2026年9月、DAIZAWA RECORDS設立25周年企画の一環として、きのこ帝国の4タイトルがアナログリリースされた。また、11月には森は生きているの2アルバム、2027年1月にはシャムキャッツの3作品が、それぞれアナログリイシューされる。
いま何かと再注目の機運を感じる2010年代のバンドシーンについて、当時レコードレーベルのA&Rとしてその現場の只中にいた柴崎祐二と、若いリスナーだったTUDA、後追い世代の風間一慶が語り合う。座談会「What’s NiEW MUSIC」第20回。
INDEX
東京インディは、はっぴいえんど〜渋谷系の系譜か
—以前の座談会の中で、風間さんから「最近の若いバンドたちが2000年代のバンドから影響を受けていて、その影響を公言している」というようなお話がありましたが、あらためて教えていただけますか?
風間:座布団忍者というバンドがいまして、彼らはだいたい2004〜5年ぐらいの生まれなのかな? いま大学を卒業するかしないかぐらいの世代のバンドなんですけれど、彼らにインタビューしたときに、森は生きているやceroのような「東京インディ」と言われるバンドから影響を受けた人たちが歴史の巡りとして出てきたこと、簡単に言ってしまえば、雰囲気的なところで東京の音楽をつかもうとしている人たちがいるということに、びっくりして。彼らもリアルタイムで(2010年代のバンドを聴いていたわけで)は全くないんですけれども、影響下にあるし、そうした彼らと世代の近い、wanbedとか二兆円のような面白いバンドが増えてきているんです。で、2000年生まれの僕自身も当時の空気感は知らないんですけど、森は生きているにコミットしていた柴崎さんは、こうした時代の巡りをどう感じているのか伺いたいです。

https://niewmedia.com/series/whatsniewmusic/2607016_edski_wrski/
柴崎:僕はP-VINE RECORDSというインディーズレーベルで7年ぐらい制作とか宣伝の仕事をやらさせてもらってたんですけど、メインに担当していたのが日本のインディーズの、いわゆる東京インディと言われるようなバンドたちだったんですね。シャムキャッツとか森は生きているとか。当時自分がヒーコラ言いながら制作していたものが、アナログが再発されて、わりと若い音楽好きの人たちが「待ってました」みたいな感じで盛り上がっているのを見ると、単純に新鮮な気持ちですね。年を取ったな、という感じです(笑)。
風間:リバイバルというより、正しい意味でその子どもたちが出てきたように感じているんですが、当時の東京インディは、渋谷系の子どもたち、みたいな感じだったんですか?
柴崎:マクロな視点で見るとそういう系譜は絶対ありますよね。東京とかその近郊在住の都市生活者たちが、ある意味ハイブリッドで洗練された、オルタナティブな音楽をやるという系譜というのは、ずっとあるわけですよ。古くは加山雄三とか、それこそはっぴいえんど、シティポップ、渋谷系、そのあとのサニーデイ・サービス、フォーキーブーム、キリンジに続く系譜というかね。でも当時の自分の感覚から言うと、特に渋谷系というのは目の上のたんこぶだったんです。「一緒にしないでくれ」と(笑)。みんな何かしら影響を受けてるはずなんですけど、その系譜に完全に収まりきらないぞという気持ちはどこかしらあったという記憶があります。
あとは、2000年代後半ぐらいまではどちらかと言うと、わりとストレートなロック、パンクに由来した鋭角的なノリの方が、インディシーンで覇権が強かったんですよ。下北でギターロックが流行ってたりとか、関西ゼロ世代とか。その中でceroとかが出てきたときに新鮮だったのは、もうちょっとしなやかな感じというか、フォークやソウルミュージックなりブラジル音楽なりのハイブリッドな感性みたいなものを持っていて。同時代には(Vampire Weekendなどの)ブルックリン系が流行っていましたし、そのような都市生活者のインディ音楽のあり方、しかも非メジャーでDIYの感性を一番大事にしていて、小さめのコミュニティー、スモールサークルオブフレンズでやっているというようなあり方が、2010年くらいに盛り上がり始めた。質問の答えに戻すと、渋谷系的なものからの系譜は確実にあると思うんですけど、当時そこの真ん中で右往左往していた身からすると、感覚としてはやっぱりアンチテーゼもあった気がします。
風間:なるほど。サニーデイはいま、ライブを4時間やる、みたいなことで、ますます話題を呼んでいますけど、東京インディのお兄さんというか、距離は遠くないし、最近のバンドとも同じ目線で聴かれている、すごく特殊な存在だなと。
柴崎:(サニーデイサービスの曽我部恵一が主宰する)ROSE RECORDSという存在が大きかったし、実際東京インディと近い人たちがROSEでリリースしていたこともあって、現在に至る曽我部さんの活動のあり方は、インディミュージシャンにとってある種の理想みたいなところはありますよね。東京インディ的な精神性の、超重要なルーツのひとつであるのは間違いないと思います。音楽的にも、日本語のフォークロックをインディやオルタナティブの美学と接合させるやり方は、サニーデイ・サービスが明らかに先駆で、いまでもそういうバンドは沢山いるわけじゃないですか。ある意味では「パラダイム」だとも思いますよ。
風間:さきほど、源流まで辿るとはっぴいえんどがいる、という話題が出ましたけど、そこについては?
柴崎:うん。極端なことを言ったら、2010年代の細野さんって東京インディだったんじゃないか、って思ってるくらいで(笑)。
風間:いい定義ですね!
柴崎:実際、例えばceroと早稲田大学で対バンしたとき(※2013年の『早稲田祭』)、我々の中で「きた!」という感じと、納得感がすごかったんです。もちろんあまりにも系譜づけてしまうと、当時はいい意味で猥雑ないろんな実践があったので——それこそ、どついたるねんとかもいたからね——そういうパンク的なものとか、いろんな表現が入ってきているので、あんまり系譜を単純化するのはよくないんだけど。でも、ベテランの人たちとも積極的に絡んでいく雰囲気はけっこうありましたね。
INDEX
Z世代にとっての、2010年代 / 東京インディ体験
風間:TUDAさんは僕と世代が近くて、どちらかというとクラブに足を運んでいるイメージが強いんですけど、東京インディとかその同世代のバンドは聴いていたんですか?
TUDA:私は東京に出てきたのが2016年で、その頃にはけっこう楽しんでましたね。シャムキャッツとか。ceroはもう少し前、高校生のときから慣れ親しんでいて、私は名古屋にいたんですけど、「LIVERARY」というメディア兼イベントもやっているみたいなところが、tofubeatsを呼んだり、HALFBYとかセカロイ(※)あたりの人たちを呼んだりしていたので、そういうイベントに足を運んだりしていました。あと、名古屋にMILKというハードコアバンドがいて、MILKが出るneco眠るのイベントに行ったりとかしてましたね。
※Second Royal Records:HALFBY、Homecomingsなどが所属する京都のインディレーベル。「東のカクバリズム、西のセカンドロイヤル」とも言われる。
柴崎:MILK最高ですよね。じゃあ『リゾームライブラリー』(※)とか行ってました?
※リゾームライブラリー:愛知県岡崎市の図書館を会場に開催されていた音楽フェスティバル
TUDA:『リゾームライブラリー』は行ってないんですけど、『森、道、市場』の初回は行きました。
柴崎:なるほど。東京インディと言うけど実は東京以外にもけっこうコネクションがあって、LIVERARY周辺のみなさんともすごく密でした。京都のセカロイも、大阪の「こんがりおんがく」周辺とも。今もそうだけど、みんなどこかでつながっているという感じでしたね。
風間:僕は2020年に東京に来たんですよ。TUDAさんとは4年離れてるんですけど。
柴崎:そんなに若いんだ! ちなみに、その微妙な何年の違いはけっこう重要で、と言うのは、2015年ぐらいにフェイズが変わった感じがあったんです。森は生きているが解散したり、非常に重要な存在だった昆虫キッズというバンドが活動を辞めてしまったということがあって、田中宗一郎さんがやっていた『The Sign Magazine』が、東京インディはいったん終わったのかもしれないというような象徴的な記事を出して。
柴崎:それぐらいまでは、牧歌的に小さなコミュニティーの側がビジネスの側を侵食していたところがあったんですね。そこから第2フェーズというか、個々人の事情もあって解散したり、違うライフステージに入っていく人たちがいたりする中で、YOGEE NEW WAVESとかnever young beachといった、僕の感覚からすると第2世代的な人たちが出てきた。彼らは本当に初手からめちゃめちゃクオリティーが高くて、どんどん会場の規模も上がっていって、人気者になっていって。
僕も2016年にP-VINEを辞めてるんですけど、なぜかって言うと、わりと自分のやれることはもう終わったな、A&Rとしては全てやりきったなという感じがあったんです。あとは、DIY的なシーンの、自分のような友達兼A&Rみたいな人の手から離れた先で、それぞれの展開があるんだろうなと思ったので。だから、2016年と2020年はぜんぜん雰囲気が違うと思いますよ。
TUDA:そうですね。そうだと思う。
風間:第2世代で一番大きいのはSuchmosというイメージがあります。
柴崎:そうかもしれない。ただシーン的には、Suchmosは神奈川の方から出てきたバンドで、その時に音楽ジャーナリズムがシティポップという言葉でceroとかと一緒にしたからよくわかんなくなっちゃったんだけど。
風間:出自というか、シーンとしては違う。
柴崎:そうなんです。
風間:それこそTUDAさんが大学生を過ごしたタイミングが、第2世代と重なりますよね?
TUDA:めちゃくちゃかぶってますね。SuchmosとかネバヤンとかD.A.N.とか、かなり共通言語として同級生の間であったものっていう感じがしますね。
柴崎:そうか、だからそういうのを聴いていた人たちが今活躍するようになって……いや、風間くんはリアルタイムでは聴いてないのか。
風間:そうなんですよ。ただ当時聴いていなくても、歴史の線が見えるから、辿る人が多いのではないかと。これはちょっと脱線する話なんですけど、僕は大学のとき軽音サークルにいたんですけど、いまだにThe Strokesの求心力がものすごかったんですね。それは、ロックの歴史を語るときに、ナラティブを描けるものが残る、ということな気もしていて。
柴崎:シーンやムーブメントの象徴だから。
風間:はい。1970年代後半にパンクが出てきて、グランジがあって……という教科書的な流れを辿っていくと、The Strokesぐらいまでは線で辿れる。けど、そこからは放散、細分化する。そこで、歴史に組み込みやすいものが残る。だから、東京インディがいまでもこうやって話題に上がるのは、東京インディがちゃんと歴史化に成功していたことが、いまになって証明されている、ということなんじゃないかと。
INDEX
ひと括りにされることを嫌がりながらも、コミュニティーごと隆盛していった
柴崎:それについては、ジャーナリズムの人たちが好んで応援してくれたという理由もあると思います。なんでそうだったかと考えると、都市生活者のインディポップみたいなあり方が日本にあるとしたら? という問いに対して、最適の答えがそこに出てきたから、ということだと僕は思っていて。渋谷系とかを経過してきた人たちが、いまの若者のやっていることの地図を手に入れたい、となったときに、そこにいい形でハマったということだと思うんですよ。こういう表現があって然るべきだし、こういう表現を聴きたいという、上の世代からの期待もあったんだと思うし。
当時、東京インディという名前で括られることをすごく嫌がった人たちももちろんいるんだけど——それは全てのカテゴライズに共通することだと思うけど——にも関わらず、なにかしらみんな紐帯を保ちながらコミュニティーがうごめいていくっていう感覚があった。時代のハマるべきところにハマった、「right place, right time」という感じがする。だからこそ、10年とかが経ってもちょいちょい話題にしてくれているのかなと思いますね。
風間:柴崎さんから見て、2010年代に活躍していたバンドで、それ以降にこういうふうに活動が展開していくとは思わなかった、みたいな人はいたりするんですか?
柴崎:どうだろうな。すごく広い意味で言ったら、あのちゃんとか?(笑)。それは半分冗談にしても、あの当時の非主流的なアイドルシーンと東京インディって、けっこう近いところがあったんですね。Negiccoとかも近しい距離感にあったし、ある時期から渋谷のO-nestというハコはどちらもブッキングしていたりしたので。
TUDA:『ちいかわ』じゃないですか?
※TVアニメ『ちいかわ』、映画『ちいかわ 人魚の島のひみつ』の音楽は、トクマルシューゴが手がけている。
柴崎:あ、トクマル(シューゴ)さん! トクマルさんは私、制作とマネージメントに関わっていたんです。
TUDA:そうなんですね!
柴崎:真摯に続けてると、素晴らしい展開があるんだな、と思いましたね。トクマルさんのそばで長く仕事をさせてもらって、こんな風に国民的作家になるというのはすごいことだなと感動しました。
風間:特大のプレゼントみたいな。たしかに考えたことなかったけど、『ちいかわ』にも東京インディがあったという。
柴崎:世代で言うと、トクマルさんとかSAKEROCKとか二階堂和美さんは、東京インディが1980年代半ば以降生まれの人たちのシーンだとすると、そのちょっと上なんですね。第2次ベビーブーマー世代から「松坂世代」にかけてというか。例えば、いま京都でsuiroというベジメニューのお店をやられている小田(晶房)さんや現Sweet Dreams Pressの福田(教雄)さんがやっていらした、「map」という雑誌が2000年代にあってですね。海外のインディカルチャーとかなり密接だったりしたんですが、その後、その周辺からある種逆輸入的に、ニカさん(=二階堂和美)とかトクマルさんみたいな人たちが話題になっていった印象があって。だから、いわゆる東京インディの前に彼らがいて、僕らは、その人たちが切り拓いた地平で遊ばせてもらっていた、という感覚が強いです。
TUDA:そうなんですね。王舟さんとか、七針(※)によく出られていた方達はceroと同時期なんでしたっけ?
※七針:東京・八丁堀にあるオルタナティブスペース。2006年にオープン
柴崎:七針(が大きくクローズアップされたの)は東京インディの時代ですね。ただ、東京インディという括りと関連付けられるのを必ずしも歓迎していたわけではなかったと思います。メディア上で「七針系」という言葉が生まれて、一部で反発が起こったりとか。でも、新しい才能の蠢きという観点からすると、本当に素晴らしいスペースでしたよね。当時、DIYな活動している人の重要な拠点になっていたし、いまももちろん新しい才能をずっと紹介し続けています。そういういろいろな場所もあったんですよね。池袋のミュージックオルグとか、それこそ渋谷のO-nest、7th Floorとか。
INDEX
土地がアイデンティティに結びついた最後のムーブメント
柴崎:場所のことで言うと、東京インディって、たぶん地名を冠した最後のムーブメントなんですよ。これは非常に重要で、その後インターネットネイティブ的なインディポップのあり方がぐわっと上昇してくるわけなんだけど、だから、場というものがひとつのアイデンティティーに結びつくムーブメントのおそらく最後なんですよね。
風間:そうですね。東京以外の都市で、たとえば札幌のバンドが面白いとかそういうのはありますけど、〇〇系って言いたくなる雰囲気とはまた違うというか。
柴崎:逆に言うと、ネット上でも、わりと牧歌的なコミュニケーションが成り立った時代なんですよね。2015年ぐらいまでって。
風間:いま東京で、ハコで音楽の感じが規定されるのは、珍しいと言えば珍しいですよね。
柴崎:もちろんFORESTLIMITとかね、非常に濃密なシーンがありますけど。なんて言ったらいいのかな。『下北沢インディーファンクラブ』というイベントが非常に象徴的だったんですけども、リゾーム状につながっている感じがあったんですよね。しかもそれがアンダーグラウンドというよりはポップなものとして受け止められていた感じがあって。
TUDA:そうですね。いまのライブとかパーティーって、ちょっとインターネット上の再現みたいな場所になることがわりとあると思うので、完全に現場だけで生まれている場所は多いわけじゃない、全部じゃない。そのときは全部だったと思うんです。だから、いま「東京〇〇」みたいなのは出てこないというか。
柴崎:うん。同時にすごく重要だったのが、並行してネットレーベル文化が一番広がる時代だったというのもあって。Maltine Recordsとかが盛り上がって、Ustreamの中継をみんなが同時にパソコンの画面で見て盛り上がるという、センセーショナルに新しいことが起こっていて、その一方で東京インディみたいなものがあって、非常に好対照的な感覚があったんです。実際人脈ではちょっと絡んでたりもするわけですけど。
TUDA:はい、はい。
風間:ちょうど去年、磯部涼さんと九龍ジョーさんの『遊びつかれた朝に 10年代インディ・ミュージックをめぐる対話』(P-VINE、2014年)という本を読んで、まさにいま柴崎さんが言ったシーンのどっちもを押さえていて、景色の奥が見えた感じがしました。
柴崎:あれはいい本ですよね、ドキュメント性が強くて。ああいうものを残すことは大事だなと思います。
風間:さっき話した「歴史を縦に通せたものが残る」みたいなことも、この本を読んで思いましたね。いまこういうものが書けるのかな? とも。
TUDA:いま書こうとすると、完全に個人史になっちゃうんじゃないかなと思いますね。