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容易に理解できない映画のおもしろさを体現した『落下の解剖学』『悪は存在しない』
―『落下の解剖学』(ジュスティーヌ・トリエ監督)もお二方が挙げています。
長内:この作品は素晴らしいと思うと同時に、ソーシャルメディアや批評での取り上げられ方に対して思うところがありました。この映画は、観た人それぞれで色々な観方ができる作品だと思うんですが、ジェンダーの視点でしか語っていない感想が多かった。もちろん、その視点でも語れる作品ではありますが、その視点「だけ」で、1本の映画について語った気になってしまう風潮がしんどいなと。それだけでは、「映画を観たい」と感じてもらえないこともあると思うんです。
木津:それはソーシャルメディア時代特有の動きだなと思います。ただ『落下の解剖学』という作品自体は、僕もジェンダー、セクシュアリティーの視点がかなり入っていると感じました。「男性側のやっていることがひどい」みたいな一面的なものではなく、女性のほうが稼いでいて、夫が家事と育児をしている世間的に見れば「先進的な夫婦」が、家の外側に出たときに別の問題を生んでしまうという脚本ですよね。
最近、フランス映画がおもしろいと思っていて、本作もその1つだと思います。『燃ゆる女の肖像』(2020年)のセリーヌ・シアマや、『TITANE チタン』(2021年)のジュリア・デュクルノー、『サントメール ある被告』(2022年)のアリス・ディオップ、『Rodeo ロデオ』(2022年)ローラ・キヴォロンなど。そうした新世代の女性やクィアの監督が登場し、ジェンダーの複雑な問題が映画の作劇にどんどん入ってきています。そうした作劇の複雑さは、長内さんが今おっしゃったSNSの「一面的なものの見方」とあまりマッチしないんですよね。だから映画のほうが、ソーシャルメディアの言説よりも先に行っていて、より複雑でより豊かだと感じます。
長内:僕が『落下の解剖学』を創作・ものを作ることに関する映画だと受け取ったのも、世間の評価に違和感を抱いた要因だと思います。夫婦がどちらも作家だけど、夫が妻に作品の完遂力で負けている。いろいろな解釈ができると思うんだけど、息子は母親の証言によってストーリーを作り上げ、父親は自殺だったんだと思い込む。「創作というものがいかに人に影響を及ぼしてしまうか」という話として受け取りました。
本当に複雑で、容易に共感できない作品でしたが、そこがすごかったです。さきほどの『オッペンハイマー』もそうですが、映画って安易に共感できないものだし、よくわからないもの、観たときにショックを受けるようなものこそ印象に残るんです。

「映画『落下の解剖学』を解説。社会的な地位のある女性が直面する不公正をどう描いたか」(NiEW)を読む
―長内さんは自ら劇作家・演出家もされているので、「創作」という観点から観られるのも納得です。そうした「よくわからない」「観たときのショック」のようなものを受け取る映画として、『悪は存在しない』(濱口竜介監督)もありました。
長内:終わった瞬間の映画館の空気が最高でした。「え、今のは?」というギョッとした驚きを共有していて。そのモヤモヤとした思いをきっと家に帰るまで抱えて、みんな「なんだったんだろう」と考えてしまうんだろうなと。
濱口映画における人物たちの特殊な存在感はやはり台詞回しのメソッドによるものだと改めて感じました。村の人たちは「棒読み」と言われてしまうようなしゃべり方をする。演劇では「素読み」という手法で、棒読みとは違うんです。テキストに書かれたこと、テキストの本質をそのまま生かすために、演技的な虚飾を付けずニュートラルな状態で読む。その結果、集会のシーンでは、人々の感情がフラットに出てくるけど、それが押し付けがましい主張もなく、観客の耳にダイレクトに入ってくる。普段、映画をあまり多く見ていない観客は特にギョッとするでしょうね。

石橋英子が濱口竜介監督との共作を語る。『悪は存在しない』『GIFT』が生まれた奇跡」(NiEW)を読む
―濱口監督の台本を読むメソッドはジャン・ルノワール(フランスの映画監督)の影響もあるそうですね。
木津:僕は空間が変わっていくところがすごくおもしろかったです。自然豊かな場所からはじまるんですけど、途中で芸能事務所の社内シーンになると一気に濱口作品っぽくなる。
車内の会話のおもしろさと、同時に「どこで、いつ、何が起きるかわからない」という不穏さがずっと続いていますよね。『偶然と想像』(濱口竜介監督 / 2021年)などでエリック・ロメールと比べられたりしましたが、じつはかなり違いますよね。会話がいつ不穏なものに転ぶかわからない、スリリングさという濱口さんの味がガツンと真ん中に入っていて、かつ最後はこれまでになかったような自由なところにまで映画が行ってしまう。濱口映画の集大成のような部分と、新しい部分が見られるという点でおもしろかったです。