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コロナ禍が開け、再び人間関係の煩わしさの中へ
新型コロナウイルスの扱いが5類感染症となってから、1年以上が過ぎた。過度の感染症対策が必要なくなり、かつてのような普通の生活に戻ってきている。その感を強く抱かせられるのは、人と人が距離を縮め、密接に交流することの復活であろう。街はインバウンド客を中心に人で溢れている。会社はリモートワークを減らして、再び社員を出社させている。それに伴い朝夕は満員電車となり、飲み会が復活した企業もあるだろう。非接触生活からの解放は、人を孤独から救う。だがそれは裏を返せば、再び複雑な人間関係の中で生きねばならないということでもある。人が寄り集まってできる家庭、会社、社会には、集団を円滑に運営するためにルールが設けられる。そこには、何のためにあるのか分からないが、いつの間にかそうなっている規則や習慣も含まれる。人間は属する集団の数だけ煩わしいルールに拘束され、そこから大小様々なストレスを日々受けて生きている。
そのことはつまり、規則や習慣を背景にして自身へと介入してくる他者への不満に帰着する。ルールを作るのが人間である以上、時に解決し難い困難な問題は、人間関係がもたらすと言っても良い。コロナ禍が明けたことで、改めてそのことを痛感した人も多いのではないだろうか。2024年に10周年を迎えたウンゲツィーファの新作『8hのメビウス』は、メビウスの輪のように出口がなく、ウロボロスの輪のように自分の尾っぽを噛むような日常生活での困難さを、ヒリつく痛みと笑いの両面で描く作品だった。

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ゆるやかにつながり、同じ社会で生きている登場人物
合同会社メビウスで働くコミネ(黒澤多生)と、アルバイトながらスタートアップの頃から働く古株のシバタ(近藤強)は、ちょっとしたことがきっかけで関係が悪化。コミネとシバタから愚痴を聞く管理職のサカヅキ(藤家矢麻刀)は、双方の肩を適当に持ってその場をやり過ごす。ある日、コミネとシバタは正面からぶつかり、コミネは会社を辞める。そのことを家族に黙ったまま副業のUber Eatsの配達中、橋から飛び降りようとする。その時、彼は世直し系Youtuberワロボロスとして活動するノヅマ(高澤聡美)に掴まり、彼女のチャンネルに出演することになる。アルバイトとしてノヅマが会社に潜入し、コミネの胸倉を掴んだシバタの監視カメラの映像を盗撮。それをシバタにつきつけ、コミネに土下座をさせるという内容である。

しかしコミネは、妻のサチ(豊島晴香)に相談なくYouTubeへの出演を決めていた。そのために彼はノヅマと街中でYouTubeの撮影中、サチとばったりと出くわしてしまう。これにより、コミネが仕事を辞めたことも含めて妻に知られるところとなる。このように登場人物たちはゆるやかにつながり、社会空間を共有している。舞台上では、ソファーとテーブルが乗ったキャスター付きの大きな平台が、コミネやシバタ家のリビングルームとなる。この舞台美術が象徴するように、映像が投影されるホワイトボードや冷蔵庫、2台の長机を使い、ファミレス、コンビニなどの場面が流れるように展開する。そのことで、彼らの世界がシームレスにつながっていることを上手く描いていた。
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それぞれの人間関係の悩み
そんな劇空間で彼らは皆、会社や家族の人間関係に悩みを持っている。
サチはバンドマンだったコミネと行きずりで付き合い、妊娠したために結婚した。コミネへの不満をこぼす母(山田薫)に不満を持つものの、金銭援助を受けている手前、反発しきれない。コミネから性生活を要求されるものの、その言葉を気持ち悪いと思ってしまうほどには愛情が冷めてしまってもいる。

シバタは社長の古くからの知り合いという理由からメビウスでアルバイトをしているが、それとは別に自分の会社を経営している。多額の借金を返すべく必死に働いてきたが、金銭感覚の違いで妻と離婚。別居する大学生の娘・アスナ(百瀬葉)とは折り合いが悪くなっている。世直し系YouTuberのノヅマはセクハラ被害に遭い、女優の道を諦めた。
この劇は全編を通して、現在に起こる出来事がトリガーとなって、各人が過去を回想して自身の来歴を語る劇構造となっている。それによって人物が丁寧に描かれ、それぞれが抱える問題と生き難さに共感できるように仕向けられている。


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切実な人間関係の辛さを、滑稽に表現
人間関係のしがらみによって各人の切実な悩みが浮かび上がるのだが、それは時に痛みを通り越した滑稽さをも生み出す。
そのことを示すのが、アスナの恋人はサカヅキであると発覚するシーンだ。親子関係を修復すべく、シバタは連日、娘を待ち伏せして接触を試みる。半ばストーカーのような行動の末に、彼はアスナとようやく話ができるまでになる。そんな折にシバタは、アスナが歳の離れた恋人と同棲を考えているが、母親から反対されていることを聞かされる。アスナのために母親を説得することを約束するシバタは、その前に彼氏に会うことを希望する。だが当日、アスナと待つファミレスにやってきたのは、会社の管理職、サカヅキであった。
サカヅキは以前、シバタにこのように話していた。今付き合っているメンヘラの彼女と別れたい。でも、盛り上がるためにシバタから教えてもらった箱根のホテルでのセックスは、超エロかったといった事を。そんな会話をしていただけに、2人の間には相当に気まずい空気が流れる。だから当然、シバタは「こいつだけはやめろ」とアスナに言い、彼女の怒りを買ってしまう。事情を知っている者と知らない者とのズレが生み出す人間関係のこじれが、シバタとサカヅキが鉢合わせた時の顔の表情や身振りによって身体で表現される。このシーンでの3人の演技に代表されるように、俳優たちは細かな演技を大事にして、人間関係で精神的に削られる人間の辛さを、可笑しみを生むまでに表現した。

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緑のナイロン紐で、社会制度や人間関係の煩わしさを視覚化
本作で注目すべきなのは、これまで記した人間関係の絡まりを、ナイロン紐がうまく象徴している点だ。このナイロン紐は、複数のダンボール箱を重ねて固定化する際などに使われる、平たいタイプのもの。緑色のナイロン紐が舞台を埋め尽くすように大量に使われる。

そもそもコミネたちが働く合同会社メビウスとは、「都市型安全器具」と称されたこのナイロン紐を貸し出す会社のようだ。彼らは袋に詰まった数メートルのナイロン紐を取り出し、伸ばした時にヨレたり曲がらないように、8の字に巻いて束にする。束になったナイロン紐は、カート棚に収納される。そしてカート棚を移動させてナイロン紐の貸し出しに出かけては、そこに使用済みのものを回収。そして再び巻いては、束を作ってまた貸し出しに出かける。時に、社長から急なナイロン紐の追加の連絡が入る。天井の蓋を開けると、そこからもドサッと大量のナイロン紐が垂れ下がってくる。サカヅキはやる気なさそうに仕事をこなし、シバタは会社と仕事内容への嫌悪感をコミネに吐く。

確かに彼らが従事する労働は、本当に社会の役に立っているのか分からず、機械にもできそうなものに思える。それでも生きるために、彼らはこの単純作業を1日8時間、ひたすら繰り返す。作品タイトル『8hのメビウス』は、エンドレスに続くこの労働時間のことだ。それだけでなく、人間を奴隷のように従事させて拘束する単純労働と労働時間に、ルールや規律をもたらす人間関係のしがらみが仮託されている。舞台空間の壁と天井、床にもナイロン紐がうねうねと走っており、壁に貼り付けられた社内の書類も緑のペーパーだったり、緑のラインが引かれている。社会制度や人間関係の煩わしさという見えない拘束具が、ナイロン紐として視覚化されているのだ。我々はこのナイロン紐の森に取り囲まれて生活しているということ。端的にそのことを表現する舞台空間は、インスタレーションとしてもそれだけで訴えかける力を有していた。
コミネはそんなナイロン紐を顔にグルグル巻きにして、ドラゴンのような仮面を被ったノヅマに倣ってYouTuberとなる。またオーバードーズを繰り返すアスナは、サカヅキのアドバイス通り、手首にナイロン紐を巻くことで安心を取り戻す。コミネは顔を火傷し包帯を巻いた患者、アスナは自傷行為後の処置をした姿にも見える。

煩わしさや拘束を象徴するナイロン紐を身体にまとうことで、それがいかに役に立つかというよりも、傷つき苦しみを抱く人間そのものを体現しているように感じられる。そんな欠損を抱えた彼らの苦境は、何も解決されることはない。アルバイトを辞め、キャンピングカーで全国を回る余生を過ごそうとしていたシバタの運転で、サカヅキとアスナは移動する。ホワイトボードに高速道路を走る映像が投影される中、サカヅキとアスナが寄り添って眠るシーンで舞台は終わる。彼らは自分たちがどこへ向かっているのか、そしてどこへ行けば良いか分からないに違いない。人はどこへ行こうともナイロン紐の束縛から逃れることができず、ウロボロスの輪のように自身を傷つけながら、メビウスの輪のようにエンドレスに走らされるのだから。そんな酷薄な現実を、静かに突きつける幕切れであった。
ウンゲツィーファ

劇作家「本橋龍」を中心とした人間関係からなる実体のない集まり。創作の特徴はリアリティのある日常描写と意識下にある幻象を、演劇であることを俯瞰した表現でシームレスに行き来することで独自の生々しさと煌めきを孕んだ「青年(ヤング)童話」として仕立てること。上演作品『動く物』が『平成29年度北海道戯曲賞』にて大賞を受賞。以降、上演作品『転職生』、『さなぎ』が2年連続で優秀賞を受賞。『北海道戯曲賞』3年連続の入賞を果たす。
公式サイト:https://ungeziefer.site/
X:https://x.com/kuritoz
YouTube:https://www.youtube.com/channel/UCBK-DtNG9nGIxmXVwA5-Uww
ウンゲツィーファ10周年記念演劇公演『8hのメビウス』

公演日:2024年10月18日(金)〜27日(日)
会場:スタジオ空洞(池袋)
公式サイト:https://ungeziefer.site/kouenzyoho/
※映像配信を12月中旬ごろから行う予定