誰かの力になりたいと思いながらも、どんな言葉をかければいいのかわからない――そんなもどかしい思いを抱えたことはないだろうか。相手を傷つけてしまうのではないか、かえって負担になるのではないか。そんな迷いから一歩を踏み出せず、後悔した経験のある人もいるだろう。
俳優のサヘル・ローズは幾度も傷つきながら、それでも生きることを諦めなかった。イラン・イラク戦争のさなかに孤児となり、幼少期を孤児院で過ごした。生みの親の顔も、本当の名前も知らないまま、7歳のときに母となる女性と出会い、日本へ渡った。しかし、待ち受けていたのは貧困や虐待、そして「イラン人」という出自を理由としたいじめだった。
現在、サヘルは俳優として活動する傍ら、難民キャンプや孤児院などを訪れ、子どもたちへの支援を続けている。書き下ろしエッセイ『生きることから、すべては始まる~希望の地図を探す旅人~』を出版した背景には、自身が苦しんでいたとき、本の中の偉人たちの言葉に救われた経験があったからだという。
幾多の痛みを経験し、生きることの意味を探し続けてきたサヘル。その言葉は、大切な人の力になりたいと願いながらも、どうすればいいのかわからずにとまどっている私たちにとって、一つの手がかりとなるかもしれない。
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逆境の中で頑張る『おしん』に励まされた孤児院の日々
―イラン・イラク戦争の中で孤児となったサヘルさん。まずはご自身の最初の記憶となると、いつの頃になりますか?
サヘル:私は3歳だったのか、4歳だったのか……。最初の記憶はその孤児院です。自分がいつどこの町で生まれたのか、生みの親は誰で私に本当はどんな名前をつけたのか、これはいまだにわからないんです。孤児院に入る際、背丈や話せる言葉の数などから、「きっとこのくらいの年齢だろう」と判断されました。そして、孤児院の職員さんがナルゲスという名前をつけてくれました。

1985年生まれ、イラン出身の俳優。イラン・イラク戦争のさなかに家族を失い、幼少期を孤児院で過ごす。7歳のときに養母と出会い、1993年に来日。映像・舞台作品に出演する一方、世界各地の難民キャンプや孤児院を訪ね、子どもたちの支援活動を続けている。著書に『言葉の花束 困難を乗り切るための“自分育て”』(2022年 / 講談社)、『これから大人になるアナタに伝えたい10のこと』(2024年 / 童心社)、『生きることから、すべては始まる~希望の地図を探す旅人~』(2026年 / 大空出版)。
サヘル:孤児院では私は青組のお部屋にいました。その部屋にはベッドがずらっと並んでいて、そのベッドの中だけが自分のスペースでした。それ以外では、常に誰かに見られているような生活。子ども同士でも気をつかうんですよ。戦争で両親を目の前で亡くした子の前では、「お父さん」「お母さん」という言葉を使わないように気を付けていたようです。さまざまな記憶からフラッシュバックを起こしてしまうから。また鏡を見るのを嫌がる子どももいました。なぜかというと、自分の顔が親に似ているから。それを見ることで両親を思い出してしまうんです。
そんな生活でも、やっぱり子どもだから本当は職員さんに甘えたい。でも、短い周期で職員さんは変わってしまう。ボランティアで来てくださる方も、1回か2回で疎遠になってしまう。懐いても、目を覚ましたらもういなくなっている。それがとても悲しくて、だんだん大人のことを信じられなくなっていきます。これでは心が枯れてしまいますよね。心が枯れてしまっては生きるのが辛い。子どもって、ご飯を与えていれば生きていけるわけではないんです。これはイランの孤児院だけではなく、現在の日本でも同じだと思います。
―例えば、日本の多くの子どもたちは、親に絵本を読んでもらうことが、最初に文化的なものに触れる機会だと思います。孤児院ではどうだったのでしょうか?
サヘル:読んでもらった記憶は一切ないです。ただ、孤児院の中で私たちがいたエリアには1つだけテレビがあって、見ることはできました。そこで見たのは、日本のNHKの連続テレビ小説『おしん』だったんです。逆境の中で頑張る主人公おしんは憧れだったんですよ。おしんの姿を見て、「私たちも生きなきゃ」って思うことができました。他にも『水戸黄門』や『一休さん』も見ていました。そしてテレビから少しずつ学んでいったんです。どうやら普通に生きていくためには、「お父さん」と「お母さん」という存在が必要なんだと。
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麻酔なしの手術を受けて養子縁組。「砂浜に咲く薔薇」という名前をくれた母
―孤児院から出るきっかけは?
サヘル:孤児院の子どもたちは7歳まで、養子縁組の機会をもらえることになっています。ただ、養子縁組をする上で人気があるのは乳児なんです。4歳を超えると人気がない。ペットショップの子猫や子犬と同じ感じでとても寂しいことですが、これが現実です。そんな中で、私は7歳のときに今の母と出会うことになります。とても不思議ですが、第一印象で私は「この人はお母さんっぽい!」と思いました。それで「マダル!」って言ったんです。

サヘル:母はその言葉を真摯に受け止めてくれて、その後も頻繁に通ってくれました。でも、来たら必ず帰ってしまいます。それに、他の子どもたちも「ママ」と呼ぶようになってしまって。それがすごく私はイヤでした。誰かに取られてしまうのではないかって。それで私は勇気を出して「本当にあなたの子どもにして」とお願いをしました。ただ、そのとき母ははっきりとは答えませんでした。その後しばらく、母は孤児院に来なくなりますが、やがて正式に私を養子にする手続きをしてくれました。
母がなぜ、しばらく孤児院に来なかったのか。これには理由があります。イランでは、当時の法律では、子どもを産める女性は養子をとる権利がありません。それで母は私を引き取るために、婦人科の医者にお金を払って避妊手術を受けたんです。法律上、この手術は認められていません。麻酔も使わなかったそうで気絶するような痛みのある手術だったそうです。今でもお腹には傷が残っています。
―お母さんは大きな覚悟ですね。
サヘル:母はそれだけの覚悟を持って、私を養子にしてくれたのです。そんな彼女がつけてくれた名前が「サヘル・ローズ」。これは「砂浜に咲く薔薇」という意味です。そして、養子になった日を私の誕生日にしました。私は母の瞳に映った自分の姿を見て、初めて「生きている」という感覚を持つことができました。
ただ、この一件で、母は母の家族との関係が悪くなってしまいます。今は関係が改善しているのですが、当時は家族を頼れなかった。そこで、母は日本にいた母の夫を頼り、私と日本へ行くことにします。
