INDEX
解散や長期休止の可能性もある中、再始動に向けて動き続けた
ー活動休止期間はそれぞれどんなふうに過ごしていて、その中でどんな気づきがありましたか?
角舘:ソロで弾き語りのライブをして、いろんなところにも行ったんですけど、結構家にいることも多くて、いわゆる「生活」みたいなのをしまくってましたね。生活が安定してると仕事もいい感じになったりするんだなとか、服装もいい感じになったり、言動も変わるし。今は家に神棚があって、月1で榊を変えたりもしてます。
ー竹村くんはどうでしたか?
竹村:僕はすごい現実的というか。昔働いていたイタリアンの知り合いから「今タコス屋やってるから手伝ってよ」って言われて。朝の6時に起きて、タコス屋までチャリで行って、帰ってきて、子供の世話して、夜は曲作って、みたいな生活をずっとしてました。あとはサポートで呼んでもらってギターを弾くこともあって、知り合いのオーガナイザーから「The Internetのベースが日本に来るからギター弾いてくれない?」って言われて、セッションに参加したこともあったり。めっちゃ忙しかったから、閉ざしちゃってる時期もあったんですけど、そういうときに声をかけてもらえたのは救われましたね。

ーそんな時期を経て、2024年9月に開催されたイベント『STILL BAYON』で久々にライブをしたわけですが、それはどういった経緯だったのでしょうか?
角舘:俺たち的には特にライブをするとか、そういうアイデアはなかったんですけど、どちらかっていうと北さん(YOGEE NEW WAVESが所属するBAYON PRODUCTION主宰の北澤学)が「辞める気ないよね?」みたいな感じだったんで。
竹村:ありがたいことにね。
角舘:親と子の関係じゃないけど、北さんを見てて、「“今辞めたら後悔するぞ”って思ってるんだろうな」っていう勘づきがあって。「じゃあ、今はまだ辞めないほうが良さそうだな」みたいな、ちょっと賢い動きはしちゃってたかも。
竹村:もちろん、今後どうするかは2人でめちゃくちゃ話しましたけどね。
ー場合によっては、解散を選ぶ可能性もあった?
角舘:「今辞めたら気持ち悪そうだな」みたいな感じ。
竹村:でも、もっと長期休止になる可能性は全然あったと思います。

角舘:でも活動休止しながらソロをやってもつまらなかったんです。マジでヨギーのことが気になりながらソロをやらざるを得なくて。マン振りでソロをやろうとすると、呪いみたいになるんですよね。とにかく疲れるっていうか、めちゃめちゃ体にヘビーで、「ちゃんとヨギーをやってからソロをやらないと、バグりそうだな」と思ってたんですけど、そんなときに北さんから「『STILL BAYON』やるけど、ヨギーやらない?」って言われて。『STILL BAYON』でヨギーがいないのは変かと思って、乗っからせてもらいました。
竹村:バンドも生き物だから、完全にビタって止めると死んじゃうなっていうのは思ってて。だからどっちからともなく1ヶ月に1回とか連絡は取って、スタジオに入ったりはしてたんです。2人で入ったこともあったし、今サポートでドラムを叩いてくれてるMinako(Sasai)を健悟が呼んできてくれて、僕がベースを弾いて3人でセッションしたり、完全には止まらないようにしてましたね。