グータッチでつなぐ友達の輪! ラジオ番組『GRAND MARQUEE』のコーナー「FIST BUMP」は、東京で生きる、東京を楽しむ人たちがリレー形式で登場します。
5月29日は、クリエイティブプロデューサーの飯田昭雄さんからの紹介で、覆面画家のRockin’Jelly Beanさんが登場。独特の画風が特徴のRockin’Jelly Beanさんがイラストを描き始めるようになったきっかけや、『FUJI ROCK FESTIVAL』のTシャツの制作秘話などを伺いしました。
INDEX
「タブー」だと思っていたものが認められ、好きなものを描くように
Celeina(MC):まずはプロフィールをご紹介いたします。1990年より活動されていて、日本のバンドシーンでのフライヤーやジャケットなどをキャリアの原点とし、活動は国内外、インディーズ、メジャーの枠を超え、さらに現代美術の世界まで及んでいます。1995年頃から留学のため単身渡米し、7年間L.A.で活動されたのち、近年は活動の拠点を日本に戻されました。原宿でご自身のアーティストショップ「EROSTIKA」をプロデュースするかたわら、様々な分野でクールなアートワークを提供されています。
タカノ(MC):皆さん、絵を見ればわかると思います。
Celeina:Rockin’Jelly Beanさんの画風は一目見ればみなさん気づくはずです。イラストのお仕事をする入口から、伺ってもよろしいでしょうか。
Rockin’Jelly Bean:僕がイラストレーターという職種を知ったのは10代の頃でした。それまでは、わりと普通にクラスにいるような絵が好きな子どもだったんです。そういう子は、大体漫画家を夢みると思いますが、僕の場合は絵を描くスピードが遅かったのと、ストーリーをあんまり考えられなかったんです。そこで、他のことがないかなと考えた時に、イラストレーターという横書きでカッコいい職業があるんだと知りました。
1980年代はイラストレーターが大人気だったので、もちろん憧れたんですけど、イラストレーターというと、同じスタイルでずっと描いていかなきゃいけないみたいな先入観を持っていたんです。自分としてはイラストレーターと画家との間みたいなものを探っていきたいと思っていた20代の頃に、ロバート・ウィリアムスというアーティストのイラストを雑誌で見たんです。悪魔やモンスター、金髪の女の子のトップレス姿などの現代的なモチーフを絵画タッチで描いていて、その時に、「こういう作品を描く方がいるんだ。こういう世界があるんだ」と知って。もともとその方は、1960年代にカリフォルニアで生まれたカスタムカルチャーで有名なアーティストのエド“ビッグダディ”ロスなど、車のカルチャーに影響を受けていた方でした。僕はそういうのも大好きだったから、自分もだんだんそちらへ傾倒していって、今に至るみたいな感じです。
Celeina:Rockin’Jelly Beanさんのシグネチャーとも言えるこのキュートな女性のキャラクターがありますが、いつ頃からこういったイラストが出来上がっていったんですか?
Rockin’Jelly Bean:可愛い子ちゃんのことですね(笑)。多分さかのぼると10代の頃だと思います。親父がいつも買っていた『週刊文春』や『週刊新潮』などの週刊誌には、最後のページにヌードのアート作品が掲載されていて、僕は「2階で勉強してくる」とか言いながら、こっそりそれを持って上がって、絵画教室で習ったやり方で鉛筆を尖らせて、模写をしていたんです。ただ、当時は恥ずかしくて、人に見せちゃダメなものだと思っていたから、誰にも見せませんでした。
それからしばらく経って、20代の頃に、友達にそのイラストを見せたらすごく評判がよくて。当時は今ほどアニメっぽい絵ももちろんなかったですし、エロも解禁されてなかったので、タブーだと思っていたんですが、「喜んでくれる人がいるんだ、こういうのってタブーじゃないんだ」と気付いたんです。通っていたアートスクールの先輩からも「Jelly Bean、エロスティックというのはいいんだよ。なぜかって言うと、不況の時にも強い。皆、嫌いなわけじゃないんだ」と言われて、それで解き放たれたところがあります。そこから、「じゃあ俺が好きなものを描いていいんだ」と、描くようになりました。
タカノ:10代の思春期の頃にインプットしたものが源流になっているんですね。Jelly Beanさんのイラストは、写実性とデフォルメ度のバランスがさすがだと思っていて。イラストっぽさももちろんあるし、でもちゃんとリアルというところが特徴ですよね。ぜひリスナーの皆さんにも、あらためてJelly Beanさんの可愛い子ちゃんのイラストを見ていただきたいです。