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石若駿×馬場智章対談 少年時代からの盟友が、互いの軌跡を振り返る

2024.9.18

#MUSIC

9歳の頃にジャズスクールで出会った2人の少年。それぞれの道を進みながら、彼らは日本の新しいジャズシーンになくてはならない存在へと成長した。親友であり良きライバルでもある2人、ドラマーの石若駿、サックス奏者の馬場智章は、昨年、アニメ映画『BLUE GIANT』で演奏担当として共演。そしてこの度、立て続けに新作をリリースした。

石若が率いるAnswer to Remember『Answer to Remember II』、馬場のソロ作『ELECTRIC RIDER』は、どちらも新境地を切り開いた重要作であり、日本のジャズシーンが進化し続けていることが伝わってくる。そこで今回、2人がふと漏らした「酒を酌み交わしながら話をしたい」というリクエストを実現。ビールのロング缶を開け、リラックスした雰囲気のなかで、2人が出会った子供時代や音楽に対する姿勢、新作の話など、彼らのジャズをめぐる友情のヒストリーを訊いた。

「僕がミュージシャンをいまだに続けられている理由って駿なんですよ。音楽だけ悔しさを感じた」(馬場)

ー普段、こんな風に2人で飲みながら話すなんてことは良くあるんですか?

馬場:そんなにはないですね。ライブの打ち上げの時とかは他の仲間もいるし。去年の5月くらいに久しぶりにサシで飲みました。急に駿から連絡がきて、「今近くまできてるんだけどいる?」って。それで2時間くらい飲んだよね?

石若:あの時は、ちょっと寂しくて(笑)。

馬場:色々あるよね(笑)。

左から石若駿、馬場智章

石若:結構、熱い話をした記憶があります。これから俺たちどうしよう。世代的に大人になったけど、これからのビジョンってある? みたいな。

ー真面目な話ですね。

馬場:2人だけになると、そういう話になってしまうんですよ。というのも、お互い忙しいし、そういうタイミングでしか真面目な話ができないからかもしれません。

石若:お互いに同じ子供の頃からジャズをやってきて、コアなところで繋がりを感じてはいるんですけど、智章は高校卒業してアメリカに行って、僕はずっと日本で活動していた。智章がアメリカから帰って来てから一緒にやったりはしているんですけど、活動しているシチュエーションが違うので、会うと様子を探るみたいなところがあるんです。

ー2人は9歳の頃に北海道のジャズスクールで出会ったそうですね。その頃から相手のことは意識していたのでしょうか。

石若:そうですね。ジャズスクールって大所帯なんですよ。小学生の部で40人くらいいる。智章はソリストだったのでバンドの先頭に立ってマイクの前でサックスを吹くんですけど、キラッと光るソロを吹ける人は数少なくて、その一人が智章だったんです。

石若駿(いしわか しゅん)
打楽器奏者。1992年北海道生まれ。東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校打楽器専攻を経て、同大学を卒業。卒業時にアカンサス音楽賞、同声会賞を受賞。リーダープロジェクトとして、Answer to Remember、SMTK、Songbook Trioを率いる傍ら、くるり、椎名林檎、KID FRESINO、君島大空、CRCK/LCKSなど数多くのライブ、作品に参加。

馬場:ちゃんと吹けてた?

石若:めっちゃ吹けてた。僕はドラムという立場なのでフロントに立つことはなかったですが、アドリブをした人の演奏に反応して、ドラマーの役割でどんな風に空間を蠢かせるのか、というのがジャズの醍醐味だと思っていたんです。そういったところで、智章と一緒にやるのは楽しかったですね。

馬場:そういうことを小学生で感じているのがヤバいでしょ?(笑) 当時、僕はドラマーの役割なんて全然わかってなかったのに。駿の演奏は圧倒的でしたけど知識もすごかった。音楽博士でしたね。「これ聴いたことある? めっちゃいいよ!」っていろんなCDを聴かせてくれるんです。最初にデビューしたてのロバート・グラスパーを教えてくれたのも駿だったし、駿のおかげで音楽の知識が広がりました。

馬場智章(ばば ともあき)
1992年、北海道札幌市生まれ。2011年にバークリー音楽大学入学。卒業後はニューヨークに拠点に活動。2020年に帰国後はリーダープロジェクトに主軸に置き、『ELECTRIC RIDER』(2024年)を含む3枚のリーダーアルバムをリリース。2023年公開のアニメーション映画『BLUE GIANT』にて、主人公・宮本大のサックス演奏を担当。

石若:リアルタイムのジャズを聴いていて、音楽の話ができる仲間が周りに少なかったんですよ。だから知識をシェアして一緒に演奏できる仲間を探していた。その一人が智章でした。

馬場:ジャズスクールでセッションする時には「こんなアレンジどう?」とか、駿はアイデアを先頭切って持ってきました。当時から音楽的な提案をすごくやっていて、それがアンリメ(Answer to Remember)とかに繋がっているんだと思いますね。

ー子供の頃からお互いに影響を与えあっていたんですね。

馬場:僕がミュージシャンをいまだに続けられている理由って駿なんですよ。僕は家族に音楽をやっている人がいたわけでもないし、ミュージシャンになりたいと思っていたわけでもない。音楽以外にも水泳をやったり、医療に興味を持ったりしてました。勉強も嫌いではなかったし、やりたいことはいろいろあった。そんななかで、音楽だけ悔しさを感じたんです。「もっとチャンスがほしい」「もっとできるようになりたい」っていう欲があった。水泳をやってて、そういう悔しさを感じたことはありませんでした。でも、ジャズスクールで駿に出会った時に「こいつに負けたくない!」と初めて思ったんです。もし、駿に出会わなかったら、今頃は医者になっていたかもしれませんね。手術の後に駿の新作を聴いて「最近はなんか難しいことやってるなあ」って思ってたかも(笑)。

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