2026年5月、東京・高輪ゲートウェイシティの文化施設「MoN Takanawa: The Museum of Nattatives」にて新たな音楽フェスティバル『開門音楽祭 KAIMoN Music Festival –Open the MoN–』(企画協力:J-WAVE 81.3FM)が開催される。羊文学、UA、STUTSらが出演し、「現代音楽と日本の伝統芸能・身体表現の交差」をテーマに掲げる本祭。その最終日となる5月22日(金)に共演を果たすのが、ROTH BART BARONと石田多朗だ。
昨年11月に9作目のアルバム『LOST AND FOUND』を発表し、スケールの大きな音楽世界で話題を呼んだ三船雅也。そして、ドラマ『SHOGUN 将軍』の音楽で国際的な評価を獲得し、近年は「雅楽」をテーマとした作品づくりに意欲的に取り組む石田多朗。
今回が初共演となる両者は、「日本の伝統」という一見重すぎる看板にいかに向き合うのか。リハーサル真っ只中の2人に、その奥深い音楽論を聞いた。
INDEX
「1300年前から日本にあった音楽を“エスニック”と言っている俺は何なんだろう?」(石田)
―お2人が初めて会ったのはいつぐらいですか?
石田:実際お会いしたのは今回のセッションが初めてなんですよ。それが2か月ぐらい前。
三船:その前に僕は雅楽とクラシックを融合した石田さんのライブを観てるんですよ。Floating Pointsのサム・シェパードとBonoboのサイモン・グリーンがちょうど日本にいて、彼らから「今夜、多朗のライブに行くんだけど、一緒に行く?」と誘ってもらったんです。そのライブが素晴らしくて。サムたちも「やばかったね」と言ってました。
―石田さんは三船さんの音楽についてどのように認識されていたのでしょうか。
石田:お名前はもちろん知っていたんですけど、自分自身、日常的にあまり音楽を聴かないんですよ。特に日本のポップスやロックはたまに聴くぐらいで。ROTH BART BARONも今回のお話をいただいてから初めてちゃんと聴いたというのが正直なところです。妻と聴いたんですが、「めっちゃいいじゃん!」「この人たちだったらすごくおもしろいことができそう」という動物的な直感がありましたね。

―今回のコラボレーションはどのようにスタートしたのでしょうか。
三船:昨年、『開門音楽祭』のお話をいただいたんですけど、ナラティブ(物語性)や日本の伝統、現代につながる普遍性をテーマに掲げた音楽祭ということで、「僕らでしかできないことって何だろう?」と考えていたんですね。そのとき真っ先に浮かんだのが石田さんのことだったんですよ。
―石田さんが雅楽に本格的に取り組むようになったのは、2014年に東京藝術大学美術館陳列館で開催された『別品の祈り-法隆寺金堂壁画-』で雅楽の新曲を作ったことがきっかけだったそうですね。雅楽に対してはそれまでどのような意識を持っていたのでしょうか。
石田:おそらく多くの方が抱いているイメージに近くて、「お正月に神社で鳴っているもの」という感じですよね。あまりタッチしてはいけないものであり、自分のなかではガムラン(※)とかと同じエスニックミュージックみたいなゾーンに入っているものという認識でした。
自分が勉強してきたクラシックとか、よく聴くジャズやテクノとも全然ルールが違う音楽というか。ただ、内心では「1300年前から日本にあった音楽を“エスニック”と言ってる俺は何なんだろう?」とは思っていました。
※ガムラン:インドネシアのジャワ島やバリ島に伝わる伝統的な打楽器アンサンブル。青銅製の楽器を中心とし、祭礼や舞踊の伴奏に欠かせない音楽。
―日本人なのに、まるで異国のもののように聴こえていたということですよね。石田さん自身も自分がまさか雅楽に関わるとは考えてもいなかった?
石田:まったく考えていなかったです。偶然の連鎖でこうなったというのが正直なところですね。
INDEX
「言語以前の感覚を認知するための装置が、雅楽という音楽」(石田)
―雅楽に取り組んでみて、どのようなことを感じられましたか?
石田:雅楽のことを知る前の自分は、音楽とは「人が演奏して人が楽しむもの、もしくは人がリアクションするもの」だと思っていたし、今もそう思ってるんですけど、それは「音楽という宇宙」においてのひとつの惑星の話で、実はもうひとつ違う惑星がある。そこには「人と自然が交流するための音楽」が存在していて、それが雅楽なんですよ。
私は普段、栃木の森の中に住んでいるんですが、そこは川が流れていて、虫が鳴いていて、いつ行っても綺麗な音で溢れているんです。虫や鳥の鳴き声、風や雷の音が一定のテンポに合わせて鳴ることは絶対になく、ただそれぞれの音が重なっているんですよね。雅楽には指揮者がいないんですけど、それは森の中に中心がないのと同じで。森の中で熊が最強の生物だとしても、熊は森の中心じゃないんですよね。だから、自然を模倣して音楽を作ろうと思ったら、雅楽のようになると思うんですよ。

作曲家、音楽監督、株式会社Drifter代表取締役。ボストン生まれ。23歳から音楽を学び始め、翌年、東京藝術大学音楽学部に合格。同大学院修了後、2014年に雅楽作曲に挑戦し、オリジナル楽曲「骨歌」が坂本龍一に評価される。その後、重度の精神疾患を経験し、栃木県那須町へ移住。一時は音楽から離れるも、その間に音楽哲学を再構築し、再び創作の道へ戻る。2022年、ドラマ『SHOGUN 将軍』の総合アレンジャーを担当。エミー賞作曲賞・テーマ曲賞、グラミー賞などにノミネートされ、国際的な評価を受けた。現在は雅楽と現代音楽、西洋音楽を融合させた独自の表現で、作曲・演出・プロデュースなど、多面的に活動している。
石田:それとね、日本の古代を遡っていくと、日本人は言語が生まれる前から「タマ」というものを崇拝していたらしいんです。
―いわゆる「御魂(みたま)」ということですよね。霊魂。
石田:そうですね。タマは顔も形もなくて、空間を漂う霧状のものなんです。あらゆるものにまといつくから、お月様も神様、太陽も神様、水も神様、全部を神様だと認識しながら生きていたと。
普段生活していて、光が当たって空気中のチリが見える瞬間ってあるじゃないですか。その場には確実に存在しているけど、いつも見えるわけじゃない。でも、集中すればチリは見えるんです。つまり、認知の問題だと思ってるんですよ。タマという霧状のものも、認知を変えれば見ることができるし、それを見るための装置が雅楽という音楽だと思うんです。
―言語以前に培われてきた精神性を認知するための装置が雅楽である、と。すごいお話です。
石田:雅楽は1300年ほどの歴史があるわけですが、その当時の人々の間には、まだ言語が発達する前の非言語的な感覚が生きていたはずで、今も雅楽にはその感覚が残っていると思うんですよ。
もうひとつ言うと、雅楽では8つの楽器(※)が使われているんですけど、もっとも有名な“越天楽”という曲は小鼓(こつづみ)でも演奏できるし、篳篥(ひちりき)でも演奏できる。つまり、それぞれの楽器が単独で“越天楽”を成立させられるんです。
※笙(しょう)、篳篥(ひちりき)・龍笛(りゅうてき)、楽琵琶(がくびわ)、楽箏(がくそう)、鞨鼓(かっこ)、太鼓(つりだいこ)、鉦鼓(しょうこ)の8つ。
石田:西洋のオーケストラのように、いろんな楽器がパズルのピースとして組み合わさってひとつの曲を作るのではなく、一つひとつの楽器がすでに独立した“越天楽”という世界を持っていて、それが「霧」のように重なり合っているような感覚なんです。つまり“越天楽”という音楽自体が実体のない霧のようなもので、どこを切り取っても、どんな楽器で奏でても、それは“越天楽”になる。
石田:そうした感覚をベースに日本人が音楽を作っていったらおもしろいんじゃないかと思っていたとき、今回の話をいただいたんですね。ROTH BART BARONの音楽はロックやポップスがベースになっているけど、霧状の感覚を感じたんです。

三船:嬉しいですね。我々は日常的に何かを深く聞いたり、見たりする練習をしなくなっている気もするんですよ。普段から、スマホやPCなどのスクリーンが映し出すわかりやすいものを「本物」だと仮定して認知しているから、その奥にあるものを見る練習をしなくなっている。情報や言語に捉われすぎて、石田さんが言うような「霧」のような存在を感じないまま生きるようになっていると思うんです。今はマジでファンタジーや妖精が生きづらい世界になってますよね。
たとえば、森に行くと、次第に葉がカサカサとこすれる音が聞こえてきて、虫が動いてる音とか鳥が枝にしがみついている音が聞こえてくるようになるんですよね。そういう音のレイヤーをしっかり聞く練習をすると、表層的じゃない音楽が作れるんじゃないか。そういうことは考えますよね。

シンガーソングライター・三船雅也を中心に2009年より活動する、日本・東京出身のフォーク・ロック・バンド。数多くの大型音楽フェスティバルで存在感を示し、『FUJI ROCK FESTIVAL』にも出演。2021年、アイナ・ジ・エンドとのユニットA_oによる「BLUE SOULS」がポカリスエットのCMソングとして注目を集める。2024年にはNHK総合『tiny desk concerts JAPAN』に出演。
2025年には最新アルバム『LOST AND FOUND』をリリース。塩塚モエカ(羊文学)を迎えた「Crystal」や、山中遥子監督によるMVが話題の「You’re the Best Person in This World」などを収録、その有機的かつ開かれた音楽性は、日本のみならず世界各地の音楽ファンを魅了し続けている。
INDEX
アンビエントミュージックと雅楽の決定的な違い
―そういう意味で言うと、石田さんがお話してくださった雅楽の特徴というのは、三船さんにとってもインスパイアされる部分が多いですか?
三船:そうですね。僕はこれまで雅楽にきちんと向き合ってこなかったけど、現代のアンビエントミュージックがやってることを、1300年前の段階ですでにやっていた感じがするんですよね。
石田:自分もブライアン・イーノは大尊敬しているんですが、この間イーノのドキュメンタリー映画を観てきたんです。でも、ひとつだけ「これは多分相容れないな」と思うことがあって。
―それはどういうことですか?
石田:映画の中でイーノは「芸術は、人間の感情がすべて」というようなことを言ってたんです。僕自身、人間の感情すら自然の一部として捉えているので、やっぱり根本のところでアンビエントミュージックと雅楽は違うなと感じましたね。
例えば、ポピュラー音楽のレコーディングって、大抵ドラムとベースから録るじゃないですか。でも、古典雅楽をスタジオで録音する時は、ほかの音を先に録音していって、最後に打楽器を録るんです。雅楽では、打楽器という心臓の音に近い「人間らしい音」が最後にスッて乗っかるんですよね。古い日本画を見ても、人間が小さく描かれているじゃないですか。それと同じ感覚だと思うんです。
三船:すごくわかります。アンビエントと雅楽は、表面上は似てるんだけど積んでるエンジンが違うというか。僕はベルリンと東京の2拠点生活をしてるんですけど、ヨーロッパは基本的に「我思う、故に我在り」という思想の人たちが多くて。もちろん全員じゃないですけど、「自分があって世界が存在する」という人間中心の考え方が基本にある。
イーノが言うように、音楽的にも最初に自分の感情があって、その先に外界がある。でもアジアでは、ご飯を食べるときもみんなで取り分けたり、みんなで場を作るという感覚や文化があったり、「あくまでも自分は世界のひとつでしかない」という感覚が深い時間をかけて培われてきた気がする。その違いは音楽的にも反映されていると思いますね。

石田:雅楽以外の場所でこんなにわかってくれる人に初めて会いました(笑)。さっきも言ったように、森や自然の中にいると、一定のリズムのものがひとつもないんです。カエルもすぐに鳴き止むし、等間隔で鳴り続けるものがない。でも、唯一等間隔のものがある。それが心臓の音なんですね。
ヨーロッパ人は自然の中で鳴り響いている多様な音の中でも、自分自身の心臓の音にフォーカスを当てたんじゃないかと思うんですよ。そこから音楽を作り出した。でも、日本の人たちは自分たちの心音ではなく、自然のほうにフォーカスを当てたと思うんです。そうした違いはアンビエントと雅楽の間にもあると思いますね。
―東洋と西欧ではベーシックな自然観にも違いがありますよね。自然とは管理できないものであり、あくまでも自然と共存しようとする東洋的観点に対し、西欧において自然は人が征服し、管理するものとされます。
三船:実際、ドイツの田舎でもだいたい森には人間の手が入ってますもんね。イングリッシュガーデンとか最たるものですよ。シンメトリーに整備されていて、完全にコントロールしようとしている。でも、日本に帰ってくると、雑木林みたいにごちゃっとしていて、そこに居心地の良さを感じるんです。
―三船さんはヨーロッパと日本を行き来してるから、東洋的な視点をある種、客観的に見ているところもあるんでしょうね。
三船:そうだと思いますね。逆に日本人であることをものすごく意識させられるようにもなりました。過去の人間たちが受け継いできたものを踏まえて「じゃあ、今の僕にできるのはどんなことなんだろう」と考えているんです。

INDEX
「雅楽って、思い込みがあるからつまらなく聴こえるんじゃないかと」(石田)
―『開門音楽祭』のプレスリリースに三船さんのコメントが載っていますが、そこでは「“日本の伝統表現”についてのイメージは?」という問いに対し、「ずっと僕らの日常にあるものなのに、多くの日本人が忘れてしまっている。でも見えないところで進化し、生き続けている、タイムレスな表現だと思います」と答えていますよね。
三船:日本に帰ってきたとき、毎月何らかの行事があることにびっくりしたんですよ。正月があって、節分があって、雛祭りがあって、毎月何かをやっている。しかもそこでは音楽が鳴っていて、人々のいろんな願いが込められている。日本人はみんな「僕ら無宗教なんです」とか言うけど、鳥居を見たら頭を下げるわけで、十分スピリチュアルだよって(笑)。
―確かに(笑)。
三船:日本では暮らしの中にそういうものが染み込んでいるわけですけど、ヨーロッパやアメリカではそうした風習が失われてしまっている部分もある。そういう意味でも雅楽がまだ残っているということ自体、すごいことだと思うんですよ。

―伝統的風習にしろ、雅楽にしろ、日本だと暮らしに染み込みすぎて、意識すらしなくなっているんでしょうね。
石田:『SHOGUN 将軍』の音楽を作ってるときにLAで公演をしたんですけど、そこで衝撃的なことがあって。日本人の感覚だと、雅楽って古くてつまらない、誰も集中して聴かない音楽っていうイメージが強いですけど、LAの公演で篳篥を吹いたら拍手喝采。笙を吹いたら「イエー!」っていう声が上がるんですよ。
―日本だとありえないですよね。
石田:そうなんです。だから、日本だと知らぬ間に雅楽に対する刷り込みがされてると思うんですよ。たとえば、「校長先生の話はつまらない」っていう刷り込みがあったら、どんな話をされてもつまらなく感じるように、雅楽って「じっと聴いていなくちゃいけない、つまらない音楽」っていう思い込みがあるからつまらなく聴こえるんじゃないかと。
―先入観というか。
石田:そうそう。YouTubeとかいろんなところで雅楽について話をしていますけど、それは雅楽に対する日本人の先入観を解くためなんですね。日本人の持ってる雅楽に対する認知を変えたいんです。雅楽っていっても、僕のライブはつまらなくないでしょ?
三船:逆ですよ。すごくおもしろかった。
石田:何の説明もなくそのまま演奏すると、博物館の研究対象みたいに観られてしまうと思うんですけど、少しお話しして、前提の認知を変えるだけで、聴こえ方って変わるんです。
―それは雅楽に限らず、日本の文化すべてに言えることでもありますよね。
石田:まさにその通りだと思います。
―あえてお聞きしたいのですが、石田さんご自身、雅楽に対しては「伝統的なものを作っている」という意識でやっていらっしゃるのでしょうか?
石田:「古いものをやってる」という意識はまったくないです。雅楽の作曲家って日本に10人もいなくて、誰もタッチしていないんです。だから、新しい曲のアイデアが腐るほど出てくるし、作曲のスケッチは200曲分ぐらいあるので、とてもじゃないけど、古いものをやってるという感覚ではないんです。

―ROTH BART BARONが昨年出したアルバムに“狐火”という曲がありましたが、あの曲には、ある種の日本的な雰囲気がありましたよね。三船さんはどのような意識であの曲を作られたのでしょうか?
三船:あれはもろにコンセプチュアルな曲なんですよ。日本人がどれだけ「日本らしさ」というものを勘違いしているか、記号的な和の要素を、表面的な「ラベル」のようにペタッと貼ってみたらどんなものができるんだろうという発想から作ったんです。あの曲には和楽器を全然使ってないし、日本っぽい要素もあまり入れてないんですけど、こういうわかりやすい記号的な要素があるだけで、みんな「日本っぽい」って思うんだなっていうのは百発百中ですね。その勘違いこそが今の日本を作っているんじゃないかと。
―おもしろい発想ですね。日本人である僕らですら「日本的」なるものを勘違いしているし、分かっていない部分が多い。でも、それこそが「日本的」でもあるという。
三船:そうですね。みんなの視界の外側にも可能性があるような気がしていて、それを目に入れるところまで持っていけると楽しいと思うんですよ。今回のコラボレーションもその一歩目という感じがするんですね。
INDEX
「人類が誰もやったことないことをやろうとしてますからね(笑)」(三船)
―その『開門音楽祭』のコラボレーションなんですが、どのようなステージになりそうでしょうか。
石田:今まさに何ができるか考えているところなんですが、想像の200倍ぐらい聴いたことのないアイデアの連発で、すごいコンサートになりそうです。
三船:人類がまだ体験したことのないコンサートになると思います(笑)。僕らは雅楽に対して神聖なイメージがあるから、「本当にこんなことをやってもいいんですか?」と石田さんによく聞くんですけど、「雅楽って自由なんです。何でもいいんです」と言うんですよね。

―雅楽は自由なんでしょうか?
石田:もちろんそのなかには宮中で演奏される御神楽(※)のように神聖なものもあるんですけど、それ以外はみなさんが考えているよりも自由なんですよ。今回参加してくださる演奏家の方々も新しいことをやりたいという人たちです。
※御神楽:宮中(皇居)で天皇の拝礼により行われる、神聖な歌舞や雅楽のこと。
石田:雅楽の演奏者が一番気にしているのは「自分たちが大事にしてきたものを、あなたも大事にしてますか?」ということで、大事にしているならぜひ一緒にやりましょうという人たちなんです。三船さんたちからは雅楽の演奏者に対するリスペクトを感じるので、すごくいいものができると思います。

―『開門音楽祭』へのコメントで、三船さんが「なかいま(中今)」という言葉について書いていらっしゃいますよね。今回のコラボレーションのキーワードのひとつじゃないかと思うんですが、「なかいま」とは?
石田:昔の人たちは常に、とてつもない遠い過去から、まだ見ぬ遠い未来へと続く時間の流れを感じながら「今」を生きていたと言われるんですよ。そうした時間感覚のことを「なかいま」という言葉で表現されるんです。
三船:われわれは近代的な思想のもとに生きているから、「今を大事にしましょう」「この瞬間が大事です」ということがよく言われますよね。でも、「なかいま」というのはそうした発想ではなく、永遠というものが先にあって、「自分はその一部にちょっとだけ参加してます」という概念で。現代って、みんな「永遠」を信じなくなっちゃったじゃないですか。
―そうですね。すべての物事はいずれ終わるという諦念のようなものがあります。
三船:かつての日本人は西洋の人たちのように生きたらなんとかなるんじゃないかと思ってたのに、その西洋はうまくいってないし、世界中目標を見失っていると思うんですよね。だからこそ、永遠を感じながら今を同時に感じるライブになったら素晴らしいんじゃないか。そういう発想があるんですよね。
石田:確かに今の人はあまりそういうタイム感では生きていないですよね。御神楽という古代歌謡の中に“千歳”っていう曲があるんですけど、<千歳 千歳>とずっと歌ってるんですね。要するに<永遠よ 永遠よ>と歌っているわけです。それぐらい古代の人たちは永遠というものを意識していたわけですよね。
「今しかない」っていう人と、「永遠の中の今に生きてます」っていう人は、確実に出す音が変わると思います。西洋の音楽の場合、「ここから始まり、ここで終わる」という時間の流れがはっきりしていますけど、日本の場合は、始まりも終わりもはっきりしていなくて、どこを切っても常に流れ続ける川の流れのような時間感覚が根本にあると思うんですね。雅楽の演奏も、どこから始まったかもわからないし、どこでも終わることができるんです。

―『開門音楽祭』でのライブも、永遠に続く時間のあくまでも一部であると。「やってみないとどういうものになるかわからない」という部分を含め、お2人ともワクワクしているような感覚があるんですね。
石田:まさにそうですね。完成形は誰も見えないという。
三船:人類が誰もやったことないことをやろうとしてますからね(笑)。でも、最初からコンセプトが決まっていて、「すべて計算通りです」みたいなものよりも、自分たちもお客さんも、どんなものになるかわからないもののほうがワクワクしますからね。
石田:結論が出たものを提示するんじゃなくて、本当に実験している最中のものをそのまま観てもらうというのは、むしろ一番おもしろいんじゃないですかね。いい曲もあれば失敗した曲もあって、それはライブじゃないと観れないものですから。
『開門音楽祭|KAIMoN Music Festival –Open the MoN–』

日程:2026年5月19日(火)〜 5月22日(金)
時間:各日19:00開演(18:00開場)
会場:MoN Takanawa: The Museum of Narratives Box1000(JR山手線 高輪ゲートウェイ駅 直結)
チケット料金:1階スタンディング:7,500円/2階指定席:8,000円/22日のみ全席指定:7,500円(ドリンク代別)※すべて税込
主催・企画制作:MoN Takanawa: The Museum of Narratives
企画制作協力:J-WAVE
出演:羊文学(5月19日)UA(5月20日)STUTS(5月21日)ROTH BART BARON × 石田多朗(5月22日)
イベントサイト:https://montakanawa.jp/programs/kaimon_music/