2024年に『ハートランド』で『岸田國士戯曲賞』を受賞した1992年生まれの池田亮は、劇作家 / 演出家 / 俳優 / 造形作家など多彩な顔を持つ演劇人である。そんな彼が脚本 / 演出 / 美術を手掛けるのが、9月14日から東京・シアタートラムで行われる舞台『球体の球体』。俳優がホログラムとして登場したり、ダンスのシーンがあったり、カプセルトイが作品の鍵を握っていたりと、みどころ満載の作品に仕上がっている模様だ。そんな池田に以前から聞いてみたかったのが、大学院まで彫刻を学んだ彼が、なぜ演劇に道に足を踏み入れることになったのか? ということ。そして、ヌトミックの額田大志やコンプソンズの金子鈴幸を始めとして1990~92年生まれの演劇人が台頭している中、彼らとは何らかの感覚を共有しているのだろうか? ということだった。その2つの質問、そして来るべき新作の概要を池田に訊いてきた。
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演劇を続けたきっかけはハイバイ岩井秀人の舞台美術「ハイバイドア」
ー池田さんは東京藝術大学の大学院で彫刻を学ばれていますよね。それがなぜ演劇に道に進んだのかが以前から気になっていたんです。
池田:実は墓石に文字を彫る職人になりたくて、多摩美術大学の彫刻学科に進学しました。でも高校の時は、陸上ばっかりやっていたんですよ。関東大会ぐらいまで行ける、かなり成績のいい選手だったんです。それで、大学で駅伝をやらないか? と推薦ももらっていたんですけど、彫刻も好きだったから結構迷って。走っていて苦しくなってきたときに墓石の横を通り過ぎると「ああ、なんかいいなあ」と思ったりしていたんですよ(笑)。だから、「美大で墓石を彫るってなんかいいなあ」と「美大から箱根駅伝に出た方がかっこいいんじゃないかなあ」ということを同時に思っていました。結局、多摩美術大学の彫刻科に進学して、駅伝部を作ろうと思ったんですけれど、誰一人として参加してくれなくて。
ーそれで墓石を掘るほうに専念して?
池田:そうなんです。でも、石が高いので、石材屋さんで石材を切り取ったり運んだりするアルバイトをしていたんですけれど、それで腰を痛めてしまって……。しかも美大ってめちゃくちゃ学費が高いし、2万8000円の安アパートの家賃すら払えなくなりそうになって。それこそ『養生』(今年2月に上演されたゆうめいの公演)で描いた日雇いバイトだったり、週刊誌にルポルタージュなどを書くライターの仕事も18から19ぐらいの時にしていました。絵が得意だったから、裁判画を描くのを手伝うバイトもしていました。あと、その頃演劇部に入っていたんですけれども、部の人から劇団の仕込みや撤収の手伝いをしたらお弁当をもらえるという話を聞いて、それに行ったりもしました。演劇部では美術担当だったんですけど、参加するうちに脚本を書いている人や役者がいなくなったりして、代わりにやってくれない? って言われて。
ーそこではじめて演劇をやり始めた?
池田:助っ人で役者として出ることになったのが大体20歳ぐらいの時です。でも彫刻は続けたいと思っていたので、やっぱりお金は稼ぎたいと思って、就職活動は高島屋と東急ハンズを受けて両方受かってたんですけれど、藝大の大学院も記念に受けてみたら受かったから、じゃあ院に行こうって。演劇は大学3年か4年ぐらいで満足していたんですけど、ハイバイという劇団を主宰している岩井(秀人)さんが発明した「ハイバイドア」っていう、ノブだけでできている宙に浮いたドアを見かけて興味を持ったんです。
ー美術面からハイバイに興味を持ったんですね?
池田:そうです。その時ちょうどハイバイの『おとこたち』っていう公演をやっていたんですけど、チケット代が払えないなって思っていたら、お手伝いをしたら無料だと聞いたんで、チケットもぎりとかのお手伝いをして。でも、本編を観たら『おとこたち』にハイバイドアが出てこなかったんですよ。で、「あれ?」と思って、岩井さんと話したんです。