異なる撮影のされ方、異なる編集のされ方だが、何度も同じ場面が演じ直される。そんなリハーサルの様子が中心となった映画が『王国(あるいはその家について)』だ。普段、私たちが鑑賞している一般的な「劇映画」とあまりに異なる構造に、あっと驚かされることだろう。そんな本作は『ロッテルダム国際映画祭2019 Bright Future 部⾨』や『⼭形国際ドキュメンタリー 映画祭 2019』正式出品されたほか、『英ガーディアン紙・英国映画協会〈BFI〉』による年間ベスト作品にも選出されている。
しかし本作が突きつけてくるのは、そうした構造の珍しさだけではない。子育てを行う1組の夫婦と、1人の女性との関係性に漂う不穏な空気。「家庭と個人」「長い時間をかけて育まれる関係性」といった問題に対する視線が、俳優たちの演技から立ち上がってくる。
今回、本作を監督した草野なつか監督にインタビューを実施。この風変わりな作品の企画の立ち上げから、「家庭と個人」の問題までを語ってもらった。
※本記事には映画本編の内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。
INDEX
企画段階から、純然たるフィクション映画を作ろうとしていませんでした。
―企画の成り立ちはどのようなものだったのでしょう?
草野:前作の『螺旋銀河』(2014)という長編作品を2015年に名古屋シネマテークで公開したときに、当時の支配人だった平野勇治さんと、好きな映画や自分の制作の方向性など、いろいろなお話をしていたんですね。そうしたら、「この助成金が向いてるんじゃない? もしよければ出してみない?」ということで、紹介してくださったのが、愛知芸術文化センター・愛知県美術館の助成だったんです。それで、実際に企画を出したところ助成に無事通って、作品を撮れることになりました。
―『王国』は一般的な劇映画と違って、「ホン読み」と呼ばれる、俳優が脚本を読んでいくリハーサルの様子を描いた形式を取っていますが、企画の段階ではこの脚本で劇映画を撮る想定だったのですか?
草野:そういうわけではないんです。企画のスタートの段階から、純然たるフィクション映画を作ろうとしていたわけではありませんでした。でも、脚本はあくまでフィクション映画のかたちで作るということを決めていたんです。ですから、この脚本をもとに、劇映画を撮ることは全く考えてなかったですし、今も考えてないです。
―企画の段階からこうした形式の映画だったんですね。
草野:ほとんどそうなんですが、企画書を出した時点では、役者の身体の変化を見せたいということで、一番最初にリハーサルをせずにフィクションのシーンを撮り、それから数日間リハーサルを重ねて、最終日にまたフィクションのシーンを撮るつもりでした。ただ、この真ん中のリハーサルのシーンは、まるっと本編に入れない予定だったんですね。なので、フィクションのパートが2つある短編映画になる予定だったんですが、紆余曲折あり、最終的にはリハーサルの様子を映したシーンが中心の作品になりました。
―本作では同じシーンを何度も繰り返しホン読みする様子が映し出されます。何回、同じリハーサルのシーンが繰り返されるかなどの詳細は脚本自体には書いていなかったということでしょうか?
草野:全く書いてないです。脚本自体は、本当にフィクション映画のシナリオみたいなかたちだったんです。
―では、フィクション映画のシナリオを、撮影の段階で解体していくという企画だったんですね。
草野:そうですね。最初は、全シーンのリハーサルをする予定だったんですけど、いくつかの理由から、それは不可能であるということに気づきました。それで、シナリオの中から、いくつかのシーンをピックアップしていったのですが、それでもちゃんと話がわかるということに気づいて、脚本の高橋知由くんの構成のすごさを感じた瞬間でしたね。
―高橋さんから初稿が初めて届いたときは、どのように感じられましたか?
草野:カッチリ(笑)。
―カッチリしているな、と。
草野:はい、カッチリしているなって思って。やっぱり彼は構造の人、構成の人なので、これだけの構成のものを仕上げてくれて、本当にありがたいなっていう気持ちが大きかったのを覚えています。一方で、セリフを書くということに関しては、私の方が得意だったので、一緒に直したいなって思ったのは覚えています。でもやっぱり構成力がすごかった。
高橋くんとは『螺旋銀河』のときも一緒にやっていて、そのときはかなり一緒に脚本を直したんです。でも私が他のことで慌ただしくなっていたということもあり、今回は「企画書はこれなので、あとはもう自由に書いていいです」みたいにオファーだけ投げて、やり取りはほぼなかったんです。でもそんな中で、これだけのカッチリしたシナリオをあげてくださったので本当に感謝しかないし、高橋くんはそれぐらいやってくれるっていうのが信頼関係としてありました。