先鋭的な音楽性と筋の通った活動内容で、国内外のクラブ / ライブハウスを狂乱に巻き込み続けている札幌出身のオルタナティブダンスバンド、the hatchが地元にて主催するパーティー『THE JUSTICE』に行ってきた。ちなみにこのパーティーが開催されるのは今回で4度目となる。
会場は札幌の中心区をやや外れたところにある——そして驚くべきことに道路を挟んで真向かいに警察署がある——西沢水産ビルと、隣接するスタジオMIXの2部屋で、全8ステージ、バンド / DJ含めて総勢63組が出演するという、かなり大規模なサーキットイベントだ。
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そこかしこで発せられる、「自覚的であれ、当事者であれ」というメッセージ
僕は第1回をヒップホップクルー・中華一番として、第2回をR&Bバンド・ヤングラヴとして、そして今回は紙芝居ユニット・ペガサス団として出演したので、このイベントに関しては楽屋裏をふくめて多少は知っているつもりだが、今回はいろんな意味で「史上最高」であった。収容人数からフロアの湿気に至るまであらゆる数値が極限値を突破しており、それゆえものすごく充実していたし、ものすごくハードでもあった。
正直に言えば、キャパシティとイベントスケールが均衡ぎりぎりといった感じで、あらゆる意味で「無理」が生じているのを感じた。だが、それを補って余りある純度の高さがあった。これほど音楽を第一に、人間の尊厳を第一に考えたピュアな時空間は滅多にあるものではない。理念にそむかず、大企業や代理店を挟むことなく、確固たるリスペクトをもってこれほど大規模なイベントを作りあげたことに畏敬の念すら感じる。関係者各位が力を尽くし、というかハッキリと無理をして、愛と気合いと根性で結実させた代物だと思う。




んで、いきなし結論から入るけども、『THE JUSTICE』はとてもアナーキーなパーティーだった。アナーキーっつってもモヒカン刈の人がたくさんいたとか、至るところで国旗が引き裂かれていたとか、そういうことじゃない。アナーキーというのは「支配するもののない」というラテン語が由来だ。アクトは言うに及ばず、趣向を凝らしたマーチやパンフレット、情熱にみちた絵や写真の展示、クレージーな舞台美術などなど、『THE JUSTICE』を構成する全要素が「自覚的であれ、当事者であれ」ってメッセージをビンビンに発しまくっていたのだ。ただたんに「楽しかったね。面白かったね」だけでは終わらない、「かましていこうやMIND」を啓発するようなパーティーだった。
1976年6月4日、Sex Pistolsの初ライブを観た42人の観客は、そのあと全員が何か新しいことを始めたという。『THE JUSTICE』にはそんなような、心の奥のスイッチを起動し、ハートを燃やすようなサムシングに溢れ返っていたのだ。
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貪欲で執拗で純粋な、ギラギラな野心が繰り広げるバトル
出演者はゴアトランスからギター弾き語りまで実に多種多様であったが、ひとつだけ共通点をあげるならば、みんな尖っていたし激しかった。尖ってて激しいっていうと、すげーラウドなハードコアパンクとかロッテルダムテクノみたいなのを想像するかもしんないけど、音楽における尖りとか激しさって、BPMとかデシベル数とか歌詞内の放送禁止用語の数とか、そういうのとは全然関係ない。それは靴のサイズみたいなものだ。デカいから偉いとかそういうことではないのだ。

尖ってるってつまり、クリシェや自己模倣に陥らず常にオノレを更新せんとする野心があるっちゅーことだし、激しさとはその人の心のありようのことを指す。常にフレッシュでいること。ミキサーのツマミを操作してるときや、ギターを鳴らす瞬間に、そいつの心が爆発しているかどーかが問題なのだ。
いちリスナーとして目も耳も肥えてるthe hatchが選び抜いたアクトは、どいつもこいつも尖ってたし激しかった。そんなやつらを観に来る観客も、みんなギラギラしてた。キラキラなんてもんじゃない、ギラギラ。血走ってて脂ぎってて、貪欲で執拗で純粋で、底抜けに素直だった。アソビで遊んでなかった。全員死ぬ気で遊んでた。




そういう濃厚で高密度なパーティーは、あっという間に終わってしまう。12時半から23時近くまで、『ロード・オブ・ザ・リング』3部作が余裕で観きれてしまうほどの長丁場だったハズなんだけど、体感にして3~4時間ぐらいしかなかった。床がびっしゃびしゃになった無人のフロアを見てはじめて「あれ? 終わった?」と思った程だ。秒単位で面白いことが起き続けていたから、目まぐるしくて忙しくて、終わりを意識するヒマさえなかったのだ。
なんせラインナップがあまりに魅力的すぎた。この日、「観たいアクトはすべて十分に観きれた」と言えるヤツは一体何人いるだろう? 少なくとも僕は、全く同じメンツでもう2回『THE JUSTICE』が行われたとしても、到底そんなことを言える気がしない。あの日、多くの人びとがそうであったように、僕はタイムスケジュールとニラメッコしながらあっちへこっちへと走り回り、それでも時には泣く泣くライブの途中で会場を後にするようなありさまで、「面白すぎるんですけど!」と苦情を申し立てたくなる程だった。「オマエの店が美味すぎるから太った」と言ってハンバーガー屋を訴訟するアメリカ人のように。