※本記事には映画本編の内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。
INDEX
人気漫画が原作である映画『違国日記』はどう描かれたか
映画『違国日記』は、2017年に漫画雑誌『FEEL YOUNG』にて連載開始し、『マンガ大賞 2019』第4位、宝島社『このマンガがすごい!2019』オンナ編第4位など多くの漫画賞を賑わせた同名漫画が原作である。両親を突然事故で亡くした中学3年生の朝と、彼女を引き取ることになった叔母である少女小説家・槙生との共同生活を軸に、完全にわかりあうことができない他者とそれでも共生していくことや、自分の居場所を見つけていくことなど、現代社会を生きる人々がモヤモヤと抱える淡い葛藤を見事に描いている。
漫画ではモノローグによって差し挟まれるキャラクターたちの心情描写が作品自体の深みを増し、人の感情や社会というものに対して繊細に、誠実に向き合う作者ヤマシタトモコの姿勢が感じられた。しかし映画にはモノローグの代わりとなるようなボイスオーバーは入っておらず、ほとんど人と人とが交流する様子のみで心情の機微を描き出すことに成功している。
瀬田なつき監督は公式インタビューにおいて、漫画完結前に脚本を執筆せねばならず、「暮らしをスケッチのように現在進行形で描くことで、徐々にそこにある想いや、人間関係がいろんな形で浮かび上がっていくことを目指した」と語るが、まさに本作では朝や槙生たちの関係、さらには彼ら自身の心情のうつろいが鮮やかに描かれている。
INDEX
互いが自分らしさを変えないまま寄り添っていく
朝(早瀬憩)は両親の葬式後、ほぼ初対面だった槙生(新垣結衣)の家に身を寄せるようになる。片付けが苦手で散らかった家に住み、執筆に集中すると部屋に引きこもってしまう槙生は、朝がこれまで接したことがない「役割に縛られない大人」であり、二人は探り探り共同生活を重ねていく。
槙生の中学以来の友人である醍醐(夏帆)が家にやってきて一緒に餃子を作ってみたり、朝と槙生は仲を深めていくのだが、作品の中で朝は槙生に対して、二度怒りをぶつける。
一度目は二人が遺品整理のために訪れたマンションにおいてだ。槙生は朝を引き取る際、朝の母親である実里(中村優子)のことが心底嫌いだと半ば宣言のように告げるのだが、朝は槙生に母のことを好きになってほしいと話す。
二度目は槙生がなかなか打ち明けることができなかった、実里が朝に贈ろうとしていた日記の存在が図らずも知られてしまった時である。
素直に怒りをぶつける朝に対して、槙生はどこか慰めにはなりきらない自分の考えを伝えるから、口論にしてはどこか噛み合っていない印象も受ける。二人は話し合いによって何かが解決するわけでもなく、いつの間にか緊張状態が瓦解して普段の日常に戻っていく。
朝と槙生は違う人間であるが故に仲違いをするのだが、結局互いが互いを変化させることなく、不思議とまた一緒に暮らし始められてしまうのだ。
INDEX
他者の存在がエコーのように響き、自分の心に影響を与える
朝は高校で軽音楽部に入部し作詞をすることになるが、この詞のキーワードになるのが「エコー」である。エコーとはすなわち反響だが、このモチーフは、周囲の人々との交流がだんだんと自らの内奥にも影響を与え、自分と他者は実は境界がなく響き合う存在であるということを見事に言い当てている。
朝は両親が亡くなってもすぐには涙を流さなかった。それは余りに唐突すぎる別れに実感が持てなかったからだろう。その後、徐々に自分を一番愛していてくれた存在の喪失を感じていくのだが、それは母の実里に思いを馳せるなかでというよりは、槙生や親友のえみり(小宮山莉渚)にはいる「自分を一番大切に思ってくれる人」が自分にはいない、という寂寥感のなかで生まれている。
また槙生は映画終盤に、まるで独り言のように「姉が憎いという気持ちを変えたくない」と洩らす。少女時代から創作に耽っていた槙生に、「現実を見ろ」「そんなことでは誰からも愛されない」と干渉してきた姉に対して確かな憎悪を感じていたはずの槙生は、娘である朝と接することで母としての実里を知り、彼女に対しての気持ちが変わり始めてしまうのだ。
ただ、映画は槙生に実里への嫌悪を終わらせることを強いない。誰かを憎む気持ちは時としてアイデンティティの柱になって、その人をその人たらしめる理由になることがあるからだ。