折坂悠太の4thアルバム『呪文』の発表、そしてそのリリースツアーの開催に際した短期連載第3弾。
今回の書き手は、ブックディレクター、編集者の山口博之。折坂悠太の歌詞集『あなたは私と話した事があるだろうか』を企画、出版した山口が「折坂悠太鴨川説」という仮説から、その言葉、その歌のあり方について綴る。
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good and son代表。1981年仙台市生まれ。立教大学卒業後、2004年から旅の本屋「BOOK246」に勤務。2006年から2016年まで選書集団BACHに所属。2017年にgood and sonを設立し、オフィスやショップから、レストラン、病院、個人邸まで様々な場のブックディレクションを手掛けるほか、企業やブランド、広告のクリエイティブディレクション、さまざまなメディアの編集、執筆、企画なども行う。2023年、出版レーベル「wordsworth」を立ち上げ、折坂悠太の(歌)詞集『あなたは私と話した事があるだろうか』を企画、出版した。
本は話し相手、本屋は公園。折坂悠太は本のようであり、本屋のようでもある
本は話し相手のような存在だ。本を読むことは対話をすることで、著者との対話であり、登場人物との対話であり、何より読んでいる自分自身との対話である。そして、本屋は公園のような場所だ。自由に入ることができて、入った人は思い思いに好きな本を手に取ったり、読んだりして時間を過ごし、気に入れば買うが、買わずに出てもいい。そこにいることにコストを要求されず、ただなんとなくいることも許されているさまざまなきっかけに溢れる場所だ。
歌詞集『あなたは私と話した事があるだろうか』をつくる打ち合わせの中で折坂さんは、「自分という人間は、これまで世に生み出された言葉が集まるクラウドから個性や時勢や環境のフィルターを通して持ってきて表現しているイメージがある。自分の詞もまたそこに帰っていくもののひとつ」であり、「公園みたいな感じでいたい」という話をしてくれたことがある。

初回の打ち合わせで、「どんな本を読んできたんですか?」と聞くと「いや、恥ずかしいのですが、あんまり読まないんですよ」と意外な答えが返ってきた。折坂さんの曲や詞の言葉、本人の佇まいを知っていたら、当然たくさん本を読んできたんだろうと勝手に想像してしまう。けれどそれは本の仕事をする私に気を遣ったのだと思う。だって実際、造本のモチーフに童話屋の『ポケット詩集』を選んだり、“芍薬”が詩人川崎洋の「ひどく」から詩想を得て書かれていたりもするのだから。しっかり言葉で表現する人間の歴史の中に生きている。
公園という言葉は、発売後行った書店B&Bでのトークイベントでも話題になり、「鴨川でありたい」とも言い換えられている。折坂さんは、過去と対話しながら現在に生き、未来に言葉を残すという意味で本のようであり、現在において開かれた場のような存在であるという意味で公園や本屋のようでもある。ひとりで本と本屋を兼ねるなんて、ブックディレクター、編集者と名乗り仕事をする自分からすれば、実に羨ましい。
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安易な納得や熱狂、誤魔化し、ありきたりな共感に抗う、折坂悠太の言葉のあり方
歌詞集のタイトル案が出るまでに本や本屋についてのこの話を折坂さんにしたかどうか覚えていない。本を読むことは対話をすることと書いたが、『あなたは私と話した事があるだろうか』というタイトルは折坂さんが考えたものだ。「あなたは私と話した事があるだろうか」と冒頭に書かれたエッセイ「雑草と花」から取られている。
そもそもこのエッセイも本の最初に掲載するものとして書かれたわけではない。「私の話はぼんやりとしていて、わかりにくいだろう。でも、いつもそちらを向いている」と書かれた締めの言葉が、この本全体を貫く折坂さんの態度表明として冒頭に据えるべきだと考えた。
折坂さんは自分をぼんやりとしてわかりにくいというが、そうだろうか。たしかにライブのMCは、わかりやすい近況報告やアジテーションではなく、ライブのMCとしては珍しいやさしく散文的なものであることが多い(『フジロック』では叫んでましたね)。
折坂さんの言葉や詞はわかりにくいのではなく、都合のいい言葉で私たちを安易な納得や熱狂へと誘ったり、誤魔化したりせず、ありきたりな共感で終えることもしない。熱狂に巻き込まれることなく傍観するのでもなく、淡々と熱く、ためらいながら、抗いながら、目をそらさず、真摯に「いつもそちら(私たちの方)を向いている」。