ジョー・キーリーの話し方には、どこかに「古い友人」を思い出させる温度がある。フランクに笑いながら、でも言葉の端で過ぎ去っていくものを受け入れて、見守っているような優しさが宿っている。
Netflixシリーズ『ストレンジャー・シングス 未知の世界』のスティーブ・ハリントン役として世界中に知られる彼は、ミュージシャン名義のDjoとして音楽を作るとき、そのスター性を少し脇に置き、自分と世界の関係性を見つめ直して歌ってきた。
2022年に発表された“End of Beginning”は、SNSを通じて時間差で広がり、2026年に全米6位、全英1位へと上昇し、歴史的なバイラルヒットを記録した。
この曲は、ジョーが学生時代を過ごしたシカゴでの日々をめぐる望郷の曲だが、多くの人の心に触れたのは、誰の人生にももう戻れない場所があるからだろう。ホームタウン、学生時代の街、最初に夢を信じた場所。離れてしまってから、いつでもその日常の輪郭は急に濃くなっていく。そしてその曲を作り上げたのは、画面の向こうのスターでもあるが、僕たちと同じ経験をしてきた等身大のひとりの青年だった。
彼の言葉は大げさではない。むしろ拍子抜けするほど自然体で、少し照れくさそうでもあった。その一つひとつが、「成功した人」の美談ではなく、変わっていく自分とどう付き合うかという、ごく個人的な問いとして響いてくる。大人になるとはどういうことなのか。何かを置いていくことなのか。それとも、過去の自分を連れたまま進むことなのか。
「元気?」という気さくなハイタッチから始まった今回のインタビュー。先輩に肩を借りるつもりで、彼に「大人になること」についてじっくりと話を聞いた。
INDEX
「お金がなくて、みんなで雑魚寝して、健康にいいとは言えないものばかりを食べていたんだ(笑)」
─今日はお時間をいただき、本当にありがとうございます! 目の前にジョーがいることにとても緊張しています……。
ジョー:心配しないで(笑)。今日はよろしくね!
─早速ですが、最近の調子はいかがですか?
ジョー:とてもいい感じだよ。最近はなるべく休みを取るようにしていて、それで今、日本にも来ているんだけど。やっぱり自分の日常から少し離れて、知らない場所を探検できるのはすごくいいよね。温泉にもたくさん入ったし、最高の時間を過ごしてるよ!

米マサチューセッツ州出身のミュージシャン / 俳優、ジョー・キーリーのソロプロジェクト。Netflixシリーズ『ストレンジャー・シングス 未知の世界』のスティーブ役としても世界中に知られる。10代から音楽制作に没頭し、シカゴのバンド・Post Animalでの活動を経て、2019年にソロプロジェクト「Djo」を始動。2022年の2ndアルバム『DECIDE』に収録された“End of Beginning”が2024年に世界的なバイラルヒットを記録し、2025年には3rdアルバム『The Crux』を発表。2026年1月には全英チャート1位を獲得するなど、インディーファンからメインストリームまで熱狂的な支持を集めている。
─今日はジョーの音楽から受けたインスピレーションを起点に、「故郷を離れること」と「大人になること」についてお話を聞けたらと思っています。
ジョー:まさに“End of Beginning”のテーマそのものだね。
─故郷を離れることや、「かつて自分がいた場所にはもう戻れない」と気づく瞬間の切なさは、多くの人が共感できるものだと思います。ジョーにとって、故郷を離れたからこそ気づけた大切なものはありますか?
ジョー:たぶん……友達、かな。この曲は、僕がシカゴで過ごした時間について書いたもので。シカゴは大学進学に合わせて引っ越した街だから、本当の意味での故郷というわけではないんだけど、18歳から24歳くらいまでをそこで過ごしてたんだ。僕に限った話ではないと思うけど、そのくらいの年齢の記憶って、本当に素晴らしくて特別だよね。
─その感覚はとてもわかります。10代から大人へと変わっていく過渡期ですよね。
ジョー:そうだね。お金がなくて、狭くてぎゅうぎゅうのアパートにみんなで雑魚寝して、お世辞にも健康にいいとは言えないものばかりを食べていたんだけど(笑)。でも、あの日々を友達みんなで共有していたこと自体が、どれほど楽しかったか、ということに気づいて。そこには本当に純粋な仲間意識みたいなものがあったんだよね。だからこの曲は、そういう愛おしい時間について歌ったんだ。
でも、面白いよね。別に「みんなこれに共感してくれるはずだ」なんて思って作ったわけじゃないけど、結果的に世界中でみんなが共感してくれている。それが本当に嬉しいことだなって思う。
─シカゴを離れたあと、孤独感に苛まれるようなことはありましたか?
ジョー:仕事のためにシカゴを離れたから、孤独は確かに感じたよ。人間関係って、時間が経つにつれて、別の形に置き換わっていくものではあるんだけど、結局それは、過ぎ去った時間へのノスタルジーなんだと思う。
僕たちは、日々何かに対してノスタルジーを感じてるよね。たとえば今こうして話しているこの瞬間に対しても、5年後にはノスタルジーを感じてるかもしれない。だからこれって「今を生きること」を学ぶうえでも良い教訓なんだよね。未来を生き急ぎすぎたり、過去に囚われたりせずに、今という瞬間の手触りをちゃんと味わって楽しむことの大切さを感じるんだ。