アンドリュー・ヘイは、つねに人間が抱える孤独を親密なタッチで描いてきた映画作家である。結婚45年を迎え、ふとしたきっかけから夫に不信感を募らせていく妻を細やかな心理描写で見つめた『さざなみ』(2015年)。親を亡くし、ひとりぼっちになった少年が1頭の馬とともに荒野をさまよう姿に寄り添った『荒野にて』(2017年)。「ひとり」であることが、そこでは観る者の感覚と共鳴するように映し出される。
そんなヘイの新作映画『異人たち』は、なんと日本の名脚本家・山田太一が1987年に発表した小説『異人たちとの夏』の映画化だ。日本では大林宣彦監督による1988年の作品があるので、映画化は今回が2度目となる。1人で暮らす中年の脚本家の男が、幼い頃に亡くした両親と再会するという基本的な設定や物語の流れは踏襲されているが、舞台はイギリスに、時代は現代に、そして主人公のセクシュアリティーはゲイに変更されている。
これは、ヘイが原作をきわめてパーソナルなものとして解釈したことの表われだ。彼自身がゲイであり、これまで『WEEKEND ウィークエンド』(2011年)やドラマ『Looking/ルッキング』(2014-2015年)といった現代を生きるゲイの心情を探究してきた作家だからである。どのような思いで今回の映画化に臨んだのか、監督に話を聞いた。
INDEX
「人と人のケミストリーは対話や性的な交感から生まれてくるものです」
『WEEKEND ウィークエンド』では「一夜限り」から始まった関係が特別なものになっていく過程をほろ苦く描き出し、ドラマ『Looking/ルッキング』ではサンフランシスコのクィアコミュニティーを舞台にゲイの友情や恋愛を生き生きと活写していたヘイだが、『異人たち』では、現代の都市に生きるゲイの孤独に主題が回帰している。主人公のアダムは幼い頃に両親を亡くし、友人もパートナーもいない生活を送っている人物だ。
アンドリュー:『WEEKEND ウィークエンド』のあとにクィアのコミュニティーや友情を描きたいと思ったのは、それもまたクィアの人生の一部だからです。クィアであるだけで誰もが孤独を感じているわけではなく、そこにはたくさんの喜びや友情があるわけですからね。
ただ、今回の原作に触れたとき、ちょうど『WEEKEND ウィークエンド』から10年経っていて、主人公が40代というのもあって、その主人公が過去への思いや孤独を抱え続けていたらどうだろう、というところから考え始めたのです。そうした孤独にどのように向き合うのか。ですので、こうした主題になったのは意識的な選択だったと思います。
『異人たち』でとりわけ印象的なのは、ファンタジックな物語でありながら、現実と幻想が地続きのものとして自然に描かれていることだ。アダムは死んだはずの両親と出会うことになるが、彼らはたしかな実在感を伴った存在として現れるのである。ヘイは「実際、幻想的な部分と現実的な部分のバランスを取るのは難しいことでした」と語り、演出面についてこのように振りかえる。
アンドリュー:この映画では、しっかり地に足をつけながら、幻想的でメタフィジカルなところまで飛躍できるスペースを設けたかったのです。ただ、もっとも大切だったのは「アダムがこの世界のなかでどのような時間を過ごしているか」でした。
私たちだってみんな、地に足がついているときもあれば、ぼんやりと過去や記憶に思いを馳せている時間もあると思うからです。窓の外を30分ぐらいぼうっと見つめて、別の世界に誘われているようなときですね。ですので、そういった部分をそのまま表現すればいい、というアプローチでした。
そうした監督ならではのアプローチによって、『異人たち』もこれまでの監督作品同様に親密な空気感で満たされた作品に仕上がっている。アダムは両親と交流するようになる一方で、同じマンションに住んでいるという年下の青年ハリーと出会い次第に惹かれ合っていくのだが、その過程もまたきわめて繊細に映し出される。
『WEEKEND ウィークエンド』はゲイのセックスをリアルに描き、のちの映画やドラマに大きな影響を与えた作品とされているが、『異人たち』にもまた官能的なセックスシーンがある。そこでは欲望だけでなく、精神的なつながりが芽生えるさまもとらえられている。アダムを演じたアンドリュー・スコットと、ハリーを演じたポール・メスカルの間に生じる熱がたしかに記録されているのだ。
アンドリュー:こうしたシーンを撮るために、2人の関係性や親密さについて、あるいはこの題材についてどんなことを感じるかを2人とディスカッションしました。ただもっとも大切なのは、俳優たちが安心して、リラックスできる環境を作ることです。
親密なシーンを撮るときは、カメラをどこに置けば彼らが安心できるのか、光の加減はどうなのか、居心地はどうなのか、その瞬間にたしかに存在していると俳優たちが感じられるのか……そういったすべてのことが関わってくるのです。ただ私は、計算するというよりは本能的に、現場でフィーリングに導かれながら撮影していくタイプですね。
それに、必要なものはすでに脚本にあるわけですよね。2人とも素晴らしい俳優で、脚本に書いてあるシーンを撮りたいという気持ちを持ってくれていたので、とくに大きな指示をする必要はありませんでした。実際の生活においても、人と人のケミストリーは対話や性的な交感から生まれてくるものですからね。