何かしらの舞台芸術の新作を見るということは、明け方の蝉の羽化を目撃することに近いのかもしれない。もちろんアーティストたちはひとつの完成を目指しているし、そこで達成されるパフォーマンスに、私たちは胸打たれる。と同時に、その舞台上でおこなわれていることは、何かの「変化の途中」であることもまた事実だ。早朝の蝉が羽を乾かし、やがて見知らぬどこかへと羽ばたいていこうとするような「変化の時間」に立ち会えることは、観客にとって刺激的な楽しみだといえるだろう。
世界的な振付家であるウィリアム・フォーサイスとの活動を経て、国内外で作品を発表してきたダンサーの島地保武と、音楽活動を軸に近年は舞台作品でのパフォーマンスなど多彩な領域で活躍しているラッパーの環ROY。ふたりのコラボレーション作品『あいのて』が2023年10月、『東京芸術祭2023』において上演される(『東京芸術祭×愛知県芸術劇場× Dance Base Yokohamaパフォーミングアーツ・セレクション 2023 in Tokyo』と題して柿崎麻莉子『Can’t-Sleeper』とのダブルビル)。前作『ありか』(2016年~ / 愛知県芸術劇場製作)が話題となった異彩タッグによる新作だ。
NiEW取材陣がふたりのもとを訪れたのは、9月中旬に愛知県芸術劇場で世界初演を迎える直前。東京芸術祭FTレーベルのプログラムディレクターであり、今作のドラマトゥルクも務める長島確(長島曰く今作におけるふたりの「相談役」であり「つくりかたのエンジニア」)にも同席してもらいながら、「変化の途中」のクリエイターとの対話に臨んだ。
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難航したクリエイション。「横に並ぶことの戸惑いから始まった」
―取材前日の通し稽古映像を拝見しましたが、前作『ありか』が異ジャンル同士の言葉や身体のぶつかり合いだったのに対して今作は、台詞を喋る島地さん、ラップはわずかにしかせず台詞を喋り、そして踊る環さんというように、おふたりの境目がわからないほど混ざり合っているような構成に驚きました。ご自身として感触はいかがですか?
環:どうなんでしょう……?
島地:うーん……(窓の外を見る)。
―(台風の影響で雨が降っている外を見ながら)何かありますか?
島地:いや、風景についての作品だということは、ひとつあるよなあと。
―たしかに、『あいのて』はある風景について語り出すところから始まります。
島地:……ひとまず前作の『ありか』から振り返ると、客席に囲まれたステージでふたりが向き合うような構成になっていて、僕も環さんの一挙手一投足をとにかく観察して、把握するということに集中していたんです。
島地:今回は他の作品と一緒に上演するプログラムなので、通常の舞台の配置と言いますか、当然僕たちはお客さんのほうを向きながら、ふたりで横に並ぶようなかたちになる。最初、そこになんだか違和感を抱いたんですよ。どうしたらいいんだろうって(笑)。
―ふたりで向かい合うのではなく、横に並ぶことの戸惑いから始まった、と。
島地:去年からクリエーションを始めていったんですが、横に並んでパフォーマンスするなら漫才みたいにやってみようかと思い、当初はふたりでダラダラ喋ったことをテクストにしてもらったこともあって。そのときは、ずっと名前について喋っていましたね。
―名前ですか?
島地:島地保武(シマジヤスタケ)という自分の名前が言いづらいとか。
環:(ダンサーの)森山開次(モリヤマカイジ)はシンメトリーの比率が高くて、字面の安定感がすごい、とか。
島地:……というような、たわいもない話をしていて(笑)。
環:あんまり取材にならない話っすね(笑)。
島地:ただその頃から、「踊らないダンサーとラップしないラッパー」というイメージが、なんとなく僕のなかにはあったんです。僕の場合は踊らないこともまた踊りだろう、ぐらいの感じですね。環さんにうまく伝えられていたかわからないけれど。
環:いや、伝わっていましたし、そのイメージにはすごく共感していました。要するに僕たちは、劇場で対面式でやるということに対して当初イメージをもてなかったし、ダンスとラップというふたりが持っているスキルをそのまま使うと、『ありか』の続編のような既視感のあるものにしかならないんじゃないかという予感があったんです。
―「踊らないダンサーとラップしないラッパー」というイメージが共有される前の段階ですね。
環:そこでとった手段というか、一番手っ取り早いと思った飛躍が、たとえば喋るだけでも踊りでしょとか、喋るだけでも音楽だろうとか、なんというかジョン・ケージ的な拡大解釈だったわけですよ(笑)。踊らない、ラップしない。僕のなかでは最近までそのイメージがありつつ、島地さんのなかではだんだんと、すこし揺り戻しがあったようで、僕があえて一生懸命じゃないというか、やる気もキレもないような動きをしていたら「もうちょっとダラダラしないで動いてほしい」と言われて実際キビキビ動くようになってきたし(笑)、ラップもしてるし。
島地:いや、やる気のないような動きというより、単にそう見えかねない動きだったので! あとラップをしようと言い始めたのは環さんですよ!(笑)
―環さんの動きは、島地さんの振付なんですか?
環:振付はないですね。自分で勝手に動いているだけです。
島地:でもたしかに、当初よりはメリハリがあるというか、キビキビした構成になったかもしれない。本番までに、もうすこし何も起きないような時間があってもいいかなあという気もしているんですけれど。
環:まじすか。僕はもう少し、なんていうかベタな要素とか欲しいなって思っちゃってるんですよね。最後は普通に(多くの舞台作品がやるように)暗転で終わりたい、とか。
島地:そうそう、暗転の話ね。最初に出ていくのも袖からじゃなくて、明るい客席からそのまま入って行こうかとか、最後も暗転しないで「じゃあ終わります」という感じで終わるかとか、いろいろ考えているところです。
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「どうつくっているのか」をつくる作業
―本番がどうなっているか楽しみです(笑)。そもそも『ありか』のときは共通言語をもたないところから作品をつくりあげていったわけですが、おふたりの間での良し悪しの判断基準というか、ジャッジはどうしているんですか。
環:だいたいは島地さんが「こうしよう」と言って、僕が「いいね」と言っていることが多い気がします。
島地:そうですねえ……とはいえ稽古しているなかで、「あ、いまのはやりやすい」「いまの間(ま)はよかった」と会話で判断していくことも多いですね。
環:たしかに、そうした判断はすごく明確にありますね。そのやりとりを、長島さんが笑顔で見守っている(笑)。
島地:ふたりで進めていきながら、長島さんに度々「どうでした?」って聞いて相談するという。僕たちはどうしてもやる側だから、外から見たら、僕らが快適だと感じない動きや構成のほうが、実は面白い可能性もありますから。
―長島さんとしてはいかがですか。
長島:まさにおふたりが出演者で、外から見ての演出的判断ができない座組ではあるので、外から見たときにどう「見える」か、こういう意味にとれた、ということをおふたりにレスポンスしようと意識していますね。
島地:普通は演出家がいて決めていくことが多いですが、今回は本当にみんなでつくっているという感じですね。
環:いま僕たちに質問してもらっていることって、要するに「どうつくっているのか」ってことですよね。……謎ですよね、でも。
―はい、謎です(笑)。
環:俺も謎ですよ(笑)。言ってみれば、「『どうつくるのか』をつくっている」感じです。『ありか』のときは、まさにゼロから「どうつくるのかをつくる」ところからやらなきゃいけなかったから、本当に大変でした。今回も当初は、またそこからやるのか、正直ダルいなと思っていたところはあったんです(笑)。ふたりだけで喋っていてもなかなか広がらないし。
―『ありか』がひとつの到達点ではあったわけですよね。
環:『あいのて』初期段階の、さっきの名前について話し合っていた頃なんていうのは、ふたりで「うーん」と唸って無為に過ごしていました(笑)。そのときに唐津絵理さん(愛知県芸術劇場エグゼクティブプロデューサー / Dance Base Yokohamaアーティスティックディレクター)が、「こいつらだけじゃダメだ!」と思ったのか(笑)、長島さんを送り込んでくれたんです。長島さんが、「こういうのはどう? こういうのは?」って、いろいろと提案してくれたことで進んでいきました。
島地:ふたり芝居の戯曲を探したこともあったんですが、そのときも長島さんがいろいろと提案してくださって。
長島:芥川龍之介の『暗中問答』とか、サミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』とか、E・T・A・ホフマンの『隅の窓』とかですね。僕は名前について取り組んでいた時期は立ち会っていないから全然知らなかったので、いまおふたりの話を聞いて、なぜ僕が投入されたのか初めてわかりました(笑)。
島地・環:ハハハハハ!
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「言葉」と「身体」についての模索。言葉や感情は、身体の後から遅れてやってくる?
―『あいのて』で島地さんと環さんが口にされる言葉は、ある映像を見ておふたりが喋った言葉をテクスト化し、それを再構成していったとのことですが、何の映像だったんですか?
長島:『コヤニスカッツィ/平衡を失った世界』(1982年、ゴッドフリー・レッジョ監督)という、フランシス・フォード・コッポラが名前を貸してクレジットされていて、フィリップ・グラスが音楽をつくっているドキュメンタリー映画です。アメリカの都市や自然の風景が、スローモーションや早回しなどを取り入れた映像でとにかく撮られていくんです。それをおふたりが別々に見ながら副音声的に、好きなように喋ったものを、文字に起こしていったテクストが『あいのて』のもとになっています。
環:パフォーマンスの構造上、僕が喋った言葉を島地さんが言うパートもありますが、結果、テキストとしては、僕が喋った言葉だけが残っている状況ですね。
島地:僕のほうは自分の言葉のほとんどを、実際の動きに変換していこう、というようにシフトしていきましたね。
長島:環さんは文字起こししたテクストを自分で喋るためにリライトして整えていって、一方の島地さんは、僕が圧縮したものをご自身が踊る振付のために使い始めたんです。
―それはぜひうかがいたいポイントなんです。おふたりにとってそれぞれ、言葉 / 身体ってどういうものなんでしょうか。島地さんは環さんと共作される前から、パフォーマンス中に言葉を度々用いてきたダンサーでいらっしゃるわけですが、言葉ってどんな存在なんでしょう。
島地:うーん……それこそ『あいのて』の台詞のなかにあるんですが、言葉というか、物語的な感情って、身体の後から遅れてやってくるものだとずっと思っているんです。と同時に僕は、オノマトペのようなものにも関心があったりして。なんと言うんでしょう、言葉って手と一緒で、舌が動くという意味で、末端の動きという感覚が僕のなかではあるんですよね。自分の身体が動いた後に、それを整理するために言語化することもあって。
―理解したとはすぐに言えないお話ですが、面白いですね。そうして遅れてやってくる言葉という存在と、島地さんはつき合い続けていますよね。
島地:なんでしょう、言葉に対してコンプレックスがあるのかもしれないですね。うまく扱えないんですよ。ちゃんと主語があって、述語があって、修飾してというふうに、すぐに口にできないので。
環:でも、文章に書くことならできるでしょう?
島地:それも時間がかかるからね……そう、時間がかかるものが言葉だと思っているんですよ。踊りはすぐその場でできますから。それこそ、この言葉が伝わっているかわからないですけれど(笑)。
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身体の練度の高さやファッション、物語など、様々な要素が高度にあわさるパフォーミングアーツの魅力
―環さんにとっては、身体ってどういうものなんでしょうか。ラッパーのキャリア初期から不思議な動きをされる方だという印象がありますが、そもそもパフォーミングアーツに関してはどんな興味を抱いていらっしゃるのですか。
環:2016年に『ありか』をつくって以降、コンテンポラリーダンスはかなり見るようになりました。海外のダンサーの来日公演も見るし、動画も見る。自分がやるかやらないかはひとまず置いておいて、時々劇場に行く、くらいの興味はあります。訓練された練度の高い身体、ファッション的な意味でのルックの探求、演劇の要素などが高度に合わさっているものに出会えることがあるので。
でも、そもそも僕は、複製を前提に創作されたもの、つまり音源なんですけど、その薫陶を受けて創作を始めたので、記録できるものとか残るものをつくりたいという志向性が強いです。(目の前のコーヒーカップをつかみながら)ひとつのオブジェクトのコンポジションが好きなだけで、空間全体に向かうという考え方は島地さんのほうが得意だと思います。いつも感心していますし、学びも多いです。それでも、唐津さんや島地さんが、いい動きをしているからパフォーマンスやってみなよと言ってくれるので、やらせてもらってる感じです。
島地:たしかに環さんは今回も、テクストを書くことにはエネルギーと情熱を注ぎ込んでいましたよね。逆に、空間を認識するとかそういうことに関しては……。
環:基本的に島地さん任せですもんね。まず経験の差がすごいので。
島地:僕の場合は、(カップを持ちながら)これをつくることも好きですけれど、(机上の複数のカップを移動させながら)じゃあこれをどういうふうに置いて、どの位置関係で配置して、どのタイミングで出てきて、入れ替わって、消えて、というようなことを考えるのが好きです。なんでしょう、「(複数の身体を配置・移動させる)重さ」を感じるのが好きですね。
環:だから、島地さんのほうがスケールがデカいのかもしれないです。
島地:いや、僕はもう身体から離れられないんで。環さんはきっと、身体から離れている時間のほうが長いんだと思うんですよ。たとえば本を読んでいて、喉が渇いたとかトイレに行きたいとか、肩がこったなとか思う瞬間以外は、身体を忘れてるでしょう?
環:それヤバいじゃないですか、早死にしそう(笑)。
島地:いやいや(笑)。逆に僕はこう話しているいまも、体重はここにあるな、と意識しちゃうんです。なんだかこう、身体に引っ張られちゃっている人間なんでしょうねえ……(しみじみと)。
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常にオルタナティブを追求する二人がどうしても噛み合わない。果たして本番では、暗転するのか?
―それがまた、島地さんの身体的な練度の高さでもあり(笑)。しかしおふたりの話をうかがっていると、やはり「意外性」がある気がします。ダンサーは身体のプロであり、ラッパーは「ビートを乗りこなす」だなんて言われますが、アンコントローラブルなものにご興味があるんだろうなあ、と。
環:でも、それって特別なことじゃないというか、カオスをある程度呼び込むというのは創作の基本で、それを前提にしてないと話にならないんじゃないでしょうか。
―でもコントロールすることが是、というアーティストもいるのでは?
環:それはきっと、アーティストじゃないのでは?
―ハハハ、なるほど(笑)。
島地:でも僕は、すっごくコントロールしたいですよ(笑)。
環:いや、俺もめっちゃコントロールしたいですよ(笑)。オートチューン好きですし。
島地:コントロールしたいんですけど、人と踊るときって相手をコントロールできないじゃないですか。自分が行きたい方向に誘うことはできるけど、その人の意志がありますから。そのコントロールできないものに対応するのが楽しいし、好きなんですよね。
島地:たとえば今回も、もとになるテクストができたら、この問題にどう対応し、解決できるかなと取り組んでみる。僕のダンサーとしての活動は、長い時間をかけて、ずっとインプロビゼーションしているんだなと感じます。もちろん大変ですし、ひとつ解決したところでまた問題は出てくるんですけど(笑)。そうした問題が次々出てくるようなところに自分を運んでいくのが、僕のやり方なのかもしれません。
環:島地さんは、既視感があるものをほんとに避けたい人ですよね。ストイックだなと思います。
島地:え、それについては環さんのほうがよく言いませんか。
環:島地さんのほうがすごいっすよ。だって俺は暗転したいんですから!
島地:僕が暗転したくないのは、普段から暗転についてはよく知ってるからですかねえ(笑)。
環:俺は基本的に暗転がない業界にいるんで、たまには暗転したいです(笑)。どうします、暗転します?
『東京芸術祭×愛知県芸術劇場× Dance Base Yokohama パフォーミングアーツ・セレクション 2023 in Tokyo』
期間:10月21日(土)、10月22日(日)
場所:東京芸術劇場 シアターイースト
券種/料金:
<自由席(入場整理番号付)・税込>
【一般】4,500円
【25歳以下】2,250円(枚数限定)
柿崎麻莉子『Can’t-Sleeper』
演出・振付:柿崎麻莉子
振付:アリス・ゴドフリー
出演:柿崎麻莉子、栗 朱音
島地保武 × 環ROY 新作『あいのて』
演出・振付:島地保武
演出・音楽:環ROY
ドラマトゥルギー:⻑島 確
出演:島地保武、環ROY
https://tokyo-festival.jp/2023/program/performing-arts-selections-2023
コンセプト・構成・プロデュース:唐津絵理(愛知県芸術劇場 / Dance Base Yokohama)
プロダクションマネージャー:世古口善徳(愛知県芸術劇場)
舞台監督:河内崇
舞台監督助手 :鷹見茜里(愛知県芸術劇場)
照明:冨田章子、安武千沙子(RYU)
音響:岡直人
衣裳管理:菅井一輝
ツアー制作:宮久保真紀、宮田美也子(Dance Base Yokohama)
東京芸術祭FTレーベルプログラムディレクター:長島 確・河合千佳
主催:東京芸術祭実行委員会【公益財団法人東京都歴史文化財団(東京芸術劇場・アーツカウンシル東京)、東京都】、Dance Base Yokohama (一般財団法人セガサミー文化芸術財団)
協賛:アサヒグループジャパン株式会社
企画・共同製作:愛知県芸術劇場、Dance Base Yokohama
『東京芸術祭 2023』
会期:2023(令和5)年9月1日(金)〜10月29日(日)
会場:東京芸術劇場、ロサ会館、メトロポリタンプラザビル自由通路、東京都豊島区池袋周辺エリアほか
主催:東京芸術祭実行委員会[公益財団法人東京都歴史文化財団(東京芸術劇場・アーツカウンシル東京)、東京都]
協賛:アサヒグループジャパン株式会社
協力:豊島区、西武鉄道株式会社、東武鉄道株式会社、池袋西口商店街連合会、co-ba ikebukuro、NPO法人ゼファー池袋まちづくり、NPO法人テラコヤ、立教大学、合同会社ルネサンス・ジャパン
https://tokyo-festival.jp/2023/