若くして三大映画祭すべてで主要賞を受賞しヨーロッパを中心に熱い注目を集めてきたドイツのファティ・アキンは、多彩な題材を扱うなかでたびたび移民や難民のドラマを語ってきた。トルコ系移民2世として自らの経験を反映させながら、ヨーロッパにおける移民の現状をリアルに、かつ生き生きと描き出してきた映画作家である。
そんなアキンの新作『RHEINGOLD ラインゴールド』は、クルド系のラッパーXatar(カター)ことジワ・ハジャビが半生を綴った自伝の映画化だ。イランで音楽家の父親のもとに生まれた彼は、両親がヨーロッパに亡命したのちに貧しい暮らしのなかでギャングになり、金塊強盗の容疑で逮捕されてしまう。しかし刑務所のなかで録音した楽曲でラッパーとしてデビュー……という、あまりにドラマティックな生き様はドイツでセンセーションを巻き起こした。映画も難民の過酷な現実を映すところから始まり、ギャングもの、音楽ものとさまざまな側面を見せていくが、アキンは見事に「現代の神話」としてパワフルにまとめあげている。ハジャビは清廉潔白な人物ではなく、それどころか自ら犯罪に関わってきたギャングだったが、だからこそ1人の移民がサバイブしていくさまが生々しく立ち上がっているのである。
自身にとって最大のヒット作となった『RHEINGOLD ラインゴールド』について、ファティ・アキン監督に聞いた。DJとしても活動する彼のヒップホップ観から好きなギャング映画まで気さくに語るなかに、彼の作品に宿る「熱さ」がたしかに感じられたのだった。
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本作は、ジャズを演奏するように映画を制作していました。
―『RHEINGOLD ラインゴールド』はまず物語としてエキサイティングな作品になっています。こんなラッパーが実際にドイツにいたのか、と。Xatar(カター)の人生の、どのようなところにあなたは惹かれたのでしょうか?
ファティ・アキン:何といっても、まるで「猫が9つの命を持っている」を地でいくかのように、いろいろなことがあった人生であるところが面白かったですね。彼の自伝に非常に強いものを感じましたし、ジャンルが変わっていくところにも惹かれました。
はじめは親を中心とした難民のドラマから始まり、大人になっていく過程の青春物語になり、それからギャングものになり、音楽ものにもなっていく。それは1つの物語と惹かれると同時に、映画作家としてもチャレンジングなものに思えました。わたしは毎回違った映画を作ろうとしているので、今回は作品内でジャンルを越えるものをやってみたかったのです。

1973年8月25日、ドイツ、ハンブルク生まれ。両親はトルコ移民。2004年『愛より強く』で「ベルリン国際映画祭金熊賞」、2007年『そして、私たちは愛に帰る』で「カンヌ国際映画祭脚本賞」、2009年『ソウル・キッチン』で「ヴェネチア国際映画祭審査員特別賞」を受賞し、30代にしてベルリン、カンヌ、ヴェネチアの世界三大映画祭で主要賞受賞の快挙を成し遂げる。本作『RHEINGOLD ラインゴールド』は、自身の作品として最大の1000万ドル近い興行成績を記録した。
―今おっしゃったように、『RHEINGOLD ラインゴールド』はギャングものや音楽ものといった異なる要素が1つの映画になっているのが面白いですね。ただ、こうした異なる要素をまとめるのは難しくなかったでしょうか。
アキン:ジャズを演奏するようなイメージでしたね。自分にとっては音楽的な体験で、楽しいものでした。場面によって撮影するジャンルが変わっても、自分は何をしているのかを理解していましたが、今回は規模の大きいクルーだったのでスタッフはみんな大変だったと思います。
ある意味では「時代もの」でもあるので、1980年代や1990年代の雰囲気を再現していかなければならない。ロケーションも多く、デザインしなければならないセットも多かったです。過去の話でありながら現在に通じるものでもあるので、その匙加減も考えながら作っていったのですが、細かい部分を変えようとすると大規模な変更が必要になってしまいます。そこがもっとも大きな挑戦であり、集中力とブレずに核の部分を保つことを試されるような現場でしたね。
あらすじ:ドイツの実在するラッパーXatarの伝記映画。イスラム革命により迫害された音楽家の両親にもとに生まれたジワ・ハジャビ。父が有名な音楽家であることから保護され、イランからドイツへ亡命。移民として育つ彼は、ストリートでのし上がるためにボクシングジムで鍛え、「Xatar(カター:クルド語で「危険」)」というあだ名で有名になる。ヒップホップに興味を持つ一方で、彼はストリートの犯罪に手を染めていく。