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ジャズ喫茶「いーぐる」 過去と現在を巧みにつなぐ、店主・後藤雅洋さんの選曲哲学

2024.4.25

#MUSIC

四谷「いーぐる」店主・後藤雅洋さんの著書『ジャズ喫茶いーぐるの現代ジャズ入門』が出版された際、音楽評論家・柳樂光隆は、そのユニークさをこう語っていた。

曰く、「現代ジャズの面白さを伝えようとするテキストでは、『それがいかに新しく、今までのジャズと違うか』ばかりがしばしば説かれる。しかし後藤さんは『新しい音楽が、いかに過去のジャズとつながっているか』をこそ書いている」と。

この後藤さんのスタンスは、いーぐるの選曲にも大いに反映されている。

往年の名盤から最新のジャズまでを幅広く取り扱いながら、そこに長いジャズ史の連続性を聴くことができる——57年に渡りジャズの楽しみを伝え続けてきた名店を、柳樂と訪ねた。

1967年創業、ロック喫茶を前史に持つ古株ジャズ喫茶

今年の春先、アメリカのシカゴからアレハンドロ・アヤラが日本に来ていた。彼はシカゴのレーベルInternational Anthemのチームの一員で、同レーベルのマーケティング担当者。レーベルでの業務外でもDJをやったり、オーディオをプロデュースする仕事をしていたり、様々な形で音楽に関わっている生粋の音楽人でもある。たまたま友人でDJのMayu Amanoから「アレハンドロと一緒にお茶しませんか?」と誘ってもらったので、僕は「日本のジャズ喫茶に行くのはどう?」と提案し、いーぐるを推薦した。僕がいーぐるを薦めたのは、International Anthemのような気鋭のジャズレーベルのスタッフにはいーぐるがぴったりだと思う理由があったからだ。


ジャズ喫茶いーぐるは、ジャズに関する執筆でも知られる後藤雅洋さんが1967年に創業した。今年で57周年と、今や全国のジャズ喫茶の中でも古株といえる存在だ。とはいえ、古株ではあるが、いーぐるでさえ、まだ老舗とまではいえないのが日本のジャズ喫茶の歴史の深さだ。

どの本に書かれていたのか失念してしまったのだが、以前、吉祥寺のジャズ喫茶の名店MEG(1970年開店・2018年引退)の店主だった寺島靖国が「MEGはそれなりには歴史はあるけど老舗とはいえない。ビル・エヴァンスのお城のアルバム(1968年発売の『At The Montreux Jazz Festival』)を新譜としてかけることができた店が中堅くらいの位置づけだから、うちも中堅なんじゃないかな」というようなことを書いていた記憶がある。寺島の論でいえば、お城のアルバムが発売される1年前に創業したジャズ喫茶いーぐるも中堅のひとつということになる。

店主の後藤雅洋さん。

いーぐるが現在の場所に移転する前、後藤さんはここで「ディスクチャート」という名のロック喫茶を短期間やっていたことがあり、余談だが、そこには山下達郎、大貫妙子らが出入りしていて、シュガーベイブ結成のきっかけとなった場所でもある。いーぐるはロック喫茶がジャズ喫茶に鞍替えしてできた店なのだ(この辺りはサイト『ジャズ喫茶案内』の記事「東京・四谷 いーぐる  ジャズ喫茶の物語 Part2」に詳しい)。

後発だったいーぐるは、老舗のような希少なレコードコレクションを持っていたわけでもなかった。それでも様々な工夫をしながら、独自のスタイルを確立し、50年を超える長い間、生き延びてきた。ロックがジャズを凌駕していった時代も、フュージョンが勢いを増しモダンジャズが後退していた時代も、ジャズ喫茶が過去の遺物のように思われ閉店する店が増えていた時代にも、後藤さんは店を守り続け、現在もジャズを流し続けている。

中庸とさえいえる、バランスの良さ

ジャズ喫茶といえば、「一家言のある店主が設置したこだわりぬいた高音質のオーディオ環境の中で、膨大かつ希少なレコードコレクションを使ったマニアックな選曲が聴ける」というようなイメージがある。ジャズ喫茶=「クセが強そう」だと思う人も少なくないだろう。しかし、いーぐるはそんなイメージとは異なる店だと僕は思っている。

いわゆるビバップ、ハードバップ、モーダルジャズといったモダンジャズが流れる時間が多めではあるが、エレクトリックなジャズやフュージョン、ソウルジャズやジャズファンク、フリージャズやECM系のヨーロッパのジャズ、さらにはモダン以前の戦前のジャズまで幅広い時代やスタイルのアルバムがまんべんなくかかっている。僕は、いーぐるの選曲にはクセがない、どころか、むしろ中庸でさえあると感じることもある。

しかも、いーぐるの選曲には1990年代から現代までのアルバムも織り交ぜられている。リリースされて間もない新譜が流れていることもあれば、ジャズファンに見落とされがちな1990年代、2000年代の傑作が選ばれることもある。ジャズの長い歴史を広くカバーするようなバランスの良い選曲が特徴と言ってもいい。後藤さんは57年間、ジャズ喫茶のパブリックイメージに沿って過去の名作を楽しませながら、並行して自身の耳にひっかかった新譜を紹介し続けてきた。

壁の額縁にはAncient Infinity Orchestra 『River of Light』(2023)、ジュリアン・ラージ『Speak To Me』(2024)など、近年のアルバムが並ぶ。

そんなスタイルだからこそ、いーぐるはソフトにはこだわらない。かけたい作品がレコードしかなければレコードを選ぶし、CDしかない時代のものならCDでかける。そして、そのどちらで再生しても大丈夫なように、さらにいえば、どんなタイプの音楽でも大丈夫なように、オーディオをセッティングしている。後藤さん曰く「ホットなブルーノートでも、クールなECMでもどちらでもいい音で鳴るオーディオ」。いーぐるはあらゆる面でバランス感にこだわったジャズ喫茶なのだ。

時代やスタイルの違う音楽が自然につながる選曲

そして、その選曲の幅はものすごく広くても、決して「雑多」ではないバランスに落とし込まれている。いーぐるが長年生き残ってこられた理由は、すべての選曲が計算されたもので、ほぼすべての選曲に意図や配慮が込められているからだと僕は思っている。

おそらくほとんどのジャズ喫茶は、店主がその場で都度アルバムを選び、流しているだろう。しかし、いーぐるはそうではない。後藤さんは数多くのアルバムからいーぐるにふさわしいアルバムを厳選し、それを考え抜いた順序で流すために独自の仕組みを作っている。

​​​​いーぐるには膨大なパターンの選曲のリストがあり、ここでは常にその順番にアルバムがかけられている。新譜がローテーションに加えられれば、新たなリストが作られ、それに沿って流されることになる。そうやっていーぐるの選曲は幾度となくアップデートされ、ブラッシュアップされている。後藤さんが不在の時もスタッフは後藤さんが準備しておいたリストの順番にかけているので、どんな時でも彼が作った選曲を楽しむことができる。いつ、どの時間に行っても、常にいーぐるらしさが保たれているのはそのためだ。後藤さんは何十年もの間、DJというよりはコンピレーション職人もしくはプレイリスト職人のような感覚で選曲をし続けている。

様々なスタイルや時代、地域のジャズが選曲されるのだが、それは全ていーぐるの雰囲気に合うアルバムであり、その選曲の流れにフィットするアルバムだ。最新のUKジャズや、90年代にDJから人気だったアルバムや、ヒップホップの名盤にサンプリングされたアルバムが流れることもある。それらが計算された流れの中でバド・パウエルやジョン・コルトレーンの名盤と共に自然に鳴っている。

「伝統とは、火を守ること」

後藤さんはこれまで数多くのジャズ関連本を出版しているのだが、2015年に出版した『厳選500ジャズ喫茶の名盤』あたりから21世紀以降のジャズを積極的に紹介するようになっていて、2023年の『ジャズ喫茶いーぐるの現代ジャズ入門』ではそのディスク選をすべて21世以降のジャズだけで行った。そこからはいーぐるの選曲への考え方と同じものを読みとることができる。新しいジャズの新しさを書くのではなく、その新しいジャズがいかに過去のジャズとつながっていて、過去のジャズを聴いてきたリスナーにはより深く楽しめる音楽だということを丁寧に説明しているのだ。

つまり、この本は自身と同じように長い間ジャズを聴き続けてきた同世代への親切な提案になっているわけだ。そして同時に、若いリスナーを、新譜をきっかけにしてジャズ史へといざなうためのガイドにもなっている。過去と現在を巧みかつ自然につなぎ、幅広いリスナーにジャズを楽しんでもらうこと。この本の核心はまさにいーぐるで日々行っている選曲の哲学そのものだと僕は思う。

僕がアレハンドロ・アヤラをいーぐるに連れて行ったのは、その後藤さんの哲学がInternational Anthemの志向とも通じるものがあると思ったからだ。実際にアレハンドロは後藤さんの姿勢にいたく感動していて、ふたりは深く語り合い、親交を深めた。後日、彼のInstagramには写真と共に以下の言葉が添えられていた。

“Tradition is not the worship of ashes, but the preservation of fire”(伝統とは火を守ることであり、 灰を崇拝することではない。)

Gustav Mahler(グスタフ・マーラー)

《いーぐるが選ぶ5枚》

(左上から時計回り)
・Eric Dolphy『Here And There』
・Jackie McLean『Right Now!』
・Bill Evans Trio『Sunday at the Village Vanguard』
・Julian Lage『Speak To Me』
・Makaya McCraven『In These Times』

https://open.spotify.com/playlist/6YDIuwDBWd4J3IKwnqbkwL

いーぐる

住所:東京都新宿区四谷1-8
営業時間:月~金=11:30~23:20 土=12:00~23:20
定休日:日・祝日
※開店から18:00までの時間は、会話はご遠慮ください。
http://www.jazz-eagle.com

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