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範宙遊泳・山本卓卓×曽我部恵一対談 いつか終わる表現活動への向き合い方

2024.7.8

範宙遊泳『心の声など聞こえるか』

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『バナナの花は食べられる』(2021年初演)で、演劇界の『芥川賞』にあたる『岸田國士戯曲賞』を受賞した劇作家の山本卓卓は、現代演劇シーンを背負って立つ紛うかたなき俊英だ。彼が主宰する範宙遊泳は、炎上、メディアリンチ、ジェンダー格差といったアクチュアルなテーマを繊細な手つきで扱ってきた劇団。そんな範宙遊泳の最新公演が、2021年に初演が行われた『心の声など聞こえるか』の再演である。今作の目玉のひとつはなんといっても、曽我部恵一が音楽を手掛けていることだろう。

曽我部が2018年に配信とLPでリリースしたアルバム『There is no place like Tokyo today!』の曲が幾つか使われる他、今作のために書き下ろした“ステキな夜”も流れる。同曲は、曽我部が戯曲と稽古を見て、作品全体への応答として作曲したという。隣人とのトラブルや夫婦間のささいな諍いを描いた今作を端緒に、山本、曽我部、両氏の創作に関わるスタンスをたっぷり語ってもらった。かくして、二人の現在地はもちろん、アーティストとしての行く末や末期までをも見据えた、射程の長い対話が為されることとなった。

東京を語っているようで別の世界を描く、という共通点

―(山本)卓卓さんは曽我部さんの音楽をいつ頃から聴かれていましたか?

山本:(劇団の)ロロの公演でサニーデイ・サービスの曲が使われていて、それがきっかけでよく聴くようになりました。そうしたら、曽我部さんが『バナナの花は食べられる』を普通にチケットを買って観にきてくださったそうで。

曽我部:演劇をしょっちゅう観に行くわけでもない自分が、これは観ておかないといけないんじゃないかって思ったんです。映画でも音楽でも、たまにそういう勘が働くことがあって。それで実際に観たら、衝撃的なほど面白かった。一回じゃ足りないというか、機会があればもう一度か二度見てみたいほど。

山本:ありがとうございます。そういうご縁もあって、更に曽我部さんの曲を聴き込んでいったら、めちゃくちゃ多作だということに気付いて。「このエネルギーは一体どこから来るんだろう?」と興味が湧いたんです。そんな時に、たまたま曽我部さんの『いい匂いのする方へ』というエッセイを、ご本人の声で朗読されたAudibleで聴いて。「あ、この人には絶対に会いたい」という気持ちになり、『心の声など聞こえるか』再演にあたって曽我部さんの曲を使わせてもらうオファーをしました。

山本卓卓(やまもと すぐる)
作家・演出家・俳優。範宙遊泳代表。山梨県生まれ。幼少期から吸収した映画 / 文学 / 音楽 / 美術などを芸術的素養に、加速度的に倫理観が変貌する現代情報社会をビビッドに反映した劇世界を構築する。オンラインをも創作の場とする「むこう側の演劇」や、子どもと一緒に楽しめる「シリーズ おとなもこどもも」、青少年や福祉施設に向けたワークショップ事業など、幅広いレパートリーを持つ。アジア諸国や北米で公演や国際共同制作、戯曲提供なども行い、活動の場を海外にも広げている。『ACC2018』グランティアーティストとして、2019年9月〜2020年2月にニューヨーク留学。『幼女X』で『Bangkok Theatre Festival 2014』最優秀脚本賞と最優秀作品賞を受賞。『バナナの花は食べられる』で第66回『岸田國士戯曲賞』を受賞。公益財団法人セゾン文化財団セゾン・フェロー。

―それに加えて、卓卓さんは曽我部さんが配信とLPでリリースしたアルバム『There is no place like Tokyo today!』の曲が今作の世界観と親和性が高いと思われたそうですね。具体的にはどの辺が?

山本:『心の声など聞こえるか』って、東京を語っているように思えるんだけれど、僕の中でお芝居の舞台は架空の郊外なんです。で、『There is~』も、東京のことを語っているようで、世界とか宇宙レベルのスケールのことを語っている印象を受けたんですね。そこが共通点だから、マッチするんじゃないかって思って。

過去の作品を再現する覚悟と恥ずかしさ

―初演が2021年なので3年経っていますけれど、今は、SNSの普及もあって加速度的に倫理観が変貌する社会だと思います。卓卓さんは脚本を書き換えることはしていないでしょうか?

山本:ほとんど書き換えていないですね。倫理観の移り変わりは、本当に激しくて、濁流に流されるみたいだと思います。でも、たとえば、Twitterっていう言葉はXに直さずあえてそのままにしている。3年前の自分と今の自分は別人だから、3年前の自分にリスペクトを持たないといけないと思って。2021年の自分が見ていた景色とか心情は尊重して、今の自分の解釈を乗せようとしました。あと、2021年の感覚を今の倫理観で裁くのには抵抗があります。現在は過去を裁くものでもないし、未来の足を引っ張るためにあるのでもないって。

曽我部:再演する時ってどういう気持ちなんですか? 音楽は30年前に作った曲をライブで急にやったりするから「ああ、そういえばこれ、子供が産まれた時に作ったなあ」って思い出しながら歌ったりするんですけれど、それが普通っていうことですよね。

曽我部 恵一(そかべ けいいち)
1971年8月26日生まれ。乙女座、AB型。香川県出身。’90年代初頭よりサニーデイ・サービスのヴォーカリスト/ギタリストとして活動を始める。1995年に1stアルバム『若者たち』を発表。’70年代の日本のフォーク/ロックを’90年代のスタイルで解釈・再構築したまったく新しいサウンドは、聴く者に強烈な印象をあたえた。2001年のクリスマス、NY同時多発テロに触発され制作されたシングル「ギター」でソロデビュー。2004年、自主レーベルROSE RECORDSを設立し、インディペンデント/DIYを基軸とした活動を開始する。以後、サニーデイ・サービス/ソロと並行し、プロデュース・楽曲提供・映画音楽・CM音楽・執筆・俳優など、形態にとらわれない表現を続ける

山本:そうですね。特に、演劇の場合は座組みがセットになってくるので。大所帯になればなるほど、一人ひとりが過去の想い出を背負っていて、皆の想いがよりたくさん乗って重くなる。それをもう一度、別の俳優さんたちとも軽やかにやりたいんですよね。そして、それには覚悟がいると思います。

曽我部:なるほどね、すごく勉強になるなあ。毎日バンドの練習をしているんですけど、30年前の曲をやろうかってなると、ちょっと面倒くさいなあっていう気持ちがあったりして。でもトライするうちに、「あの時作ったのはこういう意味だったのかなあ」とか、「まだ若かったなあ」とか、色々思うんです。あと、ちょっとヘビーだなあっていう心境にもなるんですよね。30年前から今までの歳月の間の自分の成長や傷、喜びや後悔が堆積しているから。でも軽やかにやりたいとはいつも思っています。

山本:そうなんですよね。

―今のお話ともちょっとかぶるんですけれど、例えばサニーデイ・サービスが『東京』(1996年)の再現ライブを2016年にやられたじゃないですか。ミュージシャンって当然、20年前、30年前の曲をライブでやったりするわけですよね。そういう時に恥ずかしくなったりしませんか? 歌詞やアレンジを変える人もいますよね。

曽我部:うん、その恥ずかしくなるっていうのが今言ったヘビーさですよ。「これ本当にいいのかな?」とか、「若いなあ、まだ分かっていないなあ」とか思ったりする恥ずかしさを超えていくと、そこにぽつんと、年月とかとは関係ない自分がいて、それに出逢いに行く。

コラボレーションが豊かさを生む

―今回を最後に、卓卓さんが範宙遊泳では、演出を他の方に委ねるということですね。どういう理由からなんでしょうか?

山本:僕は自分のことを作家でありアーティストだと思っているんです。でも、その立場だと演出はどうしてもやりづらい部分が実はあって。演出は人間を扱うので、人間のコミュニケーションをいかに見るに値するものにしていくか、という技術を持たないといけない。けれど、人間に対しての自分のエネルギーを使っていると、書けなくなってしまうんですよね。書きたい衝動は常にあって、書いていると安心するのに、物理的に戯曲を書く時間がない。それが、今の自分にはストレスになるんです。それがまず一つめの理由ですね。

山本:もう一つは、演劇界が作家と演出家のコラボレーションをもっとしていくべきだと思うんです。作 / 演出を兼任する人がとても多くて、確かにそれだとその人の名前をプレゼンテーションできるとは思うんですけど、長い目で見た時に自分の言葉を色々な人が色々な演出をしてくれる方がいいと思うんですよ。今回曽我部さんと僕が組むってなるとちょっとざわっとするじゃないですか? 同じように、多分僕が別の演出家と組んだ時にもざわっとするし、曽我部さんがまた別の演劇のチームと組んでもざわっとする。それはすごくいいことだなあと僕は思っていて。そういったコラボレーションがカジュアルにされていけば、もっとお互いの仕事に誇りを持っていけるんじゃないかなって思います。

―この話って多分曽我部さんは色々思うことがあると思うんですね。で、僕、ちょっと口を挟みますと、これって音楽で言うと分業制の話じゃないですか。

曽我部:まあ、ほとんどそうですね。

―ねえ。で、バンドって着想から完パケまで全部自分たちでやるっていう呪縛みたいなものがある訳ですけれど、歌謡曲全盛の筒美京平とか松本隆さんが活躍されていた頃は、分業制が十全に機能していた。そして、最近のアイドルソングなんかもそういうところがあると思うんですよ。だから、ご自分に引きつけられて今の話を切実に思われたところもあるんじゃないんでしょうか?

曽我部:そうですね。The Beatles以降、ほとんどのバンドが自分たちの楽曲を自分たちで演奏していて、さらにパンク以降はマネジメントとかレーベル運営も含めてDIYにもなる。僕に関して言うと、それの超ど真ん中。マネジメントも経理も、会社のことも全部自分でやるし、曲も自分で書いて歌う。でも、その総合体が自分なのか? って問われるとそうでもないんですよね。

昨日もあるアイドルの人に頼まれて曲を提出したんですけれど、それはテンポとかアレンジとかを含めて、渡した先の人が遊んでくれたらいいなっていう気持ちを込めて、全然丁寧じゃないデモを作った。自分で着地点まで細かく設計していって、「ああ、できたね」っていうものよりも、「え、こんな風にしちゃったの!?」みたいなことを楽しみたいと今は思っていて。

曽我部:でもね、若い頃は全然違ったんですよ。たとえば、僕らが音楽を作る時ってどうしても技術職の人たちが間に関わってくるわけです。エンジニアさんに頼んで、音を調整してもらう。それが自分の頭の中で鳴っているものそのままじゃないと許せなかった。でも50歳すぎてから、「え、そんな風にしちゃったの!? 最高!」みたいに、思えるようになってきた、やっと(笑)。だから卓卓さんは心の余裕があってすごく羨ましいし、素晴らしいと思いました。

ベートーヴェンに共感する、ひたすら作る楽しさ

―音楽ってギター1本でパッと弾いて歌ってパッと録ってどんどん配信していけるけれど、演劇って数年先まで予定が決まっていたりするし、舞台って消え物じゃないですか。映像に残っても全く違うものになってしまう。そういう歯痒さってないんですか? って今日卓卓さんに伺おうと思っていたんですけれど……。でも戯曲は残るんですよね。当たり前のことですけれど、今気づきました。

山本:まさに僕もそこに気づいたんですよね。戯曲は残るし、AIが進化して、翻訳の精度が高まってきているから場所も制限もなく超えられる可能性がさらに増している。たとえばタイ語で書かれている戯曲が日本で普通に上演される未来が、近いうちに来るんじゃないかなって思います。それなら今は作家に力を入れたいとすごく思う、というのもありますね。

曽我部:なるほど。卓卓さん、それは本数を書きたいというようなことでもありますか?

山本:本数を書きたい、はい、そうですね。

曽我部:やっぱり数って大事ですよね。

山本:大事ですね。

曽我部:僕は人から笑われるぐらい曲をたくさん出しちゃう方で、「また出したの!?」って皆言うんですよ。そういう時は「すみません」ってちょっと照れ笑いするんですけれど。でも、数をやっていくうちに学ぶことや、できるようになることが実際あって。恥ずかしいので、あまり人には言わないようにしているんですけれど。

山本:めちゃめちゃ伝わっていると思いますよ、言わなくても(笑)。

―卓卓さんも量産するのは苦ではないタイプですか?

山本:ちょっと話が逸れちゃうんですけど、僕、ベートーヴェンがすごく好きで。彼が必死に曲を書いていた感じに、すごく助けられるんですよね。彼は作曲だけれど、苦悩を経て歓喜へ至るっていう彼の大きなテーマは、未来の人へのメッセージでもあるような気がするんです。歓喜に至るまでの困難なプロセスに立ち向かうことが、大きなものを与えてくれる。彼の場合はそれを重く超えていくけど、僕は軽やかに乗り越えたい。でも、彼のように重いのもいいなって思う。

曽我部:ベートーヴェンは、作る時の苦しみはあったんですかね。産みの苦しみというか。

山本:うーん……。苦しかったけど、めちゃくちゃ楽しかったとも思うんですよね。

曽我部:なるほど。

山本:毎日作りたい感じですもん、あの人。

曽我部:卓卓さんもそういうところあります?

山本:ちょっとあります。ずっと書いていたい気持ちはありますね。

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