10月6日公開の今泉力哉監督による最新作『アンダーカレント』。2005年に刊行された豊田徹也の同名マンガを実写映画化したもので、主演に真木よう子、共演は井浦新、永山瑛太、リリー・フランキーなど名優が名を連ねる。
「アンダーカレント(undercurrent)」とは、「心の底流」の意味。夫の悟が失踪し、1人で銭湯を切り盛りしていたかなえのもとに謎の男・堀がやってくる。登場人物それぞれが心の内をひた隠し、不穏な空気が流れるなか彼女たちが選択するラスト。これまでにない今泉監督作品の製作における葛藤を紐解く。
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「真木よう子さんと僕による、糸の引っ張り合いみたいなものが『アンダーカレント』のムードを生んだのかもしれません」
─原作の豊田徹也さんとは、どのようなやり取りから、本作の製作がスタートしたのでしょうか?
今泉:豊田さんに初めてお会いするとき、お手紙のようなものを書きました。自分の作品で『退屈な日々にさようならを』(2017年)という映画があるのですが、『アンダーカレント』の堀と同じように、近くにいた人を喪失して、彼の地元を訪れるという物語なんです。
─今泉監督の長編7作目。震災から5年後、東京と監督の故郷・福島を舞台に、映画づくりや死生観にまつわるさまざまを描いた群像劇です。
今泉:僕自身はっきりと理由を言語化できるわけじゃないけれど「大切な人が生きていたときを知っている人と会いたい」という気持ちはわかる。その辺りについて考えたことを手紙に書いて渡しました。
─これまでも今泉監督は「すれ違い」がモチーフに含まれた作品を手がけられてきました。そこにある「滑稽さ」が監督作の特徴の1つだと思いますが、今作は観客を安心させないヒリヒリ感があったように思います。それは、意識されていたのでしょうか?
今泉:意識的ではなかったです。いつもよりも笑いのウェイトが低かったことはたしかですが、それは俳優部の演技によるものが大きかったと思います。深刻なトラウマを抱えている人たちの物語なので、俳優部もセンシティブに演じてくれました。
─過去のトラウマを抱えているという意味で、前作『ちひろさん』(2023年)とつながるテーマを抱えている作品でしたよね。
今泉:創作過程を話すと、実は『アンダーカレント』と『ちひろさん』は同時期につくっていたんです。なので、互いに影響を受けている部分は大いにあると思います。
─トラウマを抱えた「過去」というモチーフについては、どのように捉えて演出をされましたか?
今泉:その温度感はものすごく難しかったです。真木さんともたくさん話したんですが、かなえ(真木よう子)は絶対に忘れられない過去を忘れてしまっているほどショックを受けた状態。僕は日常生活をする上では「完全に忘れている」彼女をイメージしていましたが、真木さんもニュアンスは似ているけれど、「それでも忘れられるわけがない」という感覚があった上で演じてくれました。
─微妙なニュアンスの違いで、演技も変わってくるものなんですね。
今泉:そうですね。真木さんは過去のトラウマに対する緊張が、ピンと張った状態で演じてくれていました。一方で僕はいつもの作品のように無意識に緩めようとしていて。その良い意味での「糸の引っ張り合い」みたいなものがこの作品のヒリヒリとした雰囲気をつくったのかもしれないです。目指しているところは同じなんですけどね。方法や好みの違いというか。でも真木さんのおかげで生まれたものも多かったです。
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「非日常的な描写は作品を映画らしくする。でも日常からかけ離れた描写に逃げたくない」
─原作のエッセンスも入れつつ、かなり映画用に手を加えられている印象があります。脚本について必ず入れたいと考えられていたシーンは?
今泉:入れるか外すか、迷ったシーンはあります。たとえば前半で「死にたいと思ったことはあるか?」という会話をかなえと堀(井浦新)が交わすシーン。まだ共同生活を始めて間もない2人が面と向かってそんな話をするかなと思ったんです。人との距離感が一般的でない人間として描かないと難しい。
─そのシーンは印象的でした。これまでの監督作品にはないドラマっぽい台詞で、日常とは切り離された描写に意外性を感じました。
今泉:やっぱり。
─「やっぱり」ですか(笑)。
今泉:厳しくリアリティーラインを守っているわけではないんですけど、日常からかけ離れた台詞や描写は僕の映画ではやらないことがほとんどです。非日常的な場面って、映画らしいですよね。だからそうしたくなるのもわかるんですけど、そっちに逃げたくないんです。すでにある映画になっていくので。
その意識は大切にしつつも、今回は原作に頼って気をつけながら撮影しました。かなえが水中に沈んでいくカットや、過去の出来事を夢見るような幻想的なカットも、普段の僕なら撮らないと思います。
─監督の作品は、だからこそ自分の生活と紐づいている印象があります。ですが、幻想や壮大なシーンを見せ場にしている映画も多いですよね。
今泉:多いですね。ただ、僕の作品としてそれをするには葛藤がありました。これまでにはないバランスの取り方が必要だったので、悩んだときは原作を信じる。あと、細野晴臣さんの音楽が、日常的な側面と非日常的な側面をつないでくれたと感じています。
それと、人間の芯の部分というか、表面的な芝居では決してできない苦しく強い表情をいくつも撮れたと思っていて、それは俳優部の演技にものすごく助けられました。同時に、映像にすることの「強さ」にも気を使う必要がありました。
─今泉さんのおっしゃる映像の「強さ」とは?
今泉:生身の人間が演じることで言葉や行動の強度がマンガよりも増してしまうのではないか、という懸念です。ある台詞がまるで「正解」のように聞こえてしまったりとか。つくり手の想像以上の強度で、観客に受け止められる可能性もあるんです。
それは『ちひろさん』のときも感じていました。作品が上映される前、予告を見た人たちから「男性監督の視点で、また元風俗嬢を男性に奉仕する存在として描いている」と批判があったんです。ホームレスを家に連れて帰って洗うなんて、と。
今泉:批判のあったシーンは僕自身も入れるべきかかなり悩んだんですよ。その批判自体も理解できますし、ホームレス側の視点に立ったときにも問題がある描写だと感じていたからです。僕は逆に、自分がホームレスだったら絶対に嫌だなと思ったんです。勝手に洗われるなんて。それこそ加害だと思っていて、そのシーンを外すか迷いました。でも、ちひろさんはまともな人じゃないんです。僕と同じ思考じゃない。ちひろさんの浮世離れした人となりを想像したときに、そのシーンがあったほうがちひろさんという人物の人柄が伝わると考えて、入れる決断にいたりました。
自分の中の正義感や常識ではなくて「ちひろさんとしてありなのか、なしなのか」、そうした基準を持たないと登場人物が自分の考える真っ当な人ばかりの作品になってしまう。だからどの目線で脚本を書くべきかは気をつけています。すべての台詞が、監督の思想を反映したものではないということは声を大にして伝えておきたいです(笑)。
─『アンダーカレント』の話に戻りますが、原作はもっと会話のやり取りが多いです。台詞を減らしたのは「本音を言えない人物像」を際立たせるためですか?
今泉:すべての台詞を映像に入れると長尺になる、という現実的な問題が大きいです。脚本の澤井香織さんと何度も話し合ってかなり取捨選択しました。最後のかなえと悟(永山瑛太)のシーンは俳優陣とも話し合って、台詞を戻したり、原作にない言葉も付け足したりしました。
─付け足したのはどうしてでしょうか?
今泉:これくらい言わないと、相手が理解できないと思ったからです。悟とかなえにとって重要なシーンなので、その距離の詰め方は台詞1つを足したり引いたりして、丁寧に進めていきました。
瑛太さんもかなえの目をどれだけ見るのかという点まで気を使って、すごく繊細に演じてくださっていたので、カメラをのぞきながら感動しました。真木さんも「このシーンの瑛太はすごい」と公開に向けた取材時に話していました。