フォーラム『アニメーション・ドキュメンタリーの可能性』が、3月17日(日)に新潟・万代の日報ホールで開催された。
3月15日(金)から開催されている『第2回新潟国際アニメーション映画祭』のイベントとして行われた同講演には、ディレクター / 映画評論家のクリストフ・テルヘヒテが登壇。世界で一番古く、唯一アニメーションを取り扱うドキュメンタリー映画祭『ライプツィヒ・ドキュメンタリー映画祭』でディレクターを務めるテルヘヒテは、1960年代アニメーションが教育やプロパガンダに有効な手段であることを自覚した上で、アニメーションとドキュメンタリーが互いに何を与えられるのかをずっと問い続けてきた。
「アニメの比喩表現は人間の心理、夢、幻覚や無意識を自然に描くことができる。ドキュメンタリーが外界の真実を描くものであるのに対し、アニメーションは内なるものを描く、それが融合して完全な表現に近づいていく=ハイブリッド・アニメーション」という定義のもと、元々ドキュメンタリー作家でありながらアニメーションの世界へ入ったアリ・フォルマン監督『戦場でワルツを』、ミシェル・ゴンドリー監督が言語学者ノーム・チョムスキーの理論を映像化した『背の高い男は幸せ?』、ラトビアのシグネ・バウマネ監督『ロックス・イン・マイ・ポケッツ』を例に出しながら講演を行った。
また、「アニメーション」の元になったラテン語の「アニマ」(anima)には生命、魂といった意味があるとし、「映画もアニメも『動き』。魂へ導くアートです」と見解を述べたテルヘヒテ。アニメーションとドキュメンタリーの特徴を踏まえた鋭い視点の持論は観客に多くの気付きを与え、「ドキュメンタリーにおいてたとえばひどい暴力、モラルに大変反しているもの、タブーに触れるもの……このような実写を使えないときアニメを活用できる。表現のポテンシャルが広がるということです。また、象徴的なもの、イメージやメタファー、そういったものをアニメを使うことでより表現できる。今やフィクション、ドキュメンタリー、そしてアニメの境界線はない。それぞれが一部分を成していて、ハイブリッドで融合していくことで完全体に近づいていくのです」などと語った。
講演後半には観客とのQ&Aも実施。アニメーションドキュメンタリーと教育の関係性や、AIが登場した現在、ディープフェイクについてどう考えるかなどの質問に答えた。
会場からの「アニメーションは特に子どもにはメジャーで有効な手法。ドキュメンタリーにおいてはアニメーションであることで非常にクリティカル(批判的)な視点を持つことを要求します。子どもやティーンネイジャーの場合、その『クリティカルな視点』がまだ未発達だと思う。しかし今後アニメーションを使ったドキュメンタリーは教育の用途で増えるような気がするけれども、どういうところに注意すべきか?」という質問に対して、テルヘヒテは「まず子どもの能力を見損なってはいけないということです」と回答。
映画祭ディレクターの仕事に長年関わってきた経験を踏まえ、「子ども達の能力というのはとても素晴らしくて彼らの理解力というのは大変高いということにいつも驚かされてきました。クリティカルシンキング(批判的思考)をどのように育てていくか。これは早期に教育を始めてもいいことだと思います。そうした考えを子ども時代からできるようになることで、子ども自身の見方が変わってきます。アニメだけでなく一般メディアにおいても分析力が加わっていく。今の大人達が見過ごしてしまうものを小さい頃から教育を受けた子ども達が見つけ、考えることができるようになる。フェイクビデオが溢れ、正しいものを見極めていかなくてはいけない時代に、批判的な思考能力を身につけるというのは本当に重要な時代だからです」と続けた。
また、AI時代に氾濫するディープフェイクについて「ディープフェイク映像が大変多い中、気づかないで見てしまうということに慣れすぎていないか、懸念しています。人間の脳みそは本当に動画に騙されやすいようにできている。私たちは常に気をつけていかなければならないと考えています」と警鐘を鳴らした。
『第2回新潟国際アニメーション映画祭』は、3月20日(水・祝)まで新潟市内中心部の8箇所を主な会場として開催中。