現代社会に生きる女性を取り巻く問題を、フェミニズムの見地から捉え直す漫画『わたしたちは無痛恋愛がしたい 〜鍵垢女子と星屑男子とフェミおじさん〜』(以下『無痛恋愛』)を連載中の瀧波ユカリさん。
さまざまな事情を抱えながら人生を突き進む登場人物たちに、ハラハラしたり腹を立てたり涙したり、社会的なテーマを真正面から扱いながらも(扱っているからこそ)とにかくめっぽう面白い。
『無痛恋愛』の単行本を購入した読者から送られた相談に瀧波さんが答える「人生悲喜交々、とにかく瀧波ユカリに相談だ」という企画も、漫画のスピンオフの範疇を超えて一級品の人生相談だ。
寄せられた悩みに対して、瀧波さんはかなり具体的な解決法を提示する。この連載で今まで話を聞いてきたお2人よりも、一歩二歩踏み込んだスタンスに思える。しかし、押し付けがましくなることはなく、その線引きは非常に鮮やか。相談内容からブレることなく、瀧波さんが言いたいことをしっかり添えて、的確に打ち返している。
瀧波さん、自分のメッセージを躊躇せず、しかも相手にとっても有益な方法で伝えるのって、ものすごく難しくありませんか?
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人生相談のコツは掴みました
ー『無痛恋愛』の読者に向けて人生相談をやったきっかけはなんだったんですか?
瀧波:担当編集さんが販促の一環として提案してくれたんです。あまり聞いたことがない企画だし、やってみましょうかと。めちゃくちゃ相談が来たらどうしようかと思ってたんですが、この企画で答えられそうなものはそんなには来ませんでしたね。
相談と言いつつ私への質問やメッセージだったりもしますし、文章量がものすごく多いものは掲載するときに削らなくちゃいけないので、そうすると真意が伝わらないこともあるから選べなかったり。こういった人生相談に送られるお悩みは、寄せられた時点である程度ふるいにかけられる運命にあるんですよね。

漫画家。札幌市に生まれ、釧路市で育つ。日本大学芸術学部を卒業後、2004年に24歳のフリーター女子の日常を描いた4コマ漫画『臨死!!江古田ちゃん』でデビュー。現在、『わたしたちは無痛恋愛がしたい』を連載中。そのほか、「ポリタスTV」にて、「瀧波ユカリの なんでもカタリタスTV」にも出演中。
ー内容以前に採用されうる形式が決まっていると。
瀧波:その上で、あまりにも特殊だと読む人も共感しづらいので、なるべく普遍的で答えやすいものを選んでいくしかなくて。そうすると3、4つに絞られるんです。
ーどの相談に対しても、堂々たる答えっぷりですよね。
瀧波:『ESSE』で人生相談の連載(『瀧波ユカリのごきげんで行こう!』)をしていたときは、初めてだったので難しいなと思ってました。今は、こう言っちゃうと人生相談に対する夢がなくなると思いますが、コツがつかめました(笑)。
ーまさにそのコツをお聞きしたいです。
瀧波:まず絶対に必要なのは「相談者の立場に立って考える」ことですよね。でも、相談者はたいてい大変な状況にいるので、それだけだと解決策は出てこないんです。
なので、まず「大変だね」ということを言葉にしてあげるのが大事だと思っていて。相談内容に共感した上で問題を削ぎ落としていく。なんて言うんだろう、レントゲンを撮るような感じ。
ー診察にも似ていますね。
瀧波:生身の患者と接して、「それはお辛いですね」と話した後にレントゲンを撮って、「ここにちょっと影が出てます」と悪い部分を見つけるのがコツだと思うんです。その影が全身に散らばりすぎていると解決は不可能もしれないけど、人生相談に送ってくる人はまだ取り返しがつく状態だと思うんですよ。でも混乱していて、具体的に何かするには至らないような状況。
このまま医学になぞらえると、「この部位に影がある」ということがわかれば対処療法はだいたい確立されているじゃないですか。自分の中に人生相談的な対処療法があれば、すぐに答えられるんです。それをどうやって見つけるかは、自分の今までの生き方によると思いますね。

ー自分が経験したことがないことはお勧めできないというか。
瀧波:でも、雑誌やラジオで人生相談に答えている人は私も含めフリーランスが多いですけど、みんな会社での悩みに答えてますよね。勤めたこともないのに(笑)。だから、同じ経験をしていなくてもいいんだけど、極力近い経験を持っていて、それをすでに俯瞰できていることが大事なのかなと思うんです。
「いつも落ち込んでしまいます」というお悩みが来たとして、自分が落ち込んだときの解決法を俯瞰できているなら「こうすれば大丈夫かも」と答えられるし、どうにもならなかった経験を俯瞰できていれば「どうにもなりませんよ」を答えられる。答える人もどっぷり落ち込んで悩んでいる最中だったら、うまく答えられないですよね。自分がその悩みにどんな結末を迎えたとしても、俯瞰していれば答えられるんじゃないのかなと。小説家とかエッセイストとか、ものを書いている人には俯瞰癖があると思うんですよ。
ー世界のことを自分のフィルターを通して文章として再構成しているわけなので、俯瞰そのものの作業です。
瀧波:そうそう、だから人生相談の回答者にはものを書く人が多いんだと思うんですよね。
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人生相談の権威は下がったけど、質は上がった
ー最初に相談者の痛みを受け入れるのがとても大事なのかなと思いました。「ここが痛いです」という訴えに対して「気のせいですよ」と返したら診療が成り立たないわけですけど、相談にそうやって答えている人はけっこう多い気がします。
瀧波:うんうん。でも、昔はあんまり相談者に寄り添うことがなかったと思うんですね。私が「こんなに寄り添っていいんだ⁉︎」と思ったのは、雨宮まみさんの人生相談(『まじめに生きるって損ですか?』として書籍化)。びっくりするくらい寄り添っていました。雨宮さんという実例が出てきたことによって、他の人もためらわず寄り添えるようになったんじゃないかという気がしてて。あの連載が始まったのが2010年代前半だったと思うんですけど(※)、そこが分岐点というか、ちゃんと相談者の痛みを受けとめる形が増えていったように思います。
※『穴の底でお待ちしています』のタイトルで2014年からスタート

ーそれまでは、相談に対して「そんなもんは大したことない」という感じで一発かます技法が主流だったような気がします。
瀧波:以前の方がずっと、相談者よりも読者のほうを意識してましたよね。権威的というか。権威といっても社会的に偉いというよりは、サブカルやオシャレのようなちょっと砕けたジャンルで権威とされる人が、雑誌とかで軽妙な語り口を見せつけるようなものが多かったと思います。だから、あまり相談者への寄り添いも求められてなかったというか。今考えると、その頃の人生相談に投稿してた人って、何を期待してたんでしょうね……。
ー自分の悩みが否定されて面白がられるわけですもんね。
瀧波:毒舌系も多かったですし。でも、SNSもまだないから、否定されるにしても有名な人に何か答えてもらえるという価値があったのかもしれない。その価値が暴落したら、「なんでこんなけちょんけちょんに言われないといけないんだ!」という感覚も出てきますよね。そうなると権威的な人よりも、もっと身近なことを書いている人や、同世代のシンパシーを得ている人に答えてもらった方がいいよね、となっていったんじゃないかと。
でも、人生相談自体も権威だったから、今はそれも下がったという感じがしますね。
ー新聞、雑誌、ラジオが舞台だった人生相談が、YouTubeやPodcastで誰でもやれるようになりました。
瀧波:質問箱やマシュマロ、Instagramのストーリーズなど、匿名のメッセージに答えるサービスが出てきたときはけっこうびっくりしました。相手が有名人じゃなくても、相談を送ってそれに答えるということをみんなカジュアルに行っているし、だからといって質が下がったわけじゃないという。全体的には、権威性が下がって質が向上したんだと思います。
古い感覚のまま書いている人は今も寄り添えていないので、昔ながらの媒体に載ってる人生相談を読むとギョッとすることがありますよね。書く人も書く人だし、そのまま載せる人も載せる人だなと。