混迷する世界情勢に対するアーティストたちの向き合い方、独立系アーティストのSNSマーケティングをめぐる議論、そして、6月に開催されたMUSIC AWARDS JAPANについて……
2026年上半期に話題となった音楽を取り巻く社会的イシューについて、ライター / 評論家3人が振り返る。
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インディアーティストのTikTok使用に感じるモヤモヤ
—さきほど2026年上半期はインディ系バンドのリリースが豊作だった、というお話をいただきましたが、インディ系ミュージシャンとSNSマーケティングを巡る議論もありましたよね。松島さんから少しご説明いただけますでしょうか?
松島:はい。TikTokとかInstagramのリールのリーチ拡大だったり、スケールしていくのをサポートするマーケティング業者がありますよね。メジャーレーベルがそういうところに仕事を発注してプロモーションを拡げていくのは当たり前のことだと思うんですけど、GeeseだったりOklou、DijonやMk.geeといった、インディペンデントに思える新興勢力で人気のある人たちががっつりそれを利用していたことが海外のメディアなどで厳しく指摘されて、それってどうなんだろう、という議論が巻き起こりました。
Oklouの『Choke Enough』というアルバムは、去年出た作品の中でトップ3に入るくらいよく聴いていた大好きな作品で、作品自体がいいのは間違いないです。良いリリースをしてもなかなか注目されない世の中ではあるので、出会いの場、接点を増やすという意味で、そういう業者が動いたとしても致し方ないのかなとは思いつつ、一方で、これは選挙とかにもつながってくる話でもあると思いますが、マネーゲームになっちゃうことが問題だなと思っていて。(アーティストが)いかに良い表現をやっていたとしても、結局資金力の多寡で勝負がついちゃうのは、健康的ではないですよね。
松島:YouTubeやInstagram、TikTokはどうしてもインプレッションだったりとか、アルゴリズム、収益性みたいなところに大きく左右される現実がある。それって雑誌の時代や、スペースシャワーTVとかの音楽チャンネルも含めたテレビの時代でも、同じことだったんじゃないかなとは思いつつも、ちょっと大丈夫かな? なんだかなあ、という、黄色信号が灯る感じはしました。
風間:雑誌文化と比べると、雑誌の場合はメディアとアーティストに共犯関係が成立していて、それが見えやすいからこそアレルギー症状が出ないのかなと思います。Geeseなどの件は、SNSで行うプロモーションが共犯関係に見えない、一方的なレコメンドの見た目になって出てくるっていう問題があったわけですよね。日本でも最近、kurayamisakaがTikTokで紹介されていて、そういうところにプロモーションかけるんだ? と話題になりました。TikTokマーケティングって、業者が「いくらで受注します」というのをどこも出しているんで、その金額感までダイレクトに見えてしまったことも含めて、炎上に近いような形になってしまった。個人的には、純粋主義すぎるのもちょっと問題があるというか、インディ的なところに求道者を求めすぎるのもな……と思いはします。
宗像:音楽のインディペンデントなものが巨大なものと結託するというのは、日本のロックの歴史の中でも延々繰り返されているんですよね。ただTikTokの話がちょっとレイヤーが違うなと思うのは、宣伝かどうかがわかりにくい。
例えば音楽雑誌にアーティストのインタビューが載ります、大特集が組まれました、というときに、裏表紙にそのアーティストの広告が出ているというのは、まず分かりやすいじゃないですか。ウェブの音楽媒体でも、ステルスマーケティングはよろしくないというのがかなり問題になったので、インタビューの記事に(アーティストサイドから媒体に広告費等が支払われていたら)「PR」と記載するのが、この業界の最低限の良心であり、みんな守ろうね、というところなんですよね。お金を出してるかどうかを可視化するのが大事なところだったんですね。それが、TikTokの投稿にPRと書くか書かないかって言ったら、あまり書かないですよね(※)。そこが非常にまずい。若い世代がずっと見ていて、それが実はマネーゲームによるものだと気づかないっていうのは、問題があると思います。
※TikTok上のタイアップ投稿にはPaid partnership(有償パートナーシップ)ラベルが表示される仕組みがあるが、ユーザーから宣伝投稿であると理解されているとは言い難い現状がある。また、ステルスマーケティングが疑われる無表示の投稿も少なくない。
松島:天然物ぶるのはよくない、産地偽装的なことはやめよう、という話ですよね。
宗像:そうなんです。プロモーションにお金をかけること自体は悪いことではなくて。Instagramだと、タレントさんがイベントに招待されました、という写真に「#PR」とつけている。InstagramとXはギリギリそれがあるんです。TikTokになぜそれが目立たないのか、というのは、これはプラットフォーム側だけでなくて、アーティスト側、レコード会社や事務所の良心という部分もあると思うんです。もともと著作権侵害が横行する場だったところから、音楽業界が音源をちゃんと提供することによって、何万回みんなが踊ってるとかシェアしてるっていうのを可視化するシステムが整備されてきた。一度ユニバーサルミュージックと決裂したりもして(※)、そうした中で、アーティストの楽曲を広める投稿が、自然発生的なものなのか、プロモーションとして依頼されたものなのかを、どう明示するのか。その運用が追いついてなかったんではないかと思うんですよ。
※ライセンス契約更新の合意に至らず、2024年2月、ユニバーサルミュージックグループが管理する楽曲がTikTokから一斉に削除された。同年5月に、報酬等を見直す形で和解が成立し、現在は復活している。
松島:TikTokの際限なくリミックスが繰り返されるあの感じや、SoundCloudとかの著作権的にグレーなブートレグ文化というのは、ぶっちゃけラディカルでめっちゃ面白いとは思います。ショート動画の、見たくもないのに見続けてしまう中毒性は、SFに出てくる「電子ドラッグ」が意外な形で現実化したもののようでもありますよね。そのアンサーじゃないですけど、先日DOMMUNEで行われた磯部涼さんの新刊『脱法』刊行記念番組の中で、「脱法」をテーマにロングセットでDJする機会があって、その際もSoundCloud出身のアーティストの楽曲をいくつかプレイしてみました。インターネット文化には脱法的なものが多くあるし面白いけど、だからこそ倫理的な線引きをしたり最低限自分の中で超えちゃいけないラインを設定したりすることが必要なのかなと思いました。
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Boards of Canada、坂本慎太郎、KIRINJI……社会性を引き受けはじめたミュージシャンたち
—SNSと音楽については、ホワイトハウスのSNSアカウントによる楽曲使用についての話題もありました。
風間:そうですね。上半期のお気に入りタイトルに挙げようと思っていたBoards of Canadaの『Inferno』というアルバムがありまして、その収録曲がリリースしてすぐホワイトハウスの映像に勝手に使われて、(リリース元レーベルの)Warp Recordsが声明を出すという事件がありました。
風間:去年はサブリナ・カーペンターが自分の楽曲を使われて声明を出して、その声明に対してホワイトハウスがまた挑発し返すような文言を出すということがあったり、今年はBoards of CanadaのほかにRadiohead(※)とかアリアナ・グランデとか、ぜったいに今のホワイトハウスと信条が馴染まないだろうなっていうアーティストをあえて露悪的に使っている。
※RadioheadのケースはホワイトハウスではなくICE(アメリカ合衆国移民・関税執行局)のアカウント
松島:なんか本当に底が抜けちゃってますよね。
宗像:星野源の“うちで踊ろう”を安倍首相(当時)が使ったら、いろんな議論になったじゃないですか。あの頃がまだまともに見えますよね。倫理観がぶち抜かれちゃってる。
風間:Boards of Canadaの『Inferno』は、作品自体、完全にその世界を描いていました。先日BEATINKのイベントで野田努さん、河村祐介さんとお話しする機会がありまして(※)、そこでもBoards of Canadaがこんなに現代性を帯びた作品を出すことにびっくりしたっていう話になったんです。終末論的な世界観がアクチュアルなものとして立ち上がってきている。切迫感がすごくあって、上半期の中でもすごく政治的な作品として聴きました。
※2026年7月3日『ele-king vol.37 特集:サイケ&ドリーミー』発売記念 ボーズ・オブ・カナダ最新アルバム『Inferno』を紐解く at 原宿YET・BEATINKポップアップストア
風間:政治性に関して言えば、国内の年長ミュージシャンたちが政治的メッセージを引き受け始めているとも感じています。坂本慎太郎さんの新作(『ヤッホー』)だったりとか、くるりもそうだし、KIRINJIの新作『TOWN BEAT』に収録されたトイレの歌(=“flush! flush! flush!”)もそうですよね。めちゃくちゃ大好きだったんですけど。坂本さんは「傍観していることがダサいと感じるようになった」というようなことをおっしゃっていましたし、Boards of Canadaも含めて、ミドルエイジ以降の方々からそうした発信が増えてきたなと思います。

松島:近いところで言うと、COMME des GARÇONSの川久保玲が、昔は絶対やらなかったような直接的な反戦メッセージを掲げて、「もう時間がないんです」という旨のことを言っていたり。とにかく切迫感がありますよね。いままでだったらもうちょっと暗喩的にやっていたような人たちも、本当にまずい、ここで声を上げないと、となっている。坂本慎太郎さんは以前、TOWER RECORDSの広告で「音楽は役に立たない。役に立たないから素晴らしい。役に立たないものが存在できない世界は恐ろしい」と言っていましたよね。だから、そういう恐ろしい世界になったという認識なのかなって、『ヤッホー』はそういうふうに聴きましたね。
風間:そうですね。一方で僕の世代だと、享楽的であることもひとつの政治性になりうる時代だ、っていう考え方をしているような人が多くて。それで享楽的なものが増えているという気もするんですよね。ちょっとパラパラっぽい曲が流行ったりとか。
松島:「ええじゃないか」(※)みたいな感じというか。
風間:まさに。それは歓迎すべきことでもあると思いますし、個人的にもそういうものはすごい好きです。
※ええじゃないか:江戸時代末期(1867年)に全国的に発生した、人々が踊り騒いだ騒動。享楽の形をとった民衆運動(ある種のデモ)であるとも解釈されている。
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「伝え方」と「拡げ方」をめぐって
松島:ヒップホップって、要するに稼ぐこととかデカくなることを内面化している文化で、そことネオリベ的な感性って絶望的に相性が良いんですよね。トラップ以降の価値観なのかなと思いますけど、ステマに近いようなやり方に、むしろなんでやらないの? みたいな感じでみんな躊躇なく、悪いことだとも思っていなかったり、セルアウトが恥ずかしいっていう概念が消滅していたりする。売れれば売れるほどいいし、それを仲間と自分たちだけで成功させられたら最高だよね、みたいな。僕はそれだけでは対抗文化になり得るとは思えなくて。どうすればいいんだろう、と思っています。
宗像:まさにそれはあります。自分は(売れるための)努力をしていまこの位置がある、だからただ弾き語りをストリートでやってるのはダメな連中だ、みたいな考えがあって、路上ライブの騒音が問題になったときに、プロのミュージシャンがストリートのミュージシャンを批判したりする。松島さんが仰ったネオリベとの親和性の高さというのは、ヒップホップに限らないかもしれません。
松島:なるほど。プロフェッショナルな人全員が内面化しかねない問題ってことなんですね。
宗像:ストレートに未来への希望を歌うのが本当に難しい時代になっちゃったな、と思ったし、だから上半期の音楽では、寺尾紗穂さんがやっている冬にわかれてが、アルバムforgotten』)の最後の曲(“みらい”)で未来への希望を描いてて、それが痛切に響いたんですよ。
宗像:今年BRAHMANのライブを観たときに、TOSHI-LOWさんが「俺は反戦反核なんだ」って言ってて。みんな分かってただろうけど、って。あえてそういうことを言う時代になっている、そういう状況になっちゃってるんだろうなってのは、考えなきゃいけないですよね。
風間:ホープパンクやラディカルオプティミズムという概念がありますよね。前者はニヒリズムへのカウンターとしてSFの地平から提案され、後者はデュア・リパが同タイトルのアルバムで示したように、楽観主義をセンセーショナルな思想として今一度レプリゼントすることによって現実の窮状を相対化している。両者は享楽性を甘受しているような素振りを見せながらも、ごくしなやかに抵抗します。そういう概念を引き受けつつも、世代であったり、立っている場所によって表出のさせ方が違ってきているんだろうなと思います。ストレートに希望を言う人もいるし、その存在自体が希望であるみたいな在りようもあるし、理知的なところをついて言葉を重ねていくっていうのは、上の世代の方にも感じます。
つまり、この経済状況で、僕は世代間闘争が拡大すると思っていたんですよ。素朴な格差の拡大によるものですね。ただ、今の話を聞いていて、「希望」というテーマをラディカルに提示すればつながれるんだなっていう、それこそ希望的な観測をすごく抱けました。
松島:新宿で『Protest Rave』というのをずっとやっている人たちがいて。まず、その中心にいた音楽家、篠田ミルさんが4月に亡くなられて、大変なショックを受けており哀悼の意を示します、というのは一言添えておきます。『Protest Rave』はこれまで本格的なテクノを中心に若干いかつい雰囲気でやっていて、もしかすると外から見て怖い感じの印象を与えていたのかも、と思うんです。けど、この間初めてハウス軸で『Protest Rave』が開催されたんですよ(=Protest Rave、クソデカフラッグ部、路哲による共同開催『DROP BASS NOT BOMBS』)。それがものすごく良くて。掲げているイシューやメッセージ自体は強いものだったんですけど、ハウスミュージックの持つやわらかさで場の雰囲気がちょっとだけ和らげられていて、デモ的な行動が好きではない人たちも「なんか悪くないね」みたいな感じで聴いていたりしました。そうやって少しずつ拡げていくことをやらないとダメだと思うし、楽しみながらそういう意志を掲げていく動きは、数少ない希望を抱けるトピックだと思います。
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MUSIC AWARDS JAPANを受けて考えたメディア側の使命
—最後に、6月に2回目となるMUSIC AWARDS JAPANが開催されましたが、こちらについてはみなさんどうご覧になりましたか?

宗像:はい、個人的にいろいろ思うところはありますが、まず言っておくと私は去年から投票もしているし、去年も今年も現場に、招かれて行っているんです。こういう利害関係をレポートとかではっきり言わない人が多いんですよ。みんなちゃんと言った方がいいよ、と思っています。さっきのTikTokの宣伝か否かの話にも関わってくるし、自分の立場がどうなのかを音楽ジャーナリスト、音楽ライターが明かさないのは無しじゃないかなと思います。
松島:ちなみに僕は全く関係してないです(笑)。
風間:僕も投票権はないです。普通に視聴者目線で、テレビで授賞式を見ました。去年の第1回は、2025年というより2020年代、2010年代後半のものをまとめてフィーチャーする側面が大きかったんですが、初回でイレギュラーだったと思うんですよ。功労賞とか、箔をつけるみたいな作業ももちろん必要だと思うので、意義はあったと思うんですけど、年間アワードとしては2026年から本格的に始まったんじゃないかなと思って見ていました。
宗像:そうですね。去年の主要部門は、対象期間中にリリースされた作品ではなく、その期間のチャート実績を基にエントリー作品が選ばれていたので、いまこれが入るの? みたいなものがけっこう入っていたのは事実としてありました。
松島:僕は、MAJのようなものは無いよりはあった方がいいと思いますけど、個人的な趣味からすると正直全く外れているゾーンではあって……すみません。ただ、¥ØU$UK€ ¥UK1MAT$Uさんが最優秀DJ賞を受賞しましたよね。いま日本のDJで、世界でここまで頑張ってる人は行松さん以外いないし、全くのアンダーグラウンドから登場した人がここまで行けたよ、というのは、アンダーグラウンドにわずかな光が灯った受賞ではあったのかなと。あと、渡辺信一郎さんの『LAZARUS ラザロ』というアニメ作品の、カマシ・ワシントンやFloating Pointsを起用していた劇伴が受賞したのも、個人的には嬉しいトピックでした。だから、光が当たっている部分には当たっているなと思いつつ、もうちょっとレンジが広がってほしいと気持ちはありますね。ないものねだりかもしれませんが……。

風間:インディやアンダーグラウンドから出てきたものを、純粋に作品のクオリティだけで評価するんですよ、という形じゃなくて、輸出産業というところに振り切って、メジャーなものにプライズを与える。それでオーバーグラウンドのものをより大きくして、アンダーグラウンドやインディの文化も醸成する、ある意味強烈に相対化することで醸成するということも、論としては可能だと思うんです。ただ難しいのは、それを日本国内だけで完結させられるほどのパワーやリソースがどれくらいあるのか。グラミー賞とかと比べたら、そこは産業の規模的にちょっと厳しいものがありますよね。なので、産業の話として考えた時に、どれだけ輸出産業だと割り切ったとしても、日本が見据えるべきなのは、日本版グラミーではなく、日本版マーキュリープライズだったり、台湾の金曲奨、韓国大衆音楽賞のような方向なのではないかと思います。
宗像:お二人がおっしゃることもめちゃくちゃわかるし、そういうところを踏まえて、やっぱりゴッチ(=後藤正文)さんが自分で賞を設立して、新鋭アーティストの支援をしようとしてるのは、本当にすごいなと思いますね。MAJの日にXでされていた投稿も、尊敬するなあと思いました。
音楽賞って難しいですね。10年くらいやってみないと、その意義や価値はわからないんだろうと思います。TLに称賛や批判的な言葉が並んでいるけれど、多くの人が賞について話すことは大事だと思います。そういう参加もある。みんなからヤイヤイ言われることを引き受けるのも、アワードの役割というか…
— Gotch / Masafumi Gotoh (@gotch_akg) June 13, 2026
宗像:私は去年も今年も行っていて、今年に関しては昼からスーツ着て行って、一日通してのレポートを書いてるんですよ。スーツでレッドカーペットに行っちゃうと、やっぱり調子に乗りそうな自分もいるんです(笑)。そういう意味で、レポートを書く音楽ライターはみんな、MAJの政治性との距離の取り方について、苦しみがにじむというか、葛藤があるんだろうなと思っていて。私は自分なりに苦しみながら書いたつもりだったんですけど、ほかの記事を見たら意外とそうでもないんだなって……。
松島:(授賞式前日のガラパーティーに)首相が来場・登壇していて、どうなのよ? という論調がそこから広まった印象でした。
宗像:映画『国宝』の音楽を手がけた原摩利彦さんが、受賞スピーチで、未来の若者たちもやりたいことをやれる、爆弾が降ってこない空を望みたい、といったことをおっしゃっていて、僕はすごく感銘を受けてレポートの最後に残したんです。けど、やっぱりそういう複雑なニュアンスのレポートだと読まれないんですよね。MAJ万歳と言っているか、MAJなんて良くないと言っているものの方が、Xのアルゴリズム的にも強く届くわけじゃないですか。
松島:そうですね。どんどん党派的になっていく中で伝え方を考えるとなると、Worldwide Skippaくんがやっているように、普通の人たちに普通のこととして、織り混ぜたような形で主張を伝えるようなやり方を、我々も地道にやっていくしかないのかなと思いました。
宗像:はい。MAJについては賛意、批判、あるいは中道的な見方がいろいろあっていいんだけど、産業のイベントとして割り切るのが一番わかりやすいんじゃないかなという感覚です。それはそれとして、ヒットしたものだけが良いものではないということも我々はもちろん知っている。なので、そこは我々が地道にやっていくしかないんじゃないかなと思います。MAJ的な価値観ではないオルタナティブな視点をジャーナリズムの側がどれだけ担保できるか。時間と足を使って現場性を保っていくしかないと、自分自身にも問うています。