10月から放送しているテレビドラマ『宙わたる教室』(NHK総合)が最終話を迎える。
回を重ねるごとに、定時制高校の教師・藤竹叶(窪田正孝)や生徒・柳田岳人(小林虎之介)を中心とした登場人物に愛着を抱かせていき、演じる俳優たちの評価も上げ続けてきた本作。
原作は、実話に着想を得て描かれた同名小説だが、ドラマ版ではオリジナルのストーリーも描かれ、最終話に向けて、その物語に厚みを増してきた。
そんな本作について、第5話までを振り返った記事に続いて、ドラマ・映画とジャンルを横断して執筆するライター・藤原奈緒がレビューする。
※本記事にはドラマの内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。
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生徒たちを導いてきた藤竹が生徒たちに導かれる第9話

「ここは諦めたものを取り戻す場所なんじゃねえのかよ」
ドラマ『宙わたる教室』第9話において、柳田岳人(小林虎之介)は言った。第1話で藤竹叶(窪田正孝)が彼に言った「ここは諦めたものを取り戻す場所ですよ」という言葉を、今度は岳人が投げかける。それは藤竹の恩師・伊之瀬(長谷川初範)が言うところの「孫や子どもたちを見ていると、世界はいまだに驚きと発見に満ちているということを教えられる」という言葉に通じる言葉だろう。
第9話は、これまで教師として生徒たちを導いてきた藤竹が、逆に彼ら彼女らに導かれる姿を描いた回だった。そしてそれは、『宙わたる教室』が描き続けてきた「いざ実験や研究となると目をキラキラさせて、科学への情熱を見せる少年のような」藤竹と岳人が発する、真っ直ぐで美しい光の軌跡のようなものが、重なり合う瞬間だった。
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第1部と第2部をつなぐドラマオリジナルの第5話の意義

本作は、伊与原新による、実話に着想を得た傑作青春科学小説『宙わたる教室』(文藝春秋)が原作であり、映画『アンダーカレント』、ドラマ『むこう岸』(NHK総合)などの澤井香織が脚本を手掛けた。先の記事でも書いた通り、原作の良さはそのままに、とはいえドラマにしかない個性をしっかりと打ち出した本作は、全話通して秀逸だった。
全10話である本作は、大きく2部に分けられる。まず、第1話から第4話において、東京・新宿にある定時制高校に発足した科学部の部員となる岳人(小林虎之介)、アンジェラ(ガウ)、佳純(伊東蒼)、長嶺(イッセー尾形)それぞれの人生にまつわる物語が描かれ、彼ら彼女らが衝突や葛藤の末、科学部に加わり、唯一無二の仲間になっていく姿を描いた第1部。これは原作における第四章までの展開と、副題を含め大筋は変わらない。

だが、ドラマには、原作で言うところの第四章「金の卵の衝突実験」と第五章「コンピュータ室の火星」の間に、第5話である「真夏の夜のアストロノミー」が存在している。いわば、この回はドラマ版で描きたいことが凝縮された回であると言える。科学部が正式に発足し、メンバーたちが改めて揃った第5話。全員で、この先の目標となる「学会発表」に向かっていこうとする中、挑む目標の高さと、定時制高校に通う彼ら彼女らに向けられる理不尽な差別や偏見の存在を思い知らされることに。弱気になる仲間たちに発破をかけたのは、科学部ではない麻衣(紺野彩夏)だったのも面白い。原作では、終盤に、差し入れを持ってきて去っていく姿が「極めて個人的なはずの『その気になる』という現象は何らかの機序でまわりに伝播するのかもしれない」一例として書かれた麻衣。ドラマ版ではそんな彼女の背景までしっかりと描くことで、科学部の外側にいる麻衣の人生にも光をあてる。

同様に第9話において、岳人が過去に決着をつけるためにした、岳人に執着する元不良仲間・孔太(仲野温)との対峙を通して、孔太自身の内面と思いの変化が描かれたこともドラマならではだ。第6話以降の第2部では、原作の第五章以降「コンピュータ室の火星」「恐竜少年の仮説」の展開に、教師・藤竹自身の物語を描くために必要な、同期の相澤(中村蒼)、恩師の伊之瀬(長谷川初範)、元上司の石神(高島礼子)ら研究者たちとのエピソードが加えられた。
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映像表現であるドラマ版ならではの「種明かし」

何よりドラマ版と原作の違いが顕著になるのは原作の第六章と同一の副題であるドラマ版第9話「恐竜少年の仮説」である。原作の第六章は、ミステリー小説で言うところの種明かしの章だ。それまで生徒たちの人生の物語を引き立てるための黒子として存在していた教師・藤竹の視点から、彼自身の思いと過去、「定時制高校に科学部を作る」という彼自身の壮大な「実験」の全貌が明かされる。同時に、なぜ彼ら彼女らを集めたのか、その理由であるところの、彼が見抜いた一人ひとりの資質、能力が発揮された結果、科学部という最高のチームができあがったのだということが明らかになる。
では、それを映像として表現しなければならないドラマ版はどうしたかと言うと、それぞれの資質を藤竹自身が言及するのではなく、科学部の仲間たちそれぞれの気づきとして描かれていたのが興味深かった。例えば、佳純の「科学部活動ノート」が長嶺に読み返されることで、「あとで振り返った時、このノートが科学部の轍」にちゃんとなっていることが証明される。さらにアンジェラが科学部の面々にとって「いるだけで安心」感を与える「いてくれないと困る」存在であることが、長嶺と佳純によって強調される。つまり、ドラマ版は、彼ら彼女らがその時点ではまだ知らない藤竹の実験の真意を、自分たちで発見していくのである。
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一人の人間である藤竹の「諦めたものを取り戻す場所」

ドラマは藤竹の弱さを描いた。弱さを通して、教師であり研究者である前に、一人の人間であることを示した。時に「定時制」であるというだけで「前例がない」と発表の機会を奪われる科学部の状況に憤り、声を荒げ、時に同僚である木内(田中哲司)や佐久間(木村文乃)から特定の生徒に肩入れし過ぎるという「新人教師にありがちな失敗」を懸念されもする。
それが後に「柳田くんを傷つけて、結果的に科学部も壊れ」たという彼にとっての「実験の失敗」として現れ、落ち込んだ末に彼は有給休暇を取って恩師・伊之瀬に会いにいく。そして科学部のメンバーに涙ながらに思いを吐露した結果、本稿の冒頭の通り、岳人に詰め寄られる。その果てに科学部の面々が藤竹を鼓舞し、「ここ(=学校)」は、自分たち生徒だけでなく、教師である「あんた(藤竹)」にとっても「諦めたものを取り戻す場所」ではないかと岳人が投げかけるのである。
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ドラマ『宙わたる教室』が一貫して伝えようとしていること

例えば「ここ」を「学校」でなく「ドラマ『宙わたる教室』自体」に置き換えてみてはどうだろう。本作は、誰をも受け入れる。教師や科学部の生徒だけでなく、科学部ではない生徒も、岳人が前に進もうとすることを全力で阻もうとする「過去」であるところの、元不良仲間の孔太と朴(阿佐辰美)の思いも寂しさも、すべて同列に描く。諦めずに前に進みたいと願う人たちの前に、常に道は開ける。第5話で麻衣が言ったように「大事なのは、自分たちが何をしたいか」だ。それがドラマ『宙わたる教室』が一貫して伝えようとしていることではないだろうか。 最終話である第10話の副題は「消えない星」。彼らの最大の目標である学会発表を経て、藤竹と科学部のメンバーの人生はどう動いていくのか。「身の丈」なんて気にする必要はどこにもない。藤竹に「その気にさせられた」彼ら彼女らがどこまでも高い宙へ、飛んでいく姿を見てみたい。
ドラマ10 『宙わたる教室』

最終話 12月10日(火)NHK総合 夜10:30~※通常より30分繰り下げて放送
公式サイト: https://www.nhk.jp/p/ts/11GMGMRG5V/