもともとオランダに住んでいらして、市民運動に関わった経験から日本に戻って杉並区長選挙に立候補しました。政治をビジネスとしていない、等身大の国民が我々の代弁者として選ばれることが民主主義の本来の姿だろうし、本来そうだったことがいつの間にか変化してしまったことに対して、人々の疑問やフラストレーションが形として現れたんだろうと思います。

斎藤幸平さんと松本卓也さんが志を共にする人たちと共にまとめた共著『自治とコモン』にも岸本さんは登場していて、読んでいてとても参考になりました。政治と時事に関する内容ではあるけれども、21世紀がより良い社会になるためのさまざまな見方が詰まっています。ここに小売屋の話が書かれていたのもものすごくうれしいことでした。自分は小売業界に40〜50年近くいて、UNITED ARROWSがサブプライムローンやコロナを乗り越えて続けてこれたのは、小売というものを決して卑下せず、あるいは過剰に評価をせず、忠実に交流してきたから生き残れたんだろうなと思っています。

―より良い社会を築く方法の模索は、私たちの生活と結びついている。

栗野:なぜその話題を取り上げたかというと、ファッションはただ物を買って終わりという話ではなく、それを作る人が生活したり、売ってるお店があったり、売ってる人たちが税金を払ったり、そこで働く人たちの家があったりと、一つの社会インフラに関わるわけですよ。そういう意味で、今のままファッションがラグジュアリービジネスに引っ張られてしまうとお金を持っていることだけが美徳になり、お金持ちのための世の中になってしまいます。残念ながらファッションはそのような側面に取り込まれつつありますが、日本はそうでないと信じています。僕は、日本のデザイナーや日本のもの作りを支える人、新しい日本の教育のあり方、『cococuri』でやろうとしたことにしろ、ファッションをそういうマネーゲームから取り戻すことで誰かの役に立つものにしたいんです。

オルタナティブな存在が社会循環を活発にする

―資本を追求する経済主義から離れ、さまざまな価値が育まれることに豊かさを実感できそうです。

栗野:ただ、ここから先は見せ方の問題でしょうね。例えばセレクトショップがブランドをミックスして見せるのはダイバーシティそのものだと思いますし、見せ方を提示してきた文化を持ちますが、今後更に自由な発想が求められている気がします。その意味でパリにできたDOVER STREET LITTLE MARKET PARISは一つの先例となるのかも知れません。

そもそも間違いを犯すとか変なものを買っちゃった、みたいなことにも僕は意義があると思ってます。もちろん小売店としては、お客さまに不利益を与えるわけにいかないので、「似合わないならやめたほうがいい」とは言いますが、何を選んでもその人の自由だし楽しんでもらう方法はいくらでも考えられます。

大事なのは疑いを持って、もっと考えて、自分で行動しようとすることです。投票に行ったり、自分ができることを実践することのほうが、世の中をずっと良くできるじゃないですか。行動してみたら世の中が変わるかもしれないし、誰に対しても答えを他者に求めずもっと主体的に動いてほしい。なぜなら、行動の主体は皆さんであって、答えは自分の中にあるからです。

―栗野さんにとって、ファッションとは一体どのような実践なのでしょうか?

栗野:ファッションというのは自己肯定できる一番簡単な方法ですよね。「今日イケてるじゃん」「今日はいつもと違う色を使ってみると気持ちがいい」など、こんな簡単な自己肯定は他にない。買い物で自己肯定できる人はお金を使えばいいし、手持ちの服を大切にすることで自己肯定できる人はそうすればいい。誰かから譲り受けた服を着たら意外と似合うな、とか、本当にそれでいいと思うんですよ。

僕自身も一番大きなテーマは「自己肯定」です。今の日本は自己肯定するチャンスは極めて少なくて、それはやはりこれまでの日本の教育が人を型にはめた結果だと思っています。しかし、そこにオルタナティブな考えを持って抵抗する人たちもいっぱいいたからこそ、僕みたいな人間も会社を立ち上げ、生きていくことができました。自分みたいな人間がもっといっぱい増えてくれたら良いと思うし、勇気を持って皆さんがもっと自己肯定すべきなんです。自分自身を大事にすれば自己肯定できるのと同じように、他者を大切にすることも想像力ですよね。ファッションやアートは想像力を形成したり、サポートできるツールだと思うし、もっともっとそういうことが大事にされるべきだと思います。

―最後に、栗野さんにとってオルタナティブとは?

栗野:今日こうして話しているのも、オルタナティブにこそ未来があると思ってるからです。オルタナティブなことというのは決してパンクじゃないし、決してネガティブじゃないし、決してマイナーじゃない。本流があるからこそオルタナティブが生まれるし、オルタナティブもまた本流になることで異なるオルタナティブが現れる。それが常にあることが健全なんです。異なる価値観が共存できるためのあり方であり、それは人々がより幸せに暮らす秘訣になっています。

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