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トム・クルーズ40年の歩み。映画研究者・南波克行が語る

2023.7.19

#MOVIE

©2023 PARAMOUNT PICTURES.
"Jack Reacher- Never Go Back Japan Premiere Red Carpet- Tom Cruise (35338493152) (cropped)" byDick Thomas Johnson from Tokyo, Japanis licensed underCC BY 2.0.

スタントなしで絶壁によじ登ったり、飛行機にしがみついたりするハリウッドスター。今ではトム・クルーズをそうイメージする人も多いかもしれない。しかしトム・クルーズという俳優の魅力はそうした命を張ったアクションだけなのだろうか。

今回、デビュー当時からトム・クルーズの活躍に目を見張ってきたという映画研究者・南波克行さんに話を聞いた。編著『トム・クルーズ キャリア、人生、学ぶ力』も上梓されている南波さんから見た、トム・クルーズの真のすごさに迫る。

トレンドを生み出す影響力と、過小評価。1980年代のトム・クルーズ事情

ー南波さんは1980年代当時からトム・クルーズが出演された映画をご覧になっていると思います。最初に体験された「トム・クルーズ映画」は何でしたか。

南波:全作品リアルタイムで追っているので、遡ればデビュー作の『エンドレス・ラブ』(1981年、フランコ・ゼフィレッリ)から観ています。ただ当時はもちろんトム・クルーズの名前は知らなくて、画面にも1分も登場しない程度の端役でした。

南波克行(なんばかつゆき)
1966年東京都生まれ。映画研究者・評論家・批評家。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。著書に『宮崎駿 夢と呪いの創造力』(竹書房新書)、編著に『スティーブン・スピルバーグ論』『トム・クルーズ キャリア、人生、学ぶ力』(ともにフィルムアート社)など。

南波:その後はっきりとトム・クルーズを意識し始めたのが『卒業白書』(1983年、ポール・ブリックマン)です。例の有名なパンツ一丁で画面を横滑りしてきて踊り出すシーンは、テレビのCMでも頻繁に流れていました。ただ「すごく面白そうだけど、まだ未知数だな」っていう印象で。映画そのものはリアルタイムで観ましたが、コメディーもできる若手俳優の認識でした。というのも、頭一つ抜けた感はありましたが、当時量産されていたティーン向けのいわゆる「初体験もの」の一つという印象でもあったんです。

『卒業白書』予告編

南波:いったんそこでトム・クルーズの名前は意識しなくなりますが、3年後に公開された『ハスラー2』(1986年、マーティン・スコセッシ)にかなりの衝撃を覚えました。何しろ『ハスラー2』は当然のこと大俳優であるポール・ニューマンを主役にした映画でありながら、むしろトム・クルーズのほうがその存在感が際立っていたからです。

そして同時期に公開されたいわゆるブロックバスターの『トップガン』(1986年、トニー・スコット)では主役を演じている。しかもそれが『卒業白書』のパンツ一丁で踊っていた同じ青年なのかと、その変化ぶりに驚きました。青春映画から、スコセッシ作品、そして凄腕の戦闘機乗りです。その振れ幅の大きさ。「今後のハリウッドを引っ張っていくであろう新しい俳優が登場したんだな」と。さすがに40年間近くにわたってハリウッドの頂点に君臨し続けるとは思いもしませんでしたが、その2本の映画によって、間違いなく今後のハリウッドを背負うだろうと確信しました。

トム・クルーズ(左)とヴァネッサ・カービー(右)『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』場面写真 ©2023 PARAMOUNT PICTURES.

南波:ちなみに『ハスラー2』の影響からか、当時の日本は街中ビリヤード場で溢れ返っていました。誰もがビリヤードを始めるほどの社会現象になり、大学生だった私を含め、若い人たちは本当にビリヤードばかりやっていましたね。また、それまでは「四つ玉」など各種ゲームが混在していたはずなんです。でも『ハスラー2』のヒットで劇中に行われる「ナインボール」のルールが完全にビリヤードの主流になりました。

さらに同年『トップガン』の影響で、トム・クルーズが身に付けた「レイバン」のサングラスも飛ぶように売れたと記憶します。日本人がかけてもあまり似合わないんですけどね(笑)。こちらは社会現象とまでは申しませんが、レイバンというブランド認知の大きなきっかけになったと思います。映画で羽織っていた皮ジャンもそうでしたが、トム・クルーズという人物は20代の頃からすでに映画という枠を越えて、ムーブメントを巻き起こしてしまう存在だったんです。

『トップガン』予告編

ーそうしたムーブメントもさることながら、当時トム・クルーズは「俳優」としてどのように位置付けられていたのでしょうか。

南波:おそらく今もその節はありますが、「トム・クルーズは演技がうまくない」という、一面的な2枚目俳優の認識しか持たれていませんでした。当時の映画雑誌には、例えば「ポール・ニューマンはすごいけど、トム・クルーズはお飾りのアイドルだよね」だったり、『レインマン』(1988年、バリー・レヴィンソン)においても「ダスティン・ホフマンはすごいけど、トム・クルーズがなってないよね」といった評価は少なくありませんでした。特に『カクテル』(1988年、ロジャー・ドナルドソン)の評価は厳しかった。

だけど「ダスティン・ホフマンよりもむしろトム・クルーズだ」ということでちゃんと評価していた映画批評家は淀川長治さんと蓮實重彦さんです。お二人の対談でも、蓮實さんは「(ダスティン・ホフマンの)大袈裟な演技をトム・クルーズが実に上品に受けている」という趣旨のことをおっしゃって、淀川さんも「あれを受けるトム・クルーズは偉いなあ思うの。あれはいい子だね」とおっしゃっている(※1)。さすがだなと思いました。それでも、当時のトム・クルーズは一般的にアイドル俳優としての位置付けに過ぎなかったと思います。「トム・クルーズが好きだ」と言えば、なんだか小馬鹿にされた。そういった空気感は当時から漂っていた気がします。

※1『映画に目が眩んで 口語篇』(蓮實重彦 / 1995 / 中央公論社)P.578

『レインマン』予告編

ベテランと組む20世紀から、若手を抜擢する21世紀へ。映画人としての変化

ーその後「俳優 トム・クルーズ」が徐々に確立されていくわけですが、俳優として評価が高まっていく転換点はどこにあったと思われますか。

南波:転換点はどうなんでしょう……。そもそも1980年代までのトム・クルーズは、いわゆる演技派としての実力を試さなければいけない作品と、アイドル俳優として自分のルックスを見せるための作品の両方をうまく使い分けて出演していました。まさに『トップガン』と『ハスラー2』がその典型だと思いますし、『レインマン』と『カクテル』、それから『デイズ・オブ・サンダー』(1990年、トニー・スコット)と『7月4日に生まれて』(1989年、オリバー・ストーン)もほぼ同時期ですよね。

しかも演技を見せる作品では巨匠監督と必ずタッグを組むだけでなく、キャリアも年齢も自分より一回り二回り上の俳優と共演しています。さらにすごいのが、ダスティン・ホフマンもポール・ニューマンもトム・クルーズと共演したことで『アカデミー賞』を獲得している。つまりベテランから映画の作り方や演技を吸収するだけでなく、自分が出演することで映画全体のクオリティーを上げ、しかも相手に大きな利益をもたらしているんですね。

このことは今でも変わらないスタンスで、自分以上に相手を立てるわけです。相手を立てることで映画全体のクオリティーが上がり、映画のクオリティーが上がるからこそ必然的に出演者である自分のステータスも上がる。こういった構造を作り続けているのがトム・クルーズのすごいところですね。

『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』(2018年)の監督であるクリストファー・マッカリーが、Blu-ray特典のメイキングでトムは常に自分ではなく共演者を立てるための指示を行うんだと語っています。これは「ミッション:インポッシブル」シリーズにおける「お先にどうぞ」のスタンスとのことで、「あなたたちが自分(トム・クルーズ)より目立ってください」という方針なのでしょうね。

『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』メイキング写真 ©2023 PARAMOUNT PICTURES.

ーそれは俳優だけの役割を全うするのではなく、言わば映画全体を俯瞰して見渡すプロデューサーとしての気質を発揮させているからなのではないかと思います。

南波:インタビューなどで「自分が目立つのではなく、映画が立てば良い」という意味のことを、しばしばトム・クルーズは言いますが、きっとそのことこそがプロデューサー気質たる所以なのかもしれません。

プロデューサー気質ということで驚いたのは、1994年にスピルバーグが題材的には真逆に見える、『シンドラーのリスト』と『ジュラシック・パーク』を同時に作りますが、トム・クルーズは『シンドラーのリスト』の脚本家(スティーヴン・ザイリアン)と『ジュラシック・パーク』の脚本家(デヴィッド・コープ)の両方を『ミッション:インポッシブル』の脚本に招きます。こんなことをするプロデューサーがいるのかと、当時はこの恐ろしい抜擢に舌を巻きました。

『ミッション:インポッシブル』予告編

南波:また『シンドラーのリスト』以降のスピルバーグ作品の撮影はヤヌス・カミンスキーですが、いちばん最初でこそありませんでしたが、スピルバーグ作品以外でいち早く彼を起用するのも、やはりトム・クルーズ主演作『ザ・エージェント』(1996年、キャメロン・クロウ)なんですね。口にはしませんが、トム・クルーズはスピルバーグからものすごくいろんなことを学んでいるんだなという気がしています。

ーJ・J・エイブラムス、クリストファー・マッカリー、また『トップガン マーヴェリック』(2022年)ではジョセフ・コシンスキーを起用するなど、若い監督を抜擢することにも長けていますよね。

南波:『ミッション:インポッシブル3』(2006年)あたりから若い才能を抜擢するように切り替え始めましたよね。それまではさっき申し上げた通り、いわゆる巨匠監督と組んで映画を学ぶ時代だったわけです。いわゆる実績のある監督と組むことで、映画の格を上げるとともに自分も何かを吸収するのが20世紀までのトム・クルーズでした。ところが「これからは、自分自身が映画そのものを引っ張っていかなければいけない」とでも思ったのでしょうか。言わば頂点といっていい、キューブリックやスピルバーグと組んだことで、もはや巨匠監督とはやり尽くした感があったのかもしれませんが(笑)。

『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』場面写真 ©2023 PARAMOUNT PICTURES.

南波:そんな中『ミッション:インポッシブル3』では、当時テレビプロデューサーだったJ・J・エイブラムスに劇場映画初監督をさせます。そして次の『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』(2011年)では、それまでピクサーのアニメーション監督だったブラッド・バードを初めて実写監督に抜擢しました。

さらに『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』(2015年)と『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』ではクリストファー・マッカリー、またシリーズ以外では『オブリビオン』(2013年)や『トップガン マーヴェリック』のジョセフ・コシンスキーと、才能を見出す力を発揮して彼らに監督としてのチャンスを与えるようになる。しかもここで重要なのは、監督だけじゃなく脚本を兼任させることで映画全体をコントロールさせようとしたところです。しかもそれらの作品はそれぞれの作家にとっての代表作としても位置付けられています。

マッカリーなんてほとんどトム・クルーズ主演の映画しか撮ってないですからね(笑)。『ミッション:インポッシブル』シリーズが6作目を数えた今でもクオリティーは落ちないどころか、むしろ上がる一方であることは本当に驚くべきことだと思います。

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