SuchmosのYONCEこと河西“YONCE”洋介が旧友の仲間と始動させたバンド、Hedigan’s。結成の経緯はインタビュー前編で伝えた通り。後編では、1st EP『2000JPY』の制作背景から、彼らの「音楽」や「バンド」に対する考えと、楽曲に表れている人生観についてさらに深く聞かせてもらった。
前編で、大内岳(Dr)が自らを「音楽従事者」と呼んでいたが、身を捧げるようにして鳴らすHedigan’sの楽曲では、音楽に導かれるようにして出てきた音と言葉が続く。だからこそ、その音には作り手の心の奥にあるルーツミュージックへの愛とカウンター精神が表出し、書き手であるYONCEの人生観や社会への眼差しが飾り気のないまま言葉になっている。作為的に音楽を作ることから距離を取っているHedigan’sはたいそうなことを成し遂げようとしているバンドではないとも言うが、YONCEが最後に残した「音楽がもっとちゃんと素敵なものだというふうにはなってほしいかな」という言葉は非常に重要なものであるように思った。前編に書いた言葉をもう一度ここに記す。「音楽」や「バンド」の根本的な魅力を突きつけてくれるのが、Hedigan’sだ。
INDEX
俺は自分の体からこの言葉が出てきた時点で満足してるから、それを取り立てて届かせてやろうみたいな気持ちはまったくなくて。(YONCE)
―Hedigan’sを始めて1曲目にできた曲はどれですか?
大内:The Street Slidersのレコーディング中に「もしみんなの気分が乗ってきたら、自分らの曲をちょっとアレンジでもしてみる?」というノリで、“説教くさいおっさんのルンバ”の弾き語りをもらった気がする。
YONCE:ボイスメモをシェアして聴いてもらいましたね。“説教くさいおっさんのルンバ”、“サルスベリ”、“LOVE(XL)”は、コロナ初年度か2年目くらい、家に引きこもっていた時期にずっと歌詞を書いていて、その中で気に入ったものにコードと歌をつけてみようという感じで弾き語りのボイスメモを録り溜めたもので。
―Hedigan’sをやる前から歌を書き溜めてはいたんですね。
YONCE:自分が歌を考えるやり方は変わらなくて。「世の中暗いな、なんでだろう」から始まって、それに何か具体的なものをまとわせてみる、みたいなことをずっとやっていただけで。これを発表するというモチベーションではまったくなく、自分の気持ちの整理じゃないですけど、排泄に近い形でとりあえず録っておいていたっていう。このメンツでやるってなったときに、この辺をタッチしたら面白いかもなという感じでみんなに聴いてもらって。
大内:ちょうどThe Street Slidersのレコーディングが終わって、デモを作って遊んでいたときに、僕の誕生日企画(2023年7月10日開催、大内が所属する8つのバンドが集結したライブ)に半ば無茶振りで「ここで1本ライブをやって考えない?」みたいなノリで誘って、そこに向けてライブ1本分のアレンジをやろうってなって。
YONCE:そうだよね。だから当時は、音源としてのパッケージを目指していたというよりは、まずライブでイージーに楽しくやれるものを目指してやってみようかっていう感じで曲を作ってました。
―レコーディングでいうと、栗田兄弟のスタジオ「STUDIO DIG.」とエンジニアであるテリーさんの存在がやっぱり大きいですか? ツアーのライブでもテリー(伊藤広起)さんのことを「6人目のメンバー」とおっしゃってましたよね。
YONCE:Hedigan’sとはテリーのことかもね、ってくらいですね。音像の部分はすべて請け負ってくれているので。
大内:俺らは素材かもしれない(笑)。
YONCE:そうそう。俺らはテリーの料理のための具材でしかないという気もするくらい、テリーの手腕によるものが大きいですね。最初に下北のスタジオに入ったんだよね。あのときのことが俺は記憶に深くて。予約した時間に合わせて、時計を見ながら「この曲はこれくらいで目処をつけて、次の曲はこれくらいの時間を使って」みたいな作り方は向いてないんだなって思わされた。その反面、STUDIO DIG.にいるときは、楽器を触ってる時間が長いとか、ずっとみんなでアイデア出しているとかじゃなく、茶飲み話してるときにふっとアイデアが出て「ちょっとやってくるわ」って誰かがブースに入ったりして、そういうやり方がすごくいい。風通しもいいし、開かれた感じの作り方なんじゃないかなと思う。そこに即反応してくれるテリーがいて。かなり稀有な環境で音楽をやれてるなと思います。
―そこから生まれている空気感と、音と、歌ってる内容や姿勢と、全部一致してますよね。あえて言葉にするなら、資本主義や効率性などに対するカウンター、というか。
YONCE:やり方が体現しているところが大きいのかもしれないですね。要は、ぶち上げたことを「本当」にするために努力するというよりは、現状をありのままやってるだけというか。やっぱり、人ひとりがコントロールできることってあまりないんだなと思います。
大内:ここ数年くらい、どれくらい歌詞に対して演奏するかがわからなくなってきているというか。歌詞ってみんな魂削って書いてるもので、ドラマーは歌詞に気を配って演奏すべきなんだけど、最近はあまり気にせずプレーする方が好きだったりして。「この言葉を言ってるからこういう世界観作ろう」という感じでもない。それよりは音のところまで溶かし込んじゃうというか。
YONCE:それは完全にそうだね。俺は自分の体からこの言葉が出てきた時点で満足してるから、それを取り立てて届かせてやろうみたいな気持ちはまったくなくて。音楽を聴いて詞に対して色々と思うことは俺もあるんだけど、自分が出力するときに、齟齬なく伝わるように頑張ろうとか、誤解されたくない、というふうに思うのは実はちゃんちゃらおかしくて。だって無理だから。相手の物差しで測ってもらうしかない。歌詞のための音楽じゃないんですよね、音楽のための音楽。
大内:正しく伝えたいなら直接言った方がいい(笑)。バンドを使う必要はない。だから大いに誤解させていくっていう。
YONCE:しいていうなら、“敗北の作法”とかに関してはもう「面白」ですよね。これを笑えるか笑えないか、っていう笑いがある。ただ、それも別にどっちでもいいんですよ。