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「ベルリン・テクノ」がユネスコ無形文化遺産になった理由を、現地からレポート

2024.8.22

#MUSIC

今年3月、ユネスコによりベルリン・テクノがドイツの無形文化遺産に正式登録された。

「テクノという単なる音楽ジャンルに限らず、クラシックなどの伝統的な音楽鑑賞の対極にある生きた文化である」(ユネスコ・オフィシャルサイト)

「1980年代後半のベルリンではまだニッチだったテクノは、壁の崩壊とともに東へ移ったクラブシーンの中心となった。デトロイト発祥のテクノとベルリン独自の電子音楽の伝統を融合させたのがベルリンのテクノであり、人々の想像力をかき立て、音楽、芸術、ファッションの創造性を刺激するものとなった」(マーク・リーダー)

2016年には、世界最高峰と呼び名の高いクラブ「ベルグハイン(Berghain)」が、ドイツ政府から重要文化財として認められているが、ベルリンのテクノカルチャーが今日にように世界中のクラブシーンに影響を与え、法律のもと永久的に保護されるまでになった経緯はなんだったのだろうか?

ベルリン・テクノ黎明期からシーンに深く関わり続けている重要人物で音楽プロデューサーのマーク・リーダーに当時の様子から現在のシーンに至るまで話を聞かせてもらった。また、昨年9月にオープンしたばかりの話題のオープンエアクラブ「タービュランス」にスポットを当て、最新のベルリンのクラブシーンについて語ってもらった。

ベルリンのクラブカルチャーの歴史に立ち会い続けてきた音楽プロデューサー、マーク・リーダー

マーク・リーダーは、1978年から西ベルリンに住み、ミュージシャンとして活動する傍ら、自身のレーベルMFSから、ポール・ヴァン・ダイク、マイク・ヴァン・ダイク、石野卓球の音源をリリースし、Depeche ModeやNew Orderのリミックスを手掛けてきた。2015年には、彼の半生を描いたドキュメンタリー映画『B-Movie: Lust & Sound in West Berlin』が公開され、ベルリンのSputnik Kinoでは現在も上映されている。日本では昨年DOMMUNEにて上映イベントが開催された。そんなマークが45年以上にわたり、目にしてきたベルリンのクラブカルチャーとは?

マーク・リーダー(Mark Reeder) (Photo : Robert Rieger@LOLA)

ーあなたはベルリン・テクノの黎明期に深く関わってきた重要人物の1人ですが、当時のベルリンの様子を教えて下さい。

マーク:1970年代のベルリンはクラウトロックの時代で、クラウス・シュルツェ、タンジェリン・ドリーム、マヌエル・ゲッチングといった電子音楽の先駆者たちが活動していましたが、その当時はまだ音楽シティーとして知られていませんでした。1989年11月のベルリンの壁崩壊が、この街の音楽シーンを大きく変えた最も重要な政治的出来事であることは間違いありません。クラブシーンの中心が東へと移り、テクノが確立され、自由を求めていた人々の想像力を掻き立て、音楽、アート、ファッションにおけるクリエイティビティーを刺激したのです。

特に、壁の崩壊と同年にスタートしたテクノレイヴ『Love Parade』は現在のベルリンのクラブシーンにも非常に大きな影響を与えています。私は初回から参加し、復活した『Love Parade』は、プラカードやフラッグを掲げ、政治的なスピーチを行うデモンストレーションの代わりに、テクノやハウスを流し、愛と平和を願うメッセージを伝えるポジティブなアクションを実現させたのです。みんなが将来にポジティブな展望を抱くことができ、ようやく冷戦の抑圧的な枷から解放された瞬間でした。私は『Love Parade』はベルリンだけでなく、世界中にポジティブなメッセージを送ったと考えています。多くの人々が楽しみ、ストリートで踊り、すべて無料で行われるといった前代未聞のイベントは大きなインパクトを与えたからです。

ーあなた自身はどのようにクラブシーンと関わり、キャリアを築いていったのでしょうか?

マーク:私の45年以上という長いキャリアの中で、転機となった最も重要な出来事はおそらく1981年6月17日に「SO36」で開催された『Konzert zur Einheit der Nation』でしょう。当時私たちのバンド名はなかったのですが、のちにローカル誌のライブレビューで「2人の無名のイギリス人」と書かれたことをきっかけに、ニューウェーヴ・アヴァンギャルドシーンで「Die Unbekannten」(無名の者たち)として知られるようになりました。このコンサートがきっかけで、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンなどがリリースしている「Monogam Records」から初のヴァイナルをリリースすることになったんです。

1989年の『Love Parade』の初回はもちろんですが、1981年に開催された伝説のフェスティバル『Geniale Dilettanten』や1982年に誕生した実験音楽の祭典『Berlin Atonal』の初回にも出演しました。これらの経験も私の音楽キャリアにおいてとても重要です。

同時に私はMalaria!やDie Toten Hosenのサウンドエンジニアでもあったので、この仕事の繋がりで1989年当時の東ベルリンでアルバムをプロデュースして欲しいとオファーを受けました。その後、ベルリンの壁崩壊後の1990年に、エレクトロニックミュージックに特化したレコードレーベルMFSを設立しました。

マーク・リーダーの半生とともに西ベルリンのクラブシーンを描いたドキュメンタリー映画『B-Movie : Lust & Sound in West-Berlin 1979–1989』

ー1980年代の西ベルリンの音楽シーンは東ベルリンとは大きく違い、かなり前衛的だったんですね。現在のベルリンのクラブシーンに影響を与えてきた重鎮たちと交流が深いですが、残念ながら5月に亡くなった「The LOFT」の創設者モニカ・デーリングもその1人ではないでしょうか?

マーク:私は長年にわたり、「The LOFT」のバウンサー、サウンドテクニシャン、時に通訳として働いていましたが、モニカは、ベルリンの音楽シーンにとって母のような存在でした。彼女は常に私たちを気にかけて世話をしてくれ、音楽に対しても常にオープンマインドで前衛的なものを受け入れていました。ローカルバンドにチャンスを与えようと「The LOFT」を立ち上げたのです。1980年代の音楽だけでなく、テクノや前衛的な実験音楽も取り入れていた「The LOFT」は、800人キャパに良質なサウンドシステムを備え、1980年代におけるヨーロッパ最大のゲイクラブとして西ベルリンで不動の地位を築いていました。

若き日のマーク(左)とモニカ(左から2番目) / Photo : Elinor Richter

ーベルリンのテクノカルチャーがユネスコの無形文化遺産に登録されましたが、それについてどう思いますか? また、そこまで認められるまでになった理由はなんだと思いますか?

マーク:非常に重要なことだと思っています。ユネスコに登録されたという重要性を支持する論文を執筆した一人でもあります。このテーマは私にとってとても大切であり、ベルリンの電子音楽文化の発展に不可欠だと感じています。テクノがデトロイトで発祥したことを否定する人はいないでしょう。しかし、真のシーンが誕生したのはベルリンです。したがって、ベルリン・テクノの認識はベルリンだけでなく、デトロイトと共有されるべきだと思います。

しかし、ベルリンの壁崩壊と『Love Parade』がなければ、今日のような世界的現象にはならなかったでしょう。テクノは1980年代後半にはニッチな存在で、デトロイトの少数のアーティストが作ったわずかなレコードだけしかありませんでした。彼らはドイツの電子音楽に影響を受けていて、そこにダンスグルーヴを加えたいと望んでいたのです。その感覚は私がトランスに対して考えた時も同様で、Tangerine Dreamやクラウス・シュルツェの催眠的なトランス誘導シーケンサーに、ワーグナーやマーラーのような感情的なメロディをミックスし、そこにテクノのグルーヴを加えたいと考えました。

2023年の『Love Parade』(現『Rave The Planet』)のステージにて / Photo : Crystal Reeder
現在は『Rave The Planet』と名称が変わった『Love Parade』のオフィシャルサイトでは、トップアーティストたちがベルリン・テクノに関して語っている映像が公開されている。『Rave The Planet』は今年も8月17日に開催され、30万人が参加した。

ー時代とともに変化し続けているベルリンのクラブシーンについてどう思いますか?

マーク:ベルリンには、Grossstadtkind、Linus Frisch、Berlin Banterなど、才能ある若手アーティストが活躍しており、この街の活気ある音楽シーンに貢献しています。彼らはベルリンのエレクトロニックミュージックの創造性と革新の遺産を引き継ぎ、未来に向けて新たな音楽の道を切り拓いています。

空港跡地に誕生したオープンエアクラブが提唱する多様性

空港の敷地内に入るとまず見えてくるオレンジのレトロな建物

ベルリンではここ数年、街の中心部から郊外へとカルチャー発信地が移行し、要塞跡地や工場跡地に新しいクラブやイベントスペースが次々と誕生している。2020年11月に閉鎖したテーゲル空港跡地に昨年9月にオープンしたばかりのオープンエアクラブ「タービュランス(Turbulence)」もそのひとつだ。

「タービュランス」ができたのは、多くのファンに惜しまれながら72年という長い歴史に幕を閉じたテーゲル空港の社員用食堂の跡地。その跡地の一部を利用し、昨年9月に誕生した。様々なカルチャーに精通したコレクティブが運営に携わっており、スタッフのDIYによる内装やPanorama Bar(パノラマバー)と同様のサウンドシステムStudt Akustikを不要となったクラブから譲り受け、改修して使用するなどサステナブルな取り組みも行っている。オープンからわずか1年で注目を集めている同クラブについて、PR担当のアレックスに尋ねた。

ーテーゲル空港跡地にオープンエアクラブ「タービュランス」をオープンさせるに至った経緯を教えて下さい。

アレックス:去年の夏の初め頃に、ベルリン市がテーゲル空港の跡地を利用してクラブカルチャーを確立し、運営するコレクティブを探していると知りました。コロナ禍の影響がまだ残っていましたが、私たちが長年夢見ていた機会がついにやってきた瞬間でもありました。オープンまで時間がかなり限られていたので、自分たちのネットワークを駆使し、すぐに新しいコレクティブを結成して、コンセプトと申請書をまとめました。コレクティブのメンバーは、ベルリンのアート、パフォーマンス、クラブなど、様々な分野で活躍している知人たちです。25組以上の応募の中から選ばれ、現在に至ります。

チルスペースとして開放しているエントランス付近

ー野外フェスのような雰囲気とオリジナリティー溢れるステージデザインが素晴らしいと思いましたが、特にこだわった点はどこですか?

アレックス:ステージのデザイン、デコレーション、鉄や木を使用したフロア、バックステージなど、すべてのプロセスを通じて、誰もが自分の強みや興味を活かし、自分の可能性を実現できる場所が「タービュランス」です。ある日突然、古いラーダ車がデコレーションとして現れたり、美しい座席エリアを作り上げたり、トラックで巨大な木を運び込んだり、みんなで協力し合い、自分たちの手で作り上げました。これらの作業は、誰もが自分らしくあり、誰でも参加できるインクルーシブな空間を作ることと密接に関連しています。私たちは、アクセシビリティ、反差別、意識向上、地域社会との連携、多様性を最も重要視しています。このように、明確な価値観と差別行動に対するゼロトレランスポリシーを持つことによって、2024年におけるクラブカルチャーが機能するものだと思っています。

空港の看板の下にDIYで作られた無数のスポットライトがステージを覆う

ー女性アーティストやクイアアーティストのラインナップが豊富ですが、出演アーティストはどのように決めているのですか?

アレックス:コレクティブで具体的なアイデアやコンセプトについて決定し、出演アーティストを決めています。決して妥協せず、親切で思いやりのある人々と協力することに重きを置いています。なぜなら、単発のイベントやそこに出演するアーティストとは非常に短い期間のコラボレーションとなりますが、このイニシアティブこそがコレクティブの一部になり、イメージに繋がります。コンセプトと合い、人間レベルが高く、特定の雰囲気を持つアーティストや個人的にブッキングしてみたいアーティストをミックスして選んでいます。

パーティーや出演アーティストによってライティングも変わる

ーベルリンのテクノカルチャーがユネスコの無形文化遺産に登録されたことについてどう思いますか?

アレックス:世界中がベルリンのクラブカルチャーに注目している中で、ベルリンの評価が確固たるものであると証明したことになります(テクノはベルリンが発祥の地ではないですが)。クラブカルチャーが社会生活の一部として認知され、商業的な目的を超えた空間やプロジェクトとして創造していくことの重要性を強調していると言えます。私たち「タービュランス」はその代表例であり、ベルリン州文化局、ベルリン都市実践プロジェクト基金事務局、文化教育・文化相談基金、Clubcommission e.V.、Kulturraum Berlin GmbHによる資金援助と私たちをホストとして選んでくれたことに非常に感謝しています。

―今後の予定しているプロジェクトや目標を教えて下さい。

アレックス:今年は、Aurora Kollektiv、Dry、Femme Bass Mafia、Hyper Real、RAIDERSなどのコレクティブと協力し、月に2、3本のパーティーやコンサートを予定しています。また、展示会やパフォーマンス、演劇などの音楽以外のイベントも企画しています。ベルリンだけにとどまらず、ドイツ国内やヨーロッパ各地のフェスティバルでショーケースを開催する予定もあります。日本での開催にもとても興味があります。もし、私たちとコラボレーションしてくれる日本のプロモーターがいたら、是非一緒にやりましょう!

1970年代を代表するブルータリズム建築として、小さいながら世界中にファンを持つテーゲル空港

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