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YOGEE NEW WAVESが語る、脱退・休止・再始動。初期衝動とともに漕ぎ出す新たな航海

2026.5.14

『YOGEE NEW WAVES presents “Dreamin’ Night 2026″』

#PR #MUSIC

2023年、メンバーの脱退に伴い活動休止を発表したYOGEE NEW WAVES(以下、ヨギー)。その後、2024年に開催された『STILL BAYON』から、角舘健悟と竹村郁哉の2人による新体制での活動をスタートさせた。このテキストは2人がその期間について、初めてじっくりと振り返ったインタビューである。

2010年代のヨギーは常にシーンの象徴のような存在だった。“Climax Night”で鮮やかに表舞台に登場し、ロマンチックでファンキーで、ときにサイケデリックな音楽性でリスナーを魅了。Suchmosやnever young beachらとともに新たな世代を体現し、シティポップのリバイバルにおいても彼らの存在が重要だったことは言うまでもない。だからこそ、一時的とはいえ、彼らが活動休止をせざるを得なかったのは、時代の移り変わりを強く感じさせるものだった。

現在のヨギーはまさに変化の途上にあると言っていい。30代半ばになった角舘と竹村の、その話ぶりからは成熟が感じられ、旧知の仲間を含むサポートメンバーが加わったことにより、バンドという集団のあり方を改めて見つめ直してもいる。ただ、2025年11月に発表した久々の新曲が、彼らの象徴である「青」をタイトルに冠し、躍動感たっぷりのビートを用いた“BLUE DIVER”だったように、今も音楽に対する衝動が失われていないどころか、ますます強くなっているようにも感じられる。

FCO.、cero、MONO NO AWAREを迎え、5月19日(火)からスタートする対バンツアー『Dreamin’ Night 2026』は、ヨギーがこれからもシーンの象徴であり続けることを感じさせるものになるだろう。その証拠に、冷たい春の雨が降る中で始まったこの日のインタビューでも、ヨギーはちょっとしたミラクルを起こしてくれた。

メンバーの脱退、活動休止を経て生まれた気づき

ー2023年のツアーを最後に、前ドラマーの粕谷くんが脱退して、バンドは「体制を整える準備に時間を要するため」という理由で活動休止を選択しました。当時はどんな状況で、それぞれどんな思いがあったのか、まずは振り返ってもらえますか?

角舘:俺的にはずっとソロをやってみたい気持ちがあったから、そっちに自然と移行していった感じですかね。ただ、それまでは「バンドとソロ」で分けてたんですけど、もうちょっと大きく見て、自分の生き方について考えるタームだったのかな。それまでは全てを音楽に捧げてたので、「寝るか、音楽を作ってるか」みたいな感じだったけど、ようやく健康のことを考え始めたりしました。

(左から)角舘健悟(Vo / Gt)、竹村郁哉(Gt)
YOGEE NEW WAVES(ヨギーニューウェーブス)
2013年結成。日本の良質なポップスの系譜を受け継ぎ、洗練されたメロウなサウンドを鳴らすバンド。2014年のデビュー作『Climax Night e.p.』で脚光を浴びて以降、国内外の大型フェス出演やアジアツアーを成功させるなど確固たる地位を築いた。2022年の上野恒星(Ba)、2023年の粕谷哲司(Dr)脱退による一時活動休止を経て、2025年からは角舘健悟(Vo / Gt)、竹村郁哉(Gt)の2名体制へ移行。サポートメンバーを迎えた新たなアンサンブルを確立し、同年11月には約2年半ぶりとなる新曲“BLUE DIVER”をリリース。2026年5月から6月にかけては東名阪を回る自主企画ツアー『Dreamin’ Night 2026』を開催。

ー活動休止したのが30代になってすぐくらいですよね。年齢的なところも含めて、「1回音楽以外のことにも目を向けよう」みたいなタイミングだった?

角舘:それまではメンバーの生活とかパーソナリティにまで踏み込んでいたから、それはやめましたね。長く音楽をアンサンブル的に続けていくためには、踏み入っちゃいけないところがあるんだなって、そういうことは学んだかな。

ー竹村くんはバンドがストップしてしまうことに怖さはありませんでしたか?

竹村:そのころを思い返すとコロナ期間があって、2022年にベースの上野(恒星)が脱退して、やっぱり集団として歯車が狂ってはいて……それを3人になってもつなぎ止めようとしたけど、上手くいかなかったというか。

角舘:そうだねえ。

竹村:僕らが見てたバンドへの憧憬みたいなものを、みんなで追い求めてみたけど、やっぱりバンドは人間の集まりでしかないから……そういうことは今になってすげえ思う。「人間関係を作る」っていう意味では、バンドは「家族」ぐらい濃密なもので、それが2020年くらいからあんまり上手くいってなかったのかなって。

竹村郁哉(Gt)

ーコロナ禍があって、上野くんが抜けたときから1個車輪が外れちゃったような、ちょっと不安定な感じがあり、その流れで粕谷くんも抜けることになった。だからこそ、それぞれの人生を見つめ直す必要があったと。

竹村:そうですね。健悟から「子供ができた」っていう報告を受けたときは結構びっくりしました。40いくつとかで結婚する人間だと思ってたので、まさかこの年齢で所帯を持つとは。

ー彼女ができたとか、結婚したとか、そういう前提の話もなかったってこと?

竹村:一切なかったですね。

角舘:そういう社会的な部分が俺には圧倒的に欠如してたんですよ。本能的なものだけで生きてたから。でもパートナーができて、仲良くて、健康についてお互いに哲学しながら生きてたら、子供ができた、みたいな。シンプルに階段を上がっただけな気もしてるんですけどね。

角舘健悟(Vo / Gt)

「人間の生き方ってどうあるべきなのか考えたら、誰しもが自分の意思を表示できる場所が必要だと思って」(角舘)

ー粕谷くんの脱退についてはどのように受け止めましたか? 初期からいたメンバーだったし、脱退時には「バンドの精神的支柱を担っていた」というコメントも出ていて、彼が抜けたことがバンドにとって大きな出来事だったのは間違いないはずで。

角舘:やっぱりでかかったですね。自立的な考え方をしてると思ってたけど、全然バンドという集団に依存してたんだなってことに気づかされたっていうか。だからコラボレーション的に音楽が作れてなかったんだなって、今は思いますけどね。それを経て、じゃあどうしたらもっと人間と人間が協力的に音楽を作っていけるのかを考えると、それぞれが自立する必要がある。俺もボンちゃんもバンドに依存しないで、自立した状態で共存の道を選んだときに、もっといいものが生まれるんじゃないかなっていうのは素直に思ったことの一つかな。

ーこれまでは角舘くんの中での理想とするバンド像があって、そのためにはメンバーを強引に巻き込み、ある意味生活もないがしろにしてやってきたけど、メンバーの脱退があり、30歳という年齢になって、やり方を変える必要を感じた?

角舘:本能的にそう思いましたね。根底にあることとして、俺は家父長制とか、男の人が稼いで家を支えてくださいっていうのは、資本主義を円滑に回していくただのシステムみたいなところがあると思ってたんだけど、そもそも人間の生き方ってどうあるべきなのか考えたら、誰しもが自分の意思をちゃんと表示できる場所が必要だと思って。そう考えると、自分が家父長的にバンドを引っ張ってること自体がくだらなく思えたんです。自分が「おら行くぞ! あっちだ!」ってやってるのって、みんなの人生がもったいねえじゃんって思ったんですよ。そうやってできた曲がこれからも残るのかなと思うと、俺的にはノーだったんですよね。

ー若い頃はそういうエネルギーが必要だったりもすると思うし、実際そのパワーで生まれたものもあったと思うけど、でも長く続けることを考えると、それでは難しいかもしれない。竹村くんは角舘くんの変化をどう感じていますか?

竹村:めちゃめちゃ変わったと思いますよ。やっぱり変化の原因は家族ができたことが大きいと思う。もともとフーテンの江戸っ子みたいな空気感があって、所属意識も少なめだったと思うけど、人の親になると人間変わるもんだなと思います。「責任感」みたいな言葉だとちょっと簡単なんだけど、ものづくりにおいても、ライブで関わってくれる人たちへの目の向け方とかも、変わった感じがしますね。もともと優しさを持ってる人間だとは思うんですけど、それを上手く表現できるようになったなって。

「“休んでいいんだよ”っていうインスピレーションを与える方が、バンドとしては正解だと思った」(角舘)

ー2021年にSuchmosが活動休止をしたり、2022年からD.A.N.がライブ活動を休止したり、近しいバンドもそれぞれの状況があったじゃないですか。そういう周りのバンドのことを見た上で、自分たちのことを考える部分もありましたか?

角舘:いいインスピレーションをバンドが発信できない状態で、バッドなものを出し続けるのはマジで意味ねえなとは思ってました。当時のヨギーの状態でアルバムを作っても、バッドで救いようのないものができるのは明白だったから、1回ちょっと頭冷やすかっていうのはシンプルにありました。

だから他のバンドがどうこうっていうよりは、自分たちがそういうタイミングだったとは思う。他のバンドのやつとも連絡は取り合ってたから、周りでも休止とかそういうことが起きるんだっていうのは感じてたし、じゃあ自分たちのバンドがいいインスピレーションを外に出していくためにはどうしたらいいんだろうって考えて。

それまでメンバー同士で喧嘩した時期もあったから、これをこのまま続けても、自分たちに後続してくれてる人とか、俺たちの音楽から日々の彩りを作ってる人に対して申し訳ないっていうか、ちょっと違うなと思ってきて、「これは止めるべきだな」って。

竹村:同世代はみんな同じなんじゃないかと思いますけどね。話してみると、みんな苦悩してるし、みんなしんどいなって思う部分がある。だから活動を止める人が多いし、逆にそのまま続けてる人は相当な覚悟でやってると思うんですけど。

角舘:そうだね。

竹村:でも活動休止するにしろしないにしろ、もう1回音楽の良さみたいなものを自分の中で再確認してる人はやっぱり強いし、そういう状況は絶対みんなくぐってると思いますね。で、ここ数年はそういうことがみんなに重なってたなとは思う。

ー昔は活動を止めることに対してマイナスなイメージが強かったと思うんですよね。「お休みしちゃったら、もう戻って来られないんじゃないか」って。でも今はもっとフラットに、「休むのも必要だし、そこからまた始めればいいよね」という感覚になっていて、そこは大きく変わったところだなって。

角舘:それはめっちゃいいと思ってます。人に元気を与えたり、インスピレーションを与えてる人たちが、わけわかんなくなりながら音楽をやってんのとか、なんか違くない? って思ってて。

ーそれを隠して活動しようとしても、絶対バレちゃうしね。

角舘:そうそう、嘘ついてるのって一瞬でわかるじゃないですか。だったらむしろ「休んでいいんだよ」っていうインスピレーションを与える方が、バンドとしては正解だと思った。ちょっと禅的な考え方だけど、死ぬってことは生きることの一部じゃないですか? 死を生の反対に置いて、陰と陽にしがちだけど、生きるってことは死ぬこととセットで……つまり、「休む」ってことも活動の一つだっていう。

竹村:休符ってことだよね。休符も演奏してるから。

角舘:そう、マジでその通り。

解散や長期休止の可能性もある中、再始動に向けて動き続けた

ー活動休止期間はそれぞれどんなふうに過ごしていて、その中でどんな気づきがありましたか?

角舘:ソロで弾き語りのライブをして、いろんなところにも行ったんですけど、結構家にいることも多くて、いわゆる「生活」みたいなのをしまくってましたね。生活が安定してると仕事もいい感じになったりするんだなとか、服装もいい感じになったり、言動も変わるし。今は家に神棚があって、月1で榊を変えたりもしてます。

ー竹村くんはどうでしたか?

竹村:僕はすごい現実的というか。昔働いていたイタリアンの知り合いから「今タコス屋やってるから手伝ってよ。」と言われて。朝の6時に起きて、タコス屋までチャリで行って、帰ってきて、子供の世話して、夜は曲作って、みたいな生活をずっとしてました。あとはサポートで呼んでもらってギターを弾くこともあって、知り合いのオーガナイザーから「The Internetのベースが日本に来るからギター弾いてくれない?」って言われて、セッションに参加したこともあったり。めっちゃ忙しかったから、閉ざしちゃってる時期もあったんですけど、そういうときに声をかけてもらえたのは救われましたね。

ーそんな時期を経て、2024年9月に開催されたイベント『STILL BAYON』で久々にライブをしたわけですが、それはどういった経緯だったのでしょうか?

角舘:俺たち的には特にライブをするとか、そういうアイデアはなかったんですけど、どちらかっていうと北さん(YOGEE NEW WAVESが所属するBAYON PRODUCTION主宰の北澤学)が「辞める気ないよね?」みたいな感じだったんで。

竹村:ありがたいことにね。

角舘:親と子の関係じゃないけど、北さんを見てて、「“今辞めたら後悔するぞ”って思ってるんだろうな」っていう勘づきがあって。「じゃあ、今はまだ辞めないほうが良さそうだな」みたいな、ちょっと賢い動きはしちゃってたかも。

竹村:もちろん、今後どうするかは2人でめちゃくちゃ話しましたけどね。

ー場合によっては、解散を選ぶ可能性もあった?

角舘:「今辞めたら気持ち悪そうだな」みたいな感じ。

竹村:でも、もっと長期休止になる可能性は全然あったと思います。

角舘:でも活動休止しながらソロをやってもつまらなかったんです。マジでヨギーのことが気になりながらソロをやらざるを得なくて。マン振りでソロをやろうとすると、呪いみたいになるんですよね。とにかく疲れるっていうか、めちゃめちゃ体にヘビーで、「ちゃんとヨギーをやってからソロをやらないと、バグりそうだな」と思ってたんですけど、そんなときに北さんから「『STILL BAYON』やるけど、ヨギーやらない?」って言われて。『STILL BAYON』でヨギーがいないのは変かと思って、乗っからせてもらいました。

竹村:バンドも生き物だから、完全にビタって止めると死んじゃうなっていうのは思ってて。だからどっちからともなく1ヶ月に1回とか連絡は取って、スタジオに入ったりはしてたんです。2人で入ったこともあったし、今サポートでドラムを叩いてくれてるMinako(Sasai)を健悟が呼んできてくれて、僕がベースを弾いて3人でセッションしたり、完全には止まらないようにしてましたね。

https://youtu.be/LlhTDgvgh40?si=-DyCudtRglMzXhvc

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