2025年に公開された『罪人たち』は、1930年代のアメリカ南部を舞台とする、吸血鬼ホラーやミュージカルなどが混ぜられたジャンル越境的な映画だ。
『クリード チャンプを継ぐ男』『ブラックパンサー』などのシリーズものを手がけてきたライアン・クーグラー監督にとって初のオリジナル脚本となった本作。主演はクーグラーと多くの作品でタッグを組んできたマイケル・B・ジョーダンが務めた。
この作品は、ホラー映画として、そしてオリジナル映画として記録的なヒットとなっただけでなく、批評的にも成功を収め、第98回アカデミー賞では史上最多の16部門にノミネートされ、脚本賞や主演男優賞をはじめとする4部門での受賞を果たした。
本稿では、『罪人たち』が示唆する文化と歴史について、あらためて探っていきたい。
※本記事には映画の内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。
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吸血鬼が象徴する文化的搾取
『罪人たち』の舞台は1932年、ジム・クロウ体制下のアメリカ南部、ミシシッピ州クラークスデイル。同じくミシシッピ出身でブルースが大好きだったというクーグラー監督の叔父からインスピレーションを受けたという本作は、才能豊かなブルースミュージシャン、サミー(マイルズ・ケイトン)たちと共に、双子の兄弟スモークとスタック(マイケル・B・ジョーダンが一人二役で演じる)がダンスホール「ジューク・ジョイント」を開店するなど、序盤は音楽映画として物語が展開していく。

ところが、アイルランド出身のヴァンパイア、レミック(ジャック・オコンネル)の登場によって、『フロム・ダスク・ティル・ドーン』(※)のようにホラー映画へと急に転調する。吸血鬼たちは、サミーの歌に引き寄せられるようにダンスホールを襲撃する。実在するブルースのレジェンドミュージシャン、ロバート・ジョンソンが、クラークスデイルで悪魔と取引して超人的な音楽の才能を得たというアメリカの都市伝説「クロスロード伝説」になぞらえたのだろう。本作は、吸血鬼ホラー、音楽史などが一体となり、ジャンルの垣根を乗り越えた映画だとまずは言うことができる。
※『フロム・ダスク・ティル・ドーン』:1996年公開のクエンティン・タランティーノ脚本、ロバート・ロドリゲス監督のコンビによる作品で、前半はクライムサスペンス、後半は吸血鬼との死闘という異色の構成が特徴
重要なのは、吸血鬼がただのモンスターとして描かれていない点だ。ヴァンパイア集団はブルースに引き寄せられ、アフリカ系中心のコミュニティを襲い、血を吸って感染させ、同化させようとする。最初にレミックが同胞としたのが白人至上主義結社KKKだったこと、吸血鬼たちによるダンスホール襲撃のきっかけとなったのが金の問題だったことなどから、本作での吸血は、迫害されたアイルランド系移民がアメリカで差別する側に回ってしまう皮肉な歴史だけでなく、白人および資本主義によるブラックカルチャーの搾取を示していると考えられる。
アフリカ系アメリカ人のコミュニティと文化をめぐる同化および搾取の歴史を最も象徴的に描いたのが、吸血鬼化された人々がアイルランド民謡を歌うシーンだ。レミックを中心に、血を吸われたアフリカ系の人々が踊る姿は、エンターテイメント産業による文化的盗用と搾取の歴史を指し示している。同時に、力強く響くこの歌と踊りは、リズム&ブルースを取り入れて生まれたロックンロールなど、音楽産業の構造によって生まれ、今では人々が楽しんでいる諸々の音楽の寓意になっているのではないだろうか。アメリカポピュラー音楽史のいわば原罪を文化的な吸血という行為に仮託しているわけだ。
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スモークとスタックが体現する「二重意識」
自分たちが作り上げた自由な空間であるダンスホールと、ブルースの才人であるサミーを吸血鬼から守るために奮闘するスモークたち。マイケル・B・ジョーダンは性格や振る舞いが異なる双子を見事に演じ分けているが、一卵性双生児であるスモークとスタックは、同化と搾取に晒されたアフリカ系アメリカ人のアイデンティティと歴史そのものだと考えられる。

ここで参照したいのが、W.E.B.デュボイスが提唱した「二重意識」だ。1903年に出版され、アフリカンアメリカンスタディーズの古典として知られる『黒人のたましい』のなかで、デュボイスは次のように述べている。
アメリカの世界──それは、黒人に真の自我意識をすこしもあたえてはくれず、自己をもう一つの世界(白人世界)の啓示を通してのみ見ることを許してくれる世界である。この二重意識、このたえず自己を他者によってみるという感覚〔……〕もう一つの世界の巻尺で自己の魂をはかっている感覚〔……〕アメリカ人であることと黒人であること。二つの魂、二つの思想〔……〕アメリカ黒人の歴史は、この闘争の歴史である。すなわち、自我意識に目覚めた人間になろうとする熱望、二重の自己をいっそう立派ないっそう真実の自己に統一しようとする熱望の歴史なのである。
W.E.B.デュボイス(木島始、鮫島重俊、黄寅秀訳)『黒人のたましい』(岩波文庫、1992年、p.15-p.16)
デュボイスは人種差別的な世界において、白人の視線や価値観を内面化しながら自らを見つめる状態を「二重意識」と呼び、アフリカ系アメリカ人の歴史を異なる価値観がぶつかり合うものとして捉えた。スモークとスタックはこの複雑な自我、分裂と葛藤を体現した存在だと言える。
厳格なスモークと享楽的なスタック。異なるのは性格だけではない。兄のスモークが身につける青の帽子は、ダンスホールに訪れる労働者たちの服と同じ色だ。彼は家族やコミュニティ、そしてフードゥー(西アフリカの信仰とカトリックなどが融合した宗教であるブードゥーとは異なる)という、木の根などを用いる伝統的な民間信仰の施術師であるアニー(ウンミ・モサク)を吸血鬼やKKKから守ろうとする。まさにスモークはアフリカ系のルーツと強く結びつけられている。一方で、劇中の車や酒屋などと同じ色を、産業的なもの、享楽的なものを象徴する赤色をまとうスタックは、アフリカ系の血を持ちながら肌の色のために白人社会に属しているメアリー(ヘイリー・スタインフェルド)との情事をきっかけに吸血鬼に同化してしまう。
吸血鬼に襲われてしまうきっかけが、農園用の通貨ばかりでダンスホールの現金が足りないこと、すなわち2つの異なる世界の通貨に対する悩みだった点を含め、一卵性双生児であるスモークとスタックは、白人からの搾取と同化によって揺れ動くアフリカ系アメリカ人のアイデンティティ、デュボイスの言う分裂的な二重意識と、それによって形作られた歴史を表している。